か、どうかはわかんないが、ボストンの事件を知ったのは、きのうの、もう夕方になってからだった。
"あさのニュース見とらんのん?"、と言われたが、テレビは夜でもあんまり見んな。
よる10時すぎ、息子とおそい夕食をテレビを見ながら食べた。テレビは、わだぐしの大嫌いなフルタチ氏の報道番組だった。
子どもらにはいつも、あれは報道番組じゃない、バライエティだ、と言っている。
くりかえし同じ映像が流れる中で、フルタチ氏や論説員とやらが質問したり感想言ったりしてた。
そのひとことひとことに突っ込み、毒づいていた。横で聞いてる息子は同意したり苦笑いしたりしていた。あすの政経の授業の内容は決まったわ、などと言ってた。
天下のなんとか新聞の論説員が、"北のミサイルでこれだけゆさぶられているニホンは"、みたいなことを言ってた。
そのゆさぶられているニホンでは、きょうもよる10時前になって、やっと塾から吐き出された中学生たちが、元気よく帰路についていた。真っ暗な道を。
危機感がないんじゃなくて、危ないときに、腰から銃を抜く習慣が自分らにはないんだと思う。
北の領首さまのミサイルの精度がよけりゃあ、うちの家に着弾するかもしんない。と、思っている。
だからといって、近所に迎撃ミサイルセットを置いてほしいとは、ちいとも思わない。
テレビは、つぎのニュースは人質とった逃亡犯、ゆうて、ちらっと屋根の上の映像を見せてコマーシャルになった。
自分には、事件で報道がいきいきしているように思えた。あくまで、自分には。
はじめてボストンの事件を知ったときよりも、暗く、むなくそわるい気持ちになった。
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