2011年7月23日土曜日

めがねを かけた日

 必要にせまられて、きょう一日メガネをかけていた。

 大したことない近眼に、少し乱視がまじっているだけなので、ふだんはメガネをかけていない。それほど不都合はないので。

 ところが、一日中メガネをかけてみると、世界がちがっていた。

 何十メートルもむこうのヒトの顔が見える。遠くの景色が見える。

 遠くの埠頭からお船が出発するのが見え、お船のうえに船員さんがずらっとならんでいるのも見えた。

 裸眼だと車道はさんだむこうの歩道から手をふられた日にゃあ、だれやらぜんぜんわからん。思い切りあいさつしてみて、近づいたら知らんヒト、ゆうのもよくある。

 むかしはこんなんだったんだろうなあ、と夕方しみじみ思った。

 なにがええっちゅうて、きれいなおねえさんがよく見えるっちゅうのが一番良かった。
 なんか得した気分

 ただ、それだけ。

2011年7月22日金曜日

とかげ の はなし

 くつ屋さんにて。

 娘が、「さっき(店内に)、すごいでっかいトカゲがいた」と、興奮ぎみに言うてきた。
 「立ち上がったりしていた」、「とにかく大きい」などと言うもんだから、ふたりでさがしはじめた。

 "すごいでかいトカゲ"、"立ち上がったりする"ゆうのを聞いて、勝手にイグアナみたいなんを想像した。

 「ペットか?」
 「ちがうと思う」

 やっとみつけた"すごいでかいトカゲ"は、しっぽ入れても15cmぐらいの、ちっこいトカゲだった。くつの箱の間を、ちろろ、ちろろっと走っている。
 たしかに前足をつっぱるようにして、上半身をもたげたりする。どうどうとした態度が笑える。

 クーラーががんがん効いてる店内に置いといてもしょうがないので、ちょろちょろと逃げまわるのを両手でつつみ込むようにしてつかまえた。

 店をでて、手をあけると、ちょろろっと腕にでてきたがおとなしい。

 カメラで娘が写真を撮った。思い切り接写で。
 あーでもないこーでもないとえらく時間をかけたが、おとなしく腕にのっていた。てのりトカゲか・・・。

 記念写真がすみ、逃がしてやることにした。ほれっと腕を地面に近づけたが逃げない。
 そらそらと、背中をつついてやっと地面におりた。

 もう帰るぞ、ゆうても娘はトカゲのそばにしゃがみこんでいた。
 すごいおとなしくて、背中にさわれたとうれしげに言っていた。

 店内でトカゲをつかまえるとき、いっしゅんびびってしまった。子どものころは、トカゲでもカエルでも虫でも、平気でつかんで遊んでいたのに。

 ひさしぶりに手にした、おおきな態度の小さなトカゲは、すごくかわいかった。ちょっとうれしかった。

2011年7月19日火曜日

かぜが びーぶー ふいてきて

 雨こそふらんけど。台風がちかづいてきて、風がびーぶーと吹きはじめた。

 窓を閉めるときに、ピウッっと口笛のような音がした。

 ベランダの飛びそうなぶっそうなもんはかたづけて、物干し台は倒している。

 問題は、ただいまの室温・・・、29.6度。

 強風で、がんごんとやばげな音が外から聞こえてくる。さすがに窓を開けたままじゃあ寝られない。

 寝室にはエアコンがない。頼みの綱は、扇風機だけ。

 けさも、あまりの暑さとカラスのがあがあゆう声で5時半ごろに目が覚めた。
 ちゅうか、暗いうちに暑くていっぺん目が覚めて、リモコンで扇風機をつけた。

 明日のあさには、"おっさんの蒸し焼きのできあがり"、になるかも。
 あ"−、あづい。

2011年7月11日月曜日

”ひとりで生きるモン! 4”  西炯子/作

 でへへ、いまいちだった。

 気に入った小ネタはあったんじゃけど、全体的にゃあ、"買って読む"ほどじゃあなかった。
 なんでじゃろ?
 
 "こんなん出ましたけど、見る?"の中に入っとるシリーズもあったんじゃけど、こっちの方はさほどおもしろぐなかった。勝手いってスマヌ。

 視点が女性からのもんが多いけえじゃろうか。頭がバーコードバトラーのおやぢのネタはけっこう好きなんで。

 ほいでさらに、買ったのがいきなりの4巻。
 なにしてんじゃ、ワシ。意味わからん。

 ジャジャーン!
 ムダマン!
 (これ、いちばんイラっときたネタだわ。)




   "ひとりで生きるモン! 4"  西炯子/作 徳間書店/発行

2011年7月6日水曜日

すっぽん すっぽん

 自然がわたしを呼んでいたので、トイレに行った。

 洋式の個室に行くと、便座ん中に、てんこもりにトイレットペーパーがはいっとった。

 「こりゃ詰まっとるけえだめじゃん」と思ったが、無意識に手がのびて、"流す"レバーを下げてしまった。

 あんのじょう、がっつり詰まっとって、ぐんぐん便座ん中の水位が上がりはじめた。

 「おーっ、やばい! とまれとまれとまれとまれ。」

 願いが通じたのか、フチまで10cmゆうところで水は止まった。

 「だめじゃ。助けを呼ぼう。」、とトイレを出ようとしたところで、"スッポンスッポン"を手に(正式名称わかんね)、掃除のおばちゃん登場。

 「おー、いま助けを呼ぼうと思ったんよ。」
 「そーじゃろう。これ持ってきたけえ、いまやるけえね。見ときいよ。」

 「こないだ1階の女子トイレが詰まってねえ。(こんなあふれて)そりゃあすごかったんじゃけえ。」と、おばちゃんはマシンガンのようにしゃべり続けながら、"スッポン"やったり、便器んなかにゴム手の手えつっこんだりしながら、いっしょうけんめい作業をしよった。しゃべり続けながら。汗だくで。

 仕事とはいえ、おばちゃんかっこええ、と思いながら神聖な作業をながめていたが、ぼーっと見とっても意味ないことに、ふと気がついた。

 「ほいじゃあ、きれいになったごろに来るけえ。」
 「んっ、わりーけどそうしてっ。」

 が、トイレから通路に出たとたんに、トイレん中からおばちゃんが大きい声でたけっている(叫んでいる)のが聞こえた。

 「にいさーん、にいさーん。もお、ええよー。」

 おばちゃんありがとう。でも、こんどから、小さい声で言うてね。はずかしいから。

”PEACE MAKER”7巻 皆川亮二/作

 たいへん失礼なことじゃけど、偏見があって皆川亮二氏のマンガは、まともに読んだことがなかった。

こんかいは、題名になっている、鉄砲の"ピース・メーカー(コルト・シングルアクション・アーミー)"を自分が好きなこともあって、1巻から読みはじめた。

皆川氏は絵も話もうまいが、なんか最後に失速するイメージがあって、いままで手を出さんかった。"ARMS"とか、あと少しで買いそうじゃった。アリスをモチーフにしてるらしいことは、ちょびちょび見て知っとったが、ぎりぎりんとこで踏みとどまっていた。
で、読んでみると、皆川氏はウマイ。

絵はもちろんでゆうこたあないけど(きれい、美しい。)、話の筋も、毎回、「ここで終わるんかい!」っちゅう感じで、ぐいぐい引っぱる。
とくに目新しいネタはないような気がするけど(ナマイキでスマヌ)、きちっと読ませる職人ゆう感じ。 感動して涙がこぼれるこたあないけど、読み終わる巻ごとに、「うーん」とうなり声をあげてしまう。
7巻目の終わりは、びっくりぎゃうてんじゃったけど。そーくるとは思わんかった。
さんざん引き付けておいて、ずばっと置いてかれた。まじか・・・。

ピストルなんかは、人を撃つ以外には能がないしろもんで、それに"ピース・メーカー"なんちゅうあだ名をつけるなんぞ最悪の冗談だが、アメリカで始まったんだか日本でだかわからんけど、むかしからこのコルトの銃はそう呼ばれている。
開拓時代の終わりから南北戦争と、シンプルでがんじょうなこの銃は活躍し愛されてきた。血を吸ってきたといえる。
現代の、ウェスタンと呼ばれる映画でも"活躍"し、いまにいたる。

そおゆう言葉の響きと矛盾する暗い面を、題名にも内容にも充分にふくんで、お話は続いている(好評連載中)。
さてどうなりますやら、続きが楽しみ。




"PEACE MAKER"7巻 皆川 亮二/作 集英社/刊

2011年7月5日火曜日

”梁塵秘抄”しちてんばっとう

 10年寝かしてきた"梁塵秘抄"を、やっとこさで読みおえた。
 まさに、七転八倒(しちてんばっとう)。ちゃんと学校で勉強しときゃあよかった。

 "遊びをせんとや生(うま)れけむ"というウタが、もともと何にのってるのか読んでみたかった。岩波文庫版を買ったはよいが、古文を読む能力がないため、びびって書架に置きっぱなしになっていた。

 なんのきっかけかはわからんが、よし読むぞっとカバンにほうりこんだ。

 で、いざ読みはじめるときに、"辞書を引かない、ト書きもきょくりょく読まない"、と決めた。どーせ読解力はないんで、いきおいで読もうと。

 あらゆる言葉がわからんのんだから、辞書を引きはじめたらキリがない。
 解説のト書き(とがき)も、ト書きの王様といわれた士郎正宗氏(マンガ家)が、一回目読むときは、ト書きを読まんほうがよい、ト書き読んでたら、話の流れはわからんしよけいに混乱するので、二回目、三回目から読みはじめたほうがよい、てなことをむかし言ってた(今は亡き雑誌、"スタジオ・ヴォイス"で)。

 読んでみると、おもしろかった。ミエでなく・・・。

 後白河法皇は、強大な力と腹黒さをあわせ持つ、"ラスボス"なみのおっさん(よーするに悪役)、と思っていた。
 んだけども、梁塵秘抄のとくに口伝集のはじめの、今様"廃人"の告白を読むと、きゅうに愛すべきヒトに思えてきた。

 この道ひとすじ、四十ゆうよ年。のどをつぶすこと3回。しとみ戸を閉めたまま唄い続けたら、朝がきたのに気づかんかった話など、まさに"廃人"。または"神"か?
 (今様に関しては)後白河はバカだ、みたいなカゲ口をたたかれていたようだが、まったく意にかいすることはなかっただろう。

 あとをついてきてくれる人がいないと、さびしい気持ちを述べておられたが、そりゃあ無理っちゅうもんです。あなたほどひとつことに入れ込める人は、そうはおらんでせう。

 いい歌声が聞こえたからといって、見も知らぬ、身分も知らぬ人んちにいきなりはいりこんだり、今様(いまでゆう歌謡曲か?)のことになったらみさかいない。ぎゃくに、その時代なりの差別意識とか普通にあるようだが、今様とそれにからむ信仰の話になったら、女性や遊女(あそび)についても、尊敬するようなことばがあったように思う。

 いっしんに往生を願う気持ちをつづったところや、同志であり先生でもある白拍子、乙前との永久(とわ)の別れのエピソードなど、じーんとくる。感動した。

 それと、安芸の宮島、厳島に参ったときの話がおどろいた。潮がみちると回廊まで波がくるとか、後白河法皇が感動して記したそのままが、いま、現代もある。彼の見、感動した風景を、そのままいまも見ることができる。さすが世界遺産にもなるわけだわ。

 口伝集の方の、調(しら)べや拍子がどうの、楽器と合わせるときはどうのといった、研究書然としたところは、さすがに読むのがつらくって、にょろにょろの草書がそのままでてきたひにゃあ泣きそうになったが、なんとか読みおえた。
 これも阿弥陀さまのおみちびきか。ナンマンダブ、ナンマンダブ。


 "遊びをせんとや生(うま)まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生(むま)れけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ。"
 梁塵秘抄巻第二より

2011年7月3日日曜日

”二の腕美人” 外岡えりか嬢

 今週の(もうすぐ先週)週刊アスキーの表紙はコレ。

 http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/047/47256/

 ひと目見たときの感想は、「おっ、"二の腕美人(著作権:
西原理恵子女史)"だ。かわいい。」ゆうもの。

 "マルモのおきて"に出演されてたとのことなんで、いまを
ときめく方なんでしょうけど、テレビ見んのんで知らんかった
(スマヌ)。

 さいきんの、レギンスだのスキニーだの、細い足をこれでも
かっちゅうくらいに、脅迫的に強調したファッションは、うん
ざりする。個人的に。
 ぎりぎりとコルセットで締め上げたような足で、オウ脚ぎみ
に歩いているお嬢さん方を見ると、「自慢か、それは自慢なの
か。足が細いことはそんなにいいことなのか?」とつっこみた
くなる。

 で、外岡(とのおか)えりか嬢。
 若者ちゅう感じでかわゆくて、安心するんですけど。個人的
に。おっさんとしては。
 やっぱ、個人的には、ですけど。