先週見舞いに行ったときには、いつもとかわらず、元気だったという。
数日前まで、話をし、自分の口からご飯を食べ、二日前には風呂にも入ったという。
それが、とくにどこが悪いということもなく、意識がもどらなくなった。
病院に搬送することはせず、この何年間かをすごした施設で、おわりのときを迎えることとした。
息をひきとるさいごのときまで、くるしむようすもなく、眠っているようだったという。
天塩にかけた子ども全員とまではいかなかったが、3人のうち2人が、お迎えがくるのを見守ることができた。
祖母の顔は、とてもきれいで、眠っているようだった。
自分の足で歩くことがむずかしくなってから何年にもなり、手足はやせて、小さな体がますます小さく見えた。
しかし、肌はとてもきれいで、アザひとつなかった。
よほど血行がよく、また、施設の職員もよく世話をしてくれたのだろう。
施設の職員は、百歳をこえて、こんなに肌がきれいなヒトはめずらしい、徳があったのでしょう、と述べていた。
"徳"
さっこん、あまり聞かない言葉であるが、おおげさでなく、祖母は、いつも少しずつ徳を積み続けた人生だったと思う。
化粧をし、着物をきせてもらうと、しゃっきりとし、ますますきれいになった。
ヒトの生き死にに、よいも悪いもないけれど。うらやましいようなさいごだった。
少し風がつよいが天気がよくて、窓ぎわなどは、ぽかぽかとあたたかいほどの日だった。
二人の子どもに見守られて、死ぬにはよい日だったのだろう。
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