もう、夏はおわりぢゃないの?
この暑さはなに?
先週、さぶくて朝方目が覚めてタオルケットをかぶったのは、ウソじゃったんじゃろうか。
「そのためにゃー、まず設計図だ」と思い、仕事帰りに文具店によることにした。
てくてく歩く道すがら、前を知りあいが歩いている。
ぺこっと頭をさげると、びっくりしたように立ちどまって、やけにていねいなあいさつを返された。
近づくと、あんのじょう、思うたヒトと違(ちご)うとった。まっ、知りあいじゃああったんじゃけど。
久しぶりに立ち話して、「また機会あったら一緒に仕事しましょう」、ゆうて別れて文具店に入った。
A4の方眼紙はちょこっとさがしたらすぐみつかったが、タナの横にぶらさげてあった、えんぴつ用のグリップ(クッション)兼ホルダー(短いえんぴつ使うときの)が、すげー気になりだした。
しばらく手に持って固まっていたが、結局色をえらんで方眼紙のうえにのせた。
すると、そのグリップの下にぶらさげてあった"デザイン定規"とやらが目にはいった。
歯車んなかにえんぴつ突っ込んでぐるぐる回したら、みごとな幾何学模様がかけるアレ。色づかいはどーみても小学校低学年むき。蛍光のピンクやら黄色。
おー、なつかしい。しかも105円!
それも方眼紙にのせてレジに向かった。
すごい、いい買い物をした気分になった。
そいつらと、きょう届いた雑誌をマイ・バッグに入れ、ぶらぶらさせながら家に向かう。
が、とちゅうより道してミスタードーナツへ。
「くっそ暑いぜ、夏に逆もどりかよ」とか頭んなかで毒づきながら、熱いコーヒーをすする。
雑誌やら、きょうの戦利品やらをながめながら、1.5杯コーヒーを飲んだところで、"しっこ"がしたくなった。コーヒーには、利尿作用がある。
で、壁の時計をみると、もうこんな時間じゃん。弁当がら洗ったり洗濯ものたたんだりせにゃあ。
ちゅうことで帰路についた、とさ。
三日間の旅行でうまいもんたらふく食って、いちいちどっかよるたびにソフトクリームだのなんだの食べて…、で、みごとに身になった。身についた。
二重アゴと背中の油身に危機感を感じてから、1年半ぐらいかかって、やっともとの体重に戻った。でっぱらは戻らんかったが、ぷにょっとベルトにのる分のお肉はなくなったのでよしとしよう。背中側の肉までベルトにのるようになったときは、さすがにやばいと思った。
が、運動したわけじゃなくて、ご飯を減らしただけ。夕方のおやつは争うようにして子どもと一緒に食ってる。おやつをやめるんは嫌だったので、ご飯を茶碗三分の一にした。
ふだん腹八分目に食っただけで肥えるのに、旅行中は、「もう限界、ゆるして」っちゅうくらいに毎食食ったんだから、まっしゃーねへか。
この2kgの体重増と、ぷにょっとベルトにのった油身は、さてどんくらいでもどるのでせうか。
動物は好きだが、"志村動物園"はキライ。
ミッフィーはゆるせるが、キャラクターものは、ミッキーもキティーもカンベン。ぬいぐるみをあつめる趣味は、もちろんない。
いろいろごちゃごちゃゆうたけど、ようするに、かわゆくてがまんできずに買ってしまった。
週刊アスキーで小道具として使われてたんを見て目がくぎ付け。googleだのYahoo!オークションだのでさがしまくって、すぐ注文した。
階段のとこにおいてるが、のぼりおりで目があうたびに手をにぎにぎして声をかけ、ひとり悦にいっている。
家族からは、目に入るとびっくりする、気持ち悪い、と不評である。
業田良家は、ふつうのマンガ家だった。ふつうよりは、特別におもしろいマンガを書くヒトだったように思う。でも、特別おもしろいマンガを書く、ふつうのマンガ家だった。
それが、"自虐の詩(じぎゃくのうた)"というマンガを書いているときに、カレになにかが降りてきた。
"自虐の詩"は、特別におもしろいが、ごくふつうのマンガだった。
でも、だんだんと、四コマなのにふっといストーリーを持つようになり、さいごには、神だか悪魔だか、はたまた精霊だか、とにかく上部構造のなにかがカレに降りてきた。
泣いてしまった。カレも書きながら泣いていたにちがいない。
評論家の呉智英氏は、"自虐の詩"の人間のクズを見る目線は、キリスト教のそれに近いよううに思う、と言った(NHK BSマンガ夜話)。わたしもそう思うし、その目線は、べつにキリスト教にかぎったものではないと思う。
ダメな人間はダメなままに、笑っていいんやらわからんぐらいにみもふたもなく書いてんのに、人間が生まれてくること、自分が生まれてきたことをすばらしいと思うことができた。
そうして、わたしにとっては、カレは特別なマンガ家になった。
呉智英氏のように、"布教活動"はしないものの、"自虐の詩"は、わたしにとって、もっとも大切な本のひとつになった。特に最後の5巻。
でも自分は、カレの作品をさけるようになった。いつも気にはなってたが、長いあいだ、手にとることはなかった。
カレとカレのマンガが、恥ずかしく、読むことが苦しく思われたからだ。
ひさびさにこのマンガを読んだのは、映画が評判になってたから。
本の表題にもなっていて、映画化もされた、短編"空気人形"は、予想どおり、予想以上に衝撃的だった。第一話の、"わたしを愛してください"からはじまってのこの短編だが。
心ん中で、ウォーっと叫んでしまうくらいに心揺さぶられた。ゆり動かされた。苦しい、せつない。「感動」ゆう言葉を使うことが、自分の中で適当でないように思えるぐらいに複雑で、この気持ちをなんと言ったらヒトに伝えられるやらわからない。
カレは、かわっていなかった。いつぞやカレに降りてきたなにかは、いまもカレのそばにいて、なにかをカレにつぶやき続けているようだった。
業田良家という男は恥ずかしい。業田良家という男が書いたマンガは恥ずかしい。
「恥ずかしいから困ります」、「苦しいからやめてください」、ゆうてんのに、ぐいぐい肩をいれてふところに入ってこられるような感じ。
だから困る。
"ゴーダ哲学堂 空気人形" 業田 良家 (著)
出版社: 小学館 (2000/2/1)