二日間かけて、"交響詩篇 エウレカセブン"の古いほうのクライマックスを見る一家。中年夫婦とその子、中高生。
どーなんでしょうね、この一家。たぶん一番うるさいのは、自分じゃけど。
のべ4〜5時間は見とるだろうか。一話見終わるたびに何人かがウオー、とうめき声をあげ、あれはなんなのか、あーじゃないかこーじゃないかと議論が始まる。
で、CMとかは早送りでぶっとばし、オープニングはおとなしく見る。エンディングも。
すぐ次を見るのに、次回予告を息をのんで見る。
今回の本題は、ひとりの登場人物の少女、"アネモネ"。光と影の、まさに影。それも暗黒の。光のほうの少女(見た目はね)のほうにも影があるんだから、そりゃもう暗い。
壊れているを通りこして、人格が"荒廃している"と言っていい。
んで、かなり話の前のほうから出てるのに、何者なのか、まったく説明がなかった。
ただ、もうとにかくその姿が痛くて痛くて、自分は、一家ん中でただひとり最終話まで見てる息子(高校生)のほうをきっとにらんでは、「お願いじゃけえ、こいつをなんとかしてくんないか(救ってくれないか)」と、何度も何度も言ってきた。
それが、あと数話ゆう最後の最後になって、ついに彼女のことが語られ、そして彼女自身の、絶望んなかからしぼりだすような声を聞くことができた。
彼女は泣いていた。自分も泣きそうになった。
「お願いだから、こいつを」
そのおっさんのせつなる願いは届き、彼女は自分自身への気づきを得、そして求めてけして得ることはできないと思っていた、他者からの無償の愛を得、充分に感じることができた。
物語はまだ終わっておらず、すぐつぎの瞬間にも、世界は終わってしまいそうである。
それでも、いま、この瞬間、満たされた彼女を見て、自分は満足した。
このながいながい話がどう着地しようと、自分はもうどうでもよい。
荒廃した入れ物にたましいが入り、いま、ここで生きたい(他者とともに)と願った。それで充分だ。
じっさいにこうゆう子がおったらどうかと言ったら、正直はだしで逃げ出す。全力で。
がんばってね。ドミニク少年よ。あれっ、青年かな?
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