2011年10月20日木曜日

”瀬戸内の民俗誌”沖浦和光/著

 やっと読み終わった。で、勝手なざっかんを。

 おもしろく、文章も読みやすかったんじゃけど、行きつもどりつ、ていねいに読んでたら、まとまった時間がとりにくいこともあってえらく時間がかかった。楽しい時間だった。

 がちがちに出典しめして論考した学術書、ゆうかんじじゃなくて、「ほんまでっか? せんせい」と思うような余地も残してある、エッセイっぽい文章で、とても読みやすくおもしろかった。
 このせんせが、どこをどのような目線で見てるか、というのが波長があうらしくて、読んでて楽しい。ときには、ふっふと笑ってしまう。

 瀬戸内が舞台なんで、とうぜん知ってる地名が多く出るんじゃけど、自分がいま知るその土地とはずいぶんと違ってるのも興味深かった。意外だったり、やっぱりほうかと納得したりいろいろ。

 中央権力にあらがう海賊・水軍や、念仏衆や親鸞さん、日蓮さんの話はわくわくしながら読んだ。血わき肉おどる、ゆうてもおおげさじゃないぐらいの気分だった。痛快だった。

 海賊、水軍、海・浦の被差別部落やおちょろ船などは、興味津々で夢中で読んだが(興味本位ですんません)、それだけじゃなくて、漁民はどのようなくらし、身分だったんだろうとか、豊かな農地を持たない海ぎわや島嶼部の人たちは、どのようなくらしだったのだろうか、などといういままで素朴に思ってきたことについての、ヒントがあったように思えた。

 自分の住んでるとこにしても、万葉集に地名が出てくる何ぞと誇りに思っているが、海のすぐそばまで山がせまっているとこがほとんどで、農本主義(それも米)の社会では、とても豊かな地域だっとは思えない。それでもずいぶん古い集落(もちろん伝説つき)が、幹線の街道からははずれていると思われるところにあったり、高速艇で1時間近くもかかる小さな離島に古い歴史があったりする。

 がっこでならった、"士農工商"および被差別民(エタ、非人)にあてはまらない多様な職能民がいて、瀬戸内だけで見てもたくさんの部族(や国籍)のヒトがいて…。
 親しく交わるとは限らず、時には陰湿で厳しい差別があったようだけど、互いに影響しあいながらくらしてきた、というイメージが広がった。

 ロマンをいだけるような余地はないが、飢餓や貧困、武力闘争や厳しい身分の差別、そういうものも含んで、豊かな世界のように自分には思える。
 それでも名もない人たちは生き残っていき、そのようなものをうち壊していくエネルギーが生まれたりもしたんだから。

 つぎも瀬戸内関係(離島物語)の本を読む予定なんじゃけど、まず足元で、地元の郷土史をはやいうちに読んでみなければ。
 地元にも、江戸期に開港されていまも現役の港があったり、著名な観光地でもないのに、人口に比して異様に大きい歓楽街があったりと、考えるにおもしろい話題がたくさんあるのだから。
 おちょろ船はどうか知らないが、売春防止法施行以前の"遊女"の数はそうとうなもんだったみたいだし。

"瀬戸内の民俗誌"
‐海民史の深層をたずねて‐
沖浦和光/著
岩波新書

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