やっと読み終わった。
そんな文章量じゃないのに、えらく時間がかかった。
なにせ、言葉がわかんない。字が読めない。
小学校で習いそうな字なのに、読みがわかんないから、辞書も引けない。やっぱ、週刊少年ジャンプみたく、全部の漢字に読みがなふってほしかった。
それでも、さすがは広辞苑。えらいぞ広辞苑。こんなに広辞苑に助けてもらったのは初めて、ゆうぐらいにお世話になった。古語レベルの言葉でも、平気で のってるので、助かった。
本の内容は、小論考をがっさり集めたゆう感じで、題名にそって一から十まで進むというものではなかったが、おもしろかった。
なるほど、とひざをたたくとか、目からうろこが落ちる、と言えるほど、自分の力では理解することはできなかったし、網野せんせにしても、これは言っても 安心、てな内容ではなく、せんせ自身も悩んでいたり、挑戦的、冒険的な問題提議のようなもんが多かったような気がする。
こんな材料があるから、推理はこう、と言われても、ほんまですかせんせ!、と思うことが多々あったが、とにかく楽しい。わくわくした。冒険につれ てってもらっているようだった。
こんだけ字が読めなくて、知識が足りなくて、こんだけおもしろいんだから、もっと自分に力があったらと、非常に残念。
ついて来れるやつだけついて来い、と言われて、はるかにおいてかれたが、それでも、足あとを追って、ついて行きたくなる。そんな感じ。
非人にしても、遊女にしても、彼らをとりまく差別の問題にしても、頭の中のハテナはいや増すばかり。で、ますます知りたくなった。
非人、神人、河原者。遊女、白拍子、傀儡子。そして、いままで自分の視界には入っていなかった、馬借や女房、博打。彼らがまとう聖性や、世俗的といえる ようなたくましさにあこがれる。もっと彼らのことを知りたいと思うが、姿はいまだにぼんやりしていて、なかなか近づけない。網野せんせも故人になってし まったいま、このての分野の研究は、いかほど進んだのでしょうか?
また、女性が財産を持ち、管理していたことや、以外に自由に行動(旅)ができていたことは、初見ではないが非常におもしろかった。宮田登さん(宮 田せんせも亡くなられてしまった)との対談で読んだのかな。
当時の女性の行動を、驚きをもって記述した、戦国時代の宣教師フロイスの記録も、読んでみたくなった。
女性や子どもが、場所や時間帯に関係なく、自由にうろうろする伝統は、いまでも続いているかも。こんな国は、治安のよしあしに関係なく、どこにもないの では?、と思う。
自分には、古い聖なる力を持つ人々、賎視され抑圧される人々に、勝手なロマンをいだく傾向があること、それも差別・偏見の一形態であることを、頭 ではわかっている。
しかし、彼らのことを知りたい、もっともっと、という気持ちは止められない。
自分の中の、彼らに対する勝手なロマンに流されることなく、自分の祖先である彼らを、これからも追いかけていきたい。
さて、つぎは何を読もう? 新しい本を読むか、昔々に読んだ本を読みかえすか。
新しい”目”を手に入れ、世界を見ることができるようになる。それが、読書の楽しみ。
そんな文章量じゃないのに、えらく時間がかかった。
なにせ、言葉がわかんない。字が読めない。
小学校で習いそうな字なのに、読みがわかんないから、辞書も引けない。やっぱ、週刊少年ジャンプみたく、全部の漢字に読みがなふってほしかった。
それでも、さすがは広辞苑。えらいぞ広辞苑。こんなに広辞苑に助けてもらったのは初めて、ゆうぐらいにお世話になった。古語レベルの言葉でも、平気で のってるので、助かった。
本の内容は、小論考をがっさり集めたゆう感じで、題名にそって一から十まで進むというものではなかったが、おもしろかった。
なるほど、とひざをたたくとか、目からうろこが落ちる、と言えるほど、自分の力では理解することはできなかったし、網野せんせにしても、これは言っても 安心、てな内容ではなく、せんせ自身も悩んでいたり、挑戦的、冒険的な問題提議のようなもんが多かったような気がする。
こんな材料があるから、推理はこう、と言われても、ほんまですかせんせ!、と思うことが多々あったが、とにかく楽しい。わくわくした。冒険につれ てってもらっているようだった。
こんだけ字が読めなくて、知識が足りなくて、こんだけおもしろいんだから、もっと自分に力があったらと、非常に残念。
ついて来れるやつだけついて来い、と言われて、はるかにおいてかれたが、それでも、足あとを追って、ついて行きたくなる。そんな感じ。
非人にしても、遊女にしても、彼らをとりまく差別の問題にしても、頭の中のハテナはいや増すばかり。で、ますます知りたくなった。
非人、神人、河原者。遊女、白拍子、傀儡子。そして、いままで自分の視界には入っていなかった、馬借や女房、博打。彼らがまとう聖性や、世俗的といえる ようなたくましさにあこがれる。もっと彼らのことを知りたいと思うが、姿はいまだにぼんやりしていて、なかなか近づけない。網野せんせも故人になってし まったいま、このての分野の研究は、いかほど進んだのでしょうか?
また、女性が財産を持ち、管理していたことや、以外に自由に行動(旅)ができていたことは、初見ではないが非常におもしろかった。宮田登さん(宮 田せんせも亡くなられてしまった)との対談で読んだのかな。
当時の女性の行動を、驚きをもって記述した、戦国時代の宣教師フロイスの記録も、読んでみたくなった。
女性や子どもが、場所や時間帯に関係なく、自由にうろうろする伝統は、いまでも続いているかも。こんな国は、治安のよしあしに関係なく、どこにもないの では?、と思う。
自分には、古い聖なる力を持つ人々、賎視され抑圧される人々に、勝手なロマンをいだく傾向があること、それも差別・偏見の一形態であることを、頭 ではわかっている。
しかし、彼らのことを知りたい、もっともっと、という気持ちは止められない。
自分の中の、彼らに対する勝手なロマンに流されることなく、自分の祖先である彼らを、これからも追いかけていきたい。
さて、つぎは何を読もう? 新しい本を読むか、昔々に読んだ本を読みかえすか。
新しい”目”を手に入れ、世界を見ることができるようになる。それが、読書の楽しみ。
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