まさに、七転八倒(しちてんばっとう)。ちゃんと学校で勉強しときゃあよかった。
"遊びをせんとや生(うま)れけむ"というウタが、もともと何にのってるのか読んでみたかった。岩波文庫版を買ったはよいが、古文を読む能力がないため、びびって書架に置きっぱなしになっていた。
なんのきっかけかはわからんが、よし読むぞっとカバンにほうりこんだ。
で、いざ読みはじめるときに、"辞書を引かない、ト書きもきょくりょく読まない"、と決めた。どーせ読解力はないんで、いきおいで読もうと。
あらゆる言葉がわからんのんだから、辞書を引きはじめたらキリがない。
解説のト書き(とがき)も、ト書きの王様といわれた士郎正宗氏(マンガ家)が、一回目読むときは、ト書きを読まんほうがよい、ト書き読んでたら、話の流れはわからんしよけいに混乱するので、二回目、三回目から読みはじめたほうがよい、てなことをむかし言ってた(今は亡き雑誌、"スタジオ・ヴォイス"で)。
読んでみると、おもしろかった。ミエでなく・・・。
後白河法皇は、強大な力と腹黒さをあわせ持つ、"ラスボス"なみのおっさん(よーするに悪役)、と思っていた。
んだけども、梁塵秘抄のとくに口伝集のはじめの、今様"廃人"の告白を読むと、きゅうに愛すべきヒトに思えてきた。
この道ひとすじ、四十ゆうよ年。のどをつぶすこと3回。しとみ戸を閉めたまま唄い続けたら、朝がきたのに気づかんかった話など、まさに"廃人"。または"神"か?
(今様に関しては)後白河はバカだ、みたいなカゲ口をたたかれていたようだが、まったく意にかいすることはなかっただろう。
あとをついてきてくれる人がいないと、さびしい気持ちを述べておられたが、そりゃあ無理っちゅうもんです。あなたほどひとつことに入れ込める人は、そうはおらんでせう。
いい歌声が聞こえたからといって、見も知らぬ、身分も知らぬ人んちにいきなりはいりこんだり、今様(いまでゆう歌謡曲か?)のことになったらみさかいない。ぎゃくに、その時代なりの差別意識とか普通にあるようだが、今様とそれにからむ信仰の話になったら、女性や遊女(あそび)についても、尊敬するようなことばがあったように思う。
いっしんに往生を願う気持ちをつづったところや、同志であり先生でもある白拍子、乙前との永久(とわ)の別れのエピソードなど、じーんとくる。感動した。
それと、安芸の宮島、厳島に参ったときの話がおどろいた。潮がみちると回廊まで波がくるとか、後白河法皇が感動して記したそのままが、いま、現代もある。彼の見、感動した風景を、そのままいまも見ることができる。さすが世界遺産にもなるわけだわ。
口伝集の方の、調(しら)べや拍子がどうの、楽器と合わせるときはどうのといった、研究書然としたところは、さすがに読むのがつらくって、にょろにょろの草書がそのままでてきたひにゃあ泣きそうになったが、なんとか読みおえた。
これも阿弥陀さまのおみちびきか。ナンマンダブ、ナンマンダブ。
"遊びをせんとや生(うま)まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生(むま)れけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ。"
梁塵秘抄巻第二より
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