よっぽどおもしろかったらしくて、小6の娘が、「父さんも読むか」と聞いてきた。
児童文学ゆうことと、映画(アニメーション)になったのを知ってて、興味があったので、「あー読む読む」と、軽く返事をした。
火曜日が返却日じゃけえ、と念をおされたにもかかわらず、けっきょく読まだった。
で、火曜日に家に帰ると、なぜか机においてある。
なんで?、と思ったら、「父さんが読むゆうたけえエンチョーした」、とのことだった。
そりゃすまなんだ、と反省して、気合をいれて読みはじめた。
最初の印象は、すこぶるわるし。
なんか、文章ゆうか言葉ゆうか、『雑』なぐらいにそっけなくて、らんぼうなぐらいに感じた。説明、描写も、「え、そんだけ?」思うぐらいにそっけない。
自分のきらいな、"山田悠介"氏と印象がかさなった。カレの本は2冊だけ読んだが、もう二度と読まねえ。
線の細いかわいらしい少年(学生服だったと思う)が、色とりどりの紙吹雪のようなものにかこまれてる、映画のポスターをおぼえてて、やわらかい、ほのぼのとした恋愛話ぐらいに勝手に思っていたが、とんでもなかった。
まさに、"疾風怒涛"の思春期、中学3年生の男の子の話だった。
自分も中学生だったことがあるから身におぼえがある。あのころ。
女の子だったことはないんでわからんが、男の子は、多かれ少なかれ、ああ、と思うところがあるはず。
健康で、ごくありふれた子どもでも、みんな病気ちゃうか、ゆうようなあのころ。すごい楽しかったが、めんどくさいので戻りたくはない。
心の中、頭ん中は、おりゃー、とあらゆるもんがごっちゃまぜでうず巻いていた。きれい、きたない、正義、邪悪、潔癖、極端なだらしなさ。そしてもちろんの、コントロール不能な性の衝動、妄想。
序盤はいきつ戻りつ読んでたが、中盤ぐらいから波長合わせがすんだのか、一気に加速。さきへさきへ読みすすめたいきもちが強くなった。
主人公へのシンクロ率は、そこはそれ、おっさんだからあんまり上がらなかったが、身に覚えがある、あー痛い痛い、と思いながら読んでた。
残りページ数が減ってくるにつれ、最後これどうすんじゃ、とはらはらしてたが、思いどおり、ゆうよりは、こうあってほしいという"希望どおり"の結末でした。
んー、えがった。すんごい満足した。読んでえかった。
子どもには、ハッピーエンドの物語を読ませるべきだ、といったヒトがいたが、オトナだって、ハッピーエンドの物語を読むべきと思う。
バッドエンドをあたりまえと思っててはいけない。
びっくりするぐらいそっけない文体だったので、勝手に、作者はデビューすぐの若造(女性じゃけど)と思っとったら、評価されてるベテランだった。いっちゃん後ろの略歴で読んだんじゃけど。
たいへん失礼いたしました。自分の思い込みがぜんぜんあてんならんことが、よくわかりました。
んで、読みおえて、表紙の後ろの裏をみると、だれもいない教室の絵が描いてあった(イラスト 長崎 訓子)。
窓にへんなもんがいるのをみて、"あれっ!"と思い、すぐに表紙の前がわの裏をみた。
やっぱり、机だけが雑然とならんだ、無人の教室の絵だった。そして、へんなもんが、窓んとこにいた。
「そうか」と思った。
こりゃあ、あいまいさや意味のゆれのまったくない、" GOGOモンスター(松本大洋作)"だ。
思春期の青少年を題材にしたものは、めずらしくもないけど(好きな映画だと、"台風クラブ"とか。)、自分がカラフルを読みおえて、まっさきに思いついたのは、もっとも表現が対象的なマンガだった。
行間がないんじゃないか、ちゅうくらいにぶっきらぼうな"カラフル"と、「意味からこぼれ落ちるもの(by清水真砂子)」がこりかたまってできたようなマンガ、" GOGOモンスター"。
まったく正反対の語り口だけども、おなじく思春期の少年をえがいている、えがかれている、と自分は感じた。そこがおもしろい。
" GOGOモンスター"は、主人公が小学生じゃけど、その感覚や体験は、中学生ぐらいの子どものそれと思う。じゃけど、舞台は中学校じゃだめで、どうしても小学校でなければならない。ゆうのが矛盾とはいわんまでも、" GOGOモンスター"のかわったところだったと思っている。
子どもは、自分らのころより、どんどんかしこくなってきているように感じるので、いまはもう、それほどとっぴょうしもない話ではないかもしれない。
"カラフル"を読んで、思い出した、感じた中学生ぐらいのころ。
繊細で、バカで、臆病で、傲慢で、純粋な、奇妙な生き物。なつかしいねえ、戻りとうはないけど。