すげー。著者は女サイバラか? いや、西原氏は女性だった。
正直な感想は、最後の最後までにえきらんかったなあ、ゆうもの。
"おまえの考えは女性を落としめとんじゃあ"と、非難する内容ではないのに、後味がすこぶる悪かった。
ようもまあ10年以上もはりついとったと、その根性をほめてあげたいが、10年以上はりついて、こんだけの情報量か残念、とも思う。
この本の内容に衝撃を受けるほどウブじゃないし、なにより(自分は)身ぎれいじゃあない。
たいへんもうしわけないが、著者の体をはった直接的な取材の成果よりも、著者が必死であさった、ぼうだいな文献の情報のほうが面白かった。
江戸の遊郭じゃないけど、"ウソはマコト、マコトはウソ"の、ウソにもマコトにも、いま一歩踏み込めんかった印象。
別の見方をすれば、そのガードの固さが、21世紀になっても飛田(とびた)を存在させてるのかもしれない。もう、21世紀ですよ。
自分が飛田に行ったときは、そりゃあもう、すごい衝撃だった。「えっ、いま、なに時代じゃったっけ!?」て思うぐらいに、遊郭そのものだった。路上で焚火しとる西成も衝撃じゃったし。20年以上前の話じゃけど、この本を読んで、いまも飛田が時代にそぐわない場として存在し続けてることを知った。
昔っから"ちょいの間"だったわけじゃないことも知ることができた。
ヒトを尊重するといったら、ヒトがいやがることをしないこと、自分がされたらいやなことをしないことだが、それでいったら女性の性の商品化は、直接だろうが間接だろうがとんでもないことである。それをわかっていながら、いまだに自分はそれが大好きで、捨てることができない。
"必要悪"とは、誤訳の最たるものみたいなことを、郡司外史氏は言っておられたが、まさに飛田は、"必要とされてるわけじゃないけど、現に存在してる悪"として、いまもあるようだ。
読んでるあいだずっと感じてた居心地の悪さは、どっちつかずの自分の態度や気持ちが、著者に重なって見えたからかもしれない。
"さいごの色街 飛田"
井上 理津子 (著)
出版/筑摩書房
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