2010年9月18日土曜日

”田代まさし容疑者逮捕”でおもったこと

 たまには、まじめな話をしよう。

 田代容疑者逮捕のニュースは、事件そのものは、あっそう、ぐらいで、なんとも思わなかった。
 衝撃だったのは、田代氏の、その写真。

 偏見や思い込みを含んでいることを恐れず、そのまま言えば、「人格が崩壊して、その様子が、もう包むことができず、見た目、外見にあらわれてしまっている」、ゆう感想。
 もっと、感覚的な言葉で言えば、「死相が出ている」。あぁ、この人は、いま、もう死んでいる最中なんだ、ゆう感じ。

 いかにも死にそうな人が、自死や、それに近い形で死んでしまうと、むなくそがわるい。だれの、ゆうたら、わたしの。
 飯島愛さんのときとか、別にファンだったわけじゃないけど、勝手にこの人、死にそうだ、と思っていたので、なんか落ち込んだ。イライラして、なににゆうわけでなく、なんか腹立った。
 いかにも死にそうだったじゃないか、なにかできんかったんか、と。

 酒井法子氏が出頭したとき、すごくほっとした。なんか、死にそうな気がして、心配だった。とくに、自死。彼女のファンでなく、もともとは、興味のない人だったんだが。
 申しわけなく思って死んでしまうのでも、くやしくて死んでしまうのも、死んでしまっては同じことだ。
 出頭が、いいのわるいのと、いろいろ言われたが、自分は、ただ、彼女が死んでいなかったことだけでよかった。
 彼女が、反省していようがしてまいが、今後の人生をどうするつもりだろうが、わたしにとっては関係ない。

 話したことがなくても、名前や顔を知ってるだけの人でも、死なれるのはいやだ。
 実際のところは、話したことがある人に、けっこう死なれている。
 自死とは限らないが、この人は死んでしまうんだ、と思って、ほんとうに死んでしまった人が何人かいる。
 もっと、正直に言えば、自分が最後の引導をわたしてしまった、と思っている人がいる。
 その人からのSOSに、自分はこたえず、見殺しにしてしまった。
 ゆっくりと、自殺しているような人だったけど、わたしは彼を見殺しにした。
 彼は、もう死んでしまったので、わたしの罪は消えることはない。ふだんは忘れてるけど、なにかのひょうしに、身を突き刺すように思いだす。

 わたしは、"田代まさし"という男が、反省してようがいまいが、どうだっていい。ただ、わたしの知るところで、死んでほしくない。
 どんなに見苦しかろうが、生きていてほしい。
 幸せな人生をおくってほしいと、彼の身を案じて言ってるわけでも、世の中のために言ってるわけでもない。
 ただ、わたしのわがままのためだけに、彼には生きていてほしい。

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