2012年4月14日土曜日

文化考 トイレの作法について

家、それぞれに文化がある。

それは、その地方共有のものだったり、夫婦それぞれが実家から持ち込んだものだったり、いろいろ。
多くは無意識なので、文化の遺伝と言ってもよいと思ってる。ちょっとおおげさでかっこつけすぎじゃけど。

で、その中には、新しくその家で生まれるものもある。

うちんちでは、トイレの話がある。

まず、スリッパがない。

うちに来た客人は、トイレに案内されたとき、まずトイレの前で固まる。
スリッパがないので、どうしたらよいかわからんらしい。「すんませんが、そのまま入ってください」と、もうしわけなさそうに伝える。

うちの家族は、真冬以外ははだしが多いので、板間をぺたぺた歩いてきて、そのままぺたぺたとトイレに入る。

トイレを”ご不浄(ふじょう)”などという言い方があるが、うちでは地べたに関しては、トイレとほかの空間との浄、不浄のさかいめはない。

汚いのが平気とか、部屋が汚れてもいいとか思ってるわけじゃあない。
まんいち汚したら、責任もってふいとけよ、ちゅうこと。

自分がいちばんおもしろいと思っているのは、トイレを使うときに戸を完全には閉めないこと。

高校生の息子ならまだわかるが、妻も年頃の中学生女子も同じ、ゆうのが笑える。

トイレの戸は、だれも使ってないときは基本”全開”で、使うときはヒトによって1/2とか、2/3とか閉める。つまり、残りの割りあいは、開いとるっちゅうこと。
息子なんかは、1/3ぐらいか。

戸が少しでも閉まっていると、入ってますのサイン、ゆうぐらい。

用を足してる本人は、見られたらまずいゆう感覚がないらしく、ほかの人間も見たらいかんとか、見えるからやだとか言わない。

戸が半分しか閉まってなくて、戸のむこうに、用たしてる人間の足がにょっきり見えてる横で、平気でほかの人間が歯をみがいてたりする。

おもしろい。

息子の友人が、大挙してうちんちに遊びに来たときのこと。息子の友人は普通人なので、トイレを使ったあと、戸をきちんと閉めていた。

あとでうちの中学生の娘が、「トイレの戸がずっと閉まっとるんで、だれかおるんかと思った」、「ほかんちじゃあ、使わんときはトイレの戸、閉めとるんじゃねえ。」と、しみじみと述べていた。

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