2010年12月31日金曜日

おおみそか

2010年も、のこすところあとわずかとなりました。

今年は、政権交代とか、たばこの大幅値上げとか、ボーナスからのこづかいが2割カットとか、いろいろときびしいことが多くありました。

しかしながら、一年間、まあまあ元気にすごせました(ほんとはギリだったぜい)ので、よしとしましょう。

来年が、よりよい年となりますようお祈りして。

ほいじゃあみなさま、よいお年を。

2010年12月30日木曜日

ゆきはやんだ

 天気予報はあたって、えらい雪が降りよったんじゃけど、いまはやんだ。

 ことし2回目の忘年会は、さっき解散。
 年2回ぐらい集まるメンツ。盆と正月(年末)ですね。
 カラオケボックスにはいって、2時間しゃべくっとった。だれも、一曲も歌わなんだ。

 なんぼーひさしぶりでも、会えば昔のまま。
 こおゆうメンツは貴重じゃね。

 で、いまはショットバーで、コーヒーを飲んでます。

 ひとりぼっちじゃけど、まわりがおもしろい。
 あっちの話聞いたり、こっちの話を聞いたり、となりのヒトのたばこの匂いをかいだり。
 ほほー、ここで出会いがあるんじゃ。あっ、ふられちった・・・。

 若者は、やっぱ恋愛の話が多いね。
 自分も枯れてるわけじゃないけど、なんか遠い話のようだ。
 自分も若いころはあったんじゃけど。

 もうすぐ1時じゃけど、けっこう客が多い。
 おっさんは、自分ひとりじゃけど。

 そろそろ帰って寝るべか。

きょーふー ちゅういほー

 あさの雨があがり、天気予報がはずれて、雪がふらんかったのはええんじゃけど、ものすっごい風がふいている。

 ベランダの灰皿のなかが、からっぽになっとった!

2010年12月28日火曜日

よくもわるくも

 よくも悪くも、今年のお仕事は、今日で終了。

 うまくいってもいかなくても、一生懸命やっても力ぬいてても、時間はたつ、月日はすぎる。

 だからこそ来年は、も少しふんばって仕事をせねば。

 がんばれよ、じぶん。「おー」。

2010年12月27日月曜日

よいこにはプレゼント

 じつは、何年かぶりで、自分とこにもサンタが来た。

 自分でツリーに置いといたのをのぞけば、10数年ぶり。

 で、ものはライターだったんじゃけど、ちょっと困っている。

 ライーターは、すぐなくすもんで、ずっと100円ライターを使っていた。
 それが、いまどき使い捨てゆうのもどうか、と思い立って、デザインやら機能やら、すごい選んで購入した。
 それを、どっかに忘れることもなく、1年ぐらい使い続けていた。気に入ってた。

 ところが今回、新しいライターをプレゼントされてしまった。

 もらったライターは、自分で選ぶときにも候補に入れてたもん。いわゆるブランド品ではないけれども、実用として一級のメーカ。デザインも、機能をうまいこと表したかっこいいもんになっている。

 もらったからには、使わんと悪い気がして、クリスマスから新しいほうを使っている。

 まえのは、ちっこい文鎮かい、ちゅうくらいに重かったのが、ポケットに入れといてもじゃまにならんくらいに軽くなって、実用的にはよくなったような気がするんじゃけど。

 でも・・・、慣れもあって、自分の選んだものほど、正直しっくりこない。
 重さとか、ふたを閉じたときの音とか、ちょっと色気が足りんような気がして。

 でも、でも、使わんとわりーよねえ。10年ぶりにサンタさんがくれたんじゃけえ。
 だいじにせんと、二度とサンタが来てくれんような気がする・・・。

2010年12月25日土曜日

”東京ゴッドファーザーズ” あれ!?

 何年ぶりかで、東京ゴッドファーザーズをみた。

ひさしぶりに、スクリーンとプロジェクタまでひっぱりだして、気合入れて。

すると・・・、なんか、記憶がだいぶちがう。

クリスマスイブの、短い話と思うとったが、クリスマスイブの”キセキ”がはじまりで、お正月の”第九”で終わるはなしじゃった。

とにかくキセキのお話し、ゆうとこはあってたが。

で、どうだったかゆうと、めちゃめちゃおもろかった。
こてこてのギャグ満載。これでもかっ、ゆうぐらいに、もうこてこて。
なおかつ、ひとにやさしい。人を見る目ゆうか、この世界のとらえ方ゆうか。

こおゆう映画みると、元気出るなあ。

2010年12月24日金曜日

あどべんと

 きーいよーしーと、こーのよーるー。

 よかったのかわるかったのかわかんないが、ヤオヨロズの神にまぜられてしまい、すっかりニッポンに定着しちゃった、"ジーザス・クライスト・スーパースター"。
 キリスト教って、一神教なんじゃけど・・・。

 御子がもうすぐ、もうすぐお生まれになる、とキリスト者が降誕を心待ちする、聖なる夜に、うちら異教徒は、どんちゃんどんちゃんばか騒ぎしてすごすのだ。

 はよトリ食って、ケーキ食って、家族全員で、映画"東京ゴッドファーザーズ"を見るのだ(追悼、今敏監督)。
 少しは俗な心があらわれるのでは。
 クリスマスといやあ、これか、"ナイトメア・ビフォア・クリスマス"。"サンディ・クローズ"もいいかもしんない。

 子どもを寝かしつけてから、ツリーにプレゼントを。
 小6の娘は、「サンタはいるわけない」と思いながらも、いまだにいちるの望みを捨てきれないようだ。「サンタは父さんよね?」、などと、わざわざ聞いてくる。
 めんどくさいので、はやくあきらめてほしい。

 さらに目をぬすんで、かみさんへのプレゼントをセットしなけりゃならない。
 はるか極東の、ニッポンのクリスマスの夜はながい。

 わが家では、よい子には、みんなプレゼントがあるのだ。
 いつもないのは・・・、わしだけ。
 「むかし父さんにもあったことあるじゃん。まわるメイド・イン・ワリオ。」、つってそりゃあ、くやしいけえ、自分でおいたんじゃ!

 

2010年12月23日木曜日

くつしたをかいに

 きのうの忘年会で、靴をぬいで座敷にあがるときに、くつしたに穴があいているのに気がついた。
 おまけに、愛用している五本ゆびのくつしたは、スニーカーソックスで、足くびの下のほうまでしかないので、さすがに寒くなってきた。

 というわけで、くつしたを買いにでかけた。

 たまにはエンジンをかけねば、ゆうことで、準旧車をわざわざ引っぱりだした。
 車は多いが、けっこうな速度で快適に流れていた。
 エンジンは、セル一回でかかったが、なんかアイドリングが高いな・・・。ま、ええか、冬じゃし。

 店に入ると、正面のワゴンに、コラボ商品の、”モンハン”Tシャツが積まれていた。
 すぐに食いついてしまい、子ども用に2枚、デザイン違いをカゴに入れた。
 限定で、アイルーのストラップ付き、と書かれていた。
 はやりもんと限定に弱すぎる。おまけに、自分がよろこぶものは、子どももよろこぶと思いこんでいる。
 うちにゃモンハンはないけど。

 次の通りで、処分品のパーカーが目に入った。いま着ているスウェットは、背中のタグんとこに穴があいたので、ふせって(ふさいで)もらっている。
 で、またこれをカゴに入れた。
 ”処分品”ゆうひびきにも弱い。

 そこで通りを戻って、白の長袖Tシャツも2枚カゴに入れた。
 こりゃあ、いま2枚を着まわししてるので仕方ない。うち一枚は、小さい小さい穴が胸にぽちっとあいているのを、「下に着るんじゃけえ、見えんじゃろ」と思っていたが、こないだ娘に、「とうさん、穴あいちょるよ」と指摘を受けた。

 やっとくつしたに到着。五本ゆびソックスを、色違いで2本ずつ、ぱっぱとカゴに入れた。
 この6本のくつしただけで、春までをのりきるのだ。いや、夏、暑くなるまでか。

 思いのほかカゴに入れてしまったので、金が足りるかびびった。
 いっしょうけんめい商品の数を数えて、財布を見た(暗算はできない・・・)。

 レジを打ってもらうと、「えっ、ほんまに?」ゆうくらいに安かった。
 世の中、こんなんじゃあ、いけんと思う。ひたすらに、「安く、よい商品(サービス)を」では、みんなが飯を食えなくなると思っている。必要なコストを、みんなで負担しなければ。自分がヒトに金を払いたくない、ゆうことは、ヒトも自分に金を払いたくない、ゆうことだ。


 でも、(ユ○クロは)本社が山口じゃけえ、まあええか、と自分に言い聞かせて、おうちに帰った。

のみすぎです

 飲みすぎです。

 遊びすぎです。
 よう遊びました。

 おっさんは、つかれました。
 零時すぎまで飲んだのは、ひさしぶりです。

 で、やっぱりコーヒーが飲みたくなって、ショットバーへ。

 いつものバーは、いつもどおりに、わかものがいっぱいです。
 ぎっちりです。

 二人がけのイスに、三人かけてたりします。
 よう座っとんな。

 わかいって、ええですね。

 じぶんが戻りたいとは思わんけど、いいです。

 わかもの、がんばれ。

 おまえ(自分)もな。

2010年12月21日火曜日

かいきげっしょく

 3年ぶりの皆既月食らしいんじゃけど・・・。

 雨ふっとって、ぜんぜん月みえんし。

 ちょい楽しみにしとったのに、残念。

 と、お好み焼きが焼けるのをまっている、わたし。

 いま、兄ちゃんが、まるく生地を鉄板にひいている。

2010年12月20日月曜日

もちつき

 きのうは、もちつき。

 もちをつく前から腕がだるかったのは、前の日の飲み会で、鍋を両手にかかえて家まで持って帰ったから。
 直径40cmはあろうか、ゆう大鍋で、中身は"元アンコウ鍋"で、持って帰るときはアンコウは跡形もなくて、"カニ鍋"。中身たっぷしで、重し!

 もちをつく、ゆうかこね始めたらすぐダウン。すぐに交代してもらって、ちょこまか入るが、すぐダウン。
 でも、交代要員に、若いもんがおらんのんですけど。

 まだ終わらんのかい、と中盤からずっと思いよった。
 蒸される順番マチのもち米を、うらめしそうに見ながらもちをつく。

 年寄り連中は、やたら元気で、疲れを知らない。
 えらい力強くて、ついたときの音もちがう。ほそい体のどこにあんげな力があるんじゃろうか。

 年寄りのほうが、あきらかに体力があるんじゃけど、雰囲気で出ざるをえんで、はりきって。

 で、あんのじょう、きょうは筋肉痛。
 腹も背中も、足も痛い、ダルい。

 うでは、なんも持ってなくても重いんすけど。うで自体が重いんすけど。

 手なんか、ずっとぷるぷるしてて、はし持っても、ペン持っても、ずっとぷるぷるぷるぷる。
 ゆびの一本一本が、痛いんすけど。右手の親指なんか、ぜんぜん力が入らん。

 字が、書けんのんですけど。仕事にさしつかえとるんですけど。
 何日ぐらいで治るんでしょうか? この、ぷるぷるぷるぷる、ふるふるふるふる。

2010年12月12日日曜日

死ぬにはよい日

 きのうお昼まえ、祖母が亡くなった。

 先週見舞いに行ったときには、いつもとかわらず、元気だったという。
 数日前まで、話をし、自分の口からご飯を食べ、二日前には風呂にも入ったという。

 それが、とくにどこが悪いということもなく、意識がもどらなくなった。
 病院に搬送することはせず、この何年間かをすごした施設で、おわりのときを迎えることとした。

 息をひきとるさいごのときまで、くるしむようすもなく、眠っているようだったという。

 天塩にかけた子ども全員とまではいかなかったが、3人のうち2人が、お迎えがくるのを見守ることができた。

 祖母の顔は、とてもきれいで、眠っているようだった。

 自分の足で歩くことがむずかしくなってから何年にもなり、手足はやせて、小さな体がますます小さく見えた。

 しかし、肌はとてもきれいで、アザひとつなかった。
 よほど血行がよく、また、施設の職員もよく世話をしてくれたのだろう。

 施設の職員は、百歳をこえて、こんなに肌がきれいなヒトはめずらしい、徳があったのでしょう、と述べていた。

 "徳"

 さっこん、あまり聞かない言葉であるが、おおげさでなく、祖母は、いつも少しずつ徳を積み続けた人生だったと思う。

 化粧をし、着物をきせてもらうと、しゃっきりとし、ますますきれいになった。

 ヒトの生き死にに、よいも悪いもないけれど。うらやましいようなさいごだった。

 少し風がつよいが天気がよくて、窓ぎわなどは、ぽかぽかとあたたかいほどの日だった。
 二人の子どもに見守られて、死ぬにはよい日だったのだろう。

2010年12月8日水曜日

まれびときたりて

 アドベントの季節になったけど、"もろびとこぞりて"、ぢゃないよ。

 有用な情報があるわけでも、美麗な文章が読めるわけでもない、ここのブログ。

 とうぜん、ほとんどヒトは来ない。

 ほいでも、この何カ月か続けてきたせいか、ぼつりぼつりと、路地に迷いこんでくるように客が来る。一週間のうちに来るとか来んとかゆうレベルじゃけど。

 来たヒトが、どんな感想をもつかはわからんけど、やっぱり客が来るとうれしい。

 上映中の映画だの、出たばかりのマンガのことなどを検索するヒトはわかる。
 が、なにをどうやったらこの記事にたどりつくんやら、まったくわからんヒトがいる。「なにをどうたどったんじゃろか?」と興味がわく。ちゅうか、ぜんぜん想像ができん。

 自分も、思いつきで、ふと検索してみることがあるんで、世の中にはいろんなヒトがいて、いろんなことを、ふと、思いつくもんなんだろう。

 にしても、一番ヒトが来るのは、あいかわらず"ギャグボール"の話なんじゃけど。来たヒトは怒るじゃろうなあ。多分。

2010年12月6日月曜日

「よつばと! 10」

 ゆっくり読みたかった。

 いったりもどったりして、ていねいに見、味わって読みよったら、ほとんど2時間たっとった!

 ときどき、「くそー、シゴトができるようになるクスリねーかなー」とか、「魔法使えねーかなー、マホウ」とか夢想したり、なんかせーかつするのに疲れたり、うまくいかんでふてくされて寝たりするけど。
 このマンガを読むと、この世界で生きてゆくのに、特別なドラマや、すごい能力は必要ないんじゃないかと思う。

 自分の目に見えているもの、見えてないけどどっかにあるもの、すべてが、光り輝くものに満ちているかも、ゆう気持ちになる。

 マンガにかかれている、店の看板や高圧電線の鉄塔、道ばたや空き地の雑草までも、いとおしいものに思えてくる。

 『毎日という宝箱を、今日もあける。』

 これが10巻のオビのことば。

 そうだ・・・。そうかもしれない。

ミスタードーナツ、朝9時半

 通勤のお客さんとかも、もう落ち着いて、店内はがらがらかと思いきや。

 年配のおじさん、おばさんで店はぎっちりいっぱい。

 みんな、でかい声でようしゃべる。店のBGMが聞こえない。

 景気がどうのとか、世の中くらいとか言われとるけど、普通のおいさん、おばさんは、それなりに元気だ。

 雰囲気からいくと、ボート(競艇)の客とみた。
 偏見あるかもしれんけど、ちょっと高揚した雰囲気、顔からの印象。
 みんな楽しそうだ。

2010年12月5日日曜日

『迷解笑辞苑(迷解国語笑辞典)』のこと

 『迷解笑辞苑』を、検索エンジンで、わざわざ調べているヒトがいた。
 すごいうれしかった。

 郡司外史著の『迷解笑辞苑』はながらく絶版となってましたが、郡司利男著『迷解国語笑辞典』として、絶賛発売中です。

 『迷解笑辞苑』は、英文学者の郡司利男氏が、郡司外史の名前で著した、お笑いの辞典。(開拓社より1981年に出版)

 学生時代に、教養を身につけようと思い、本屋でかの有名な、『悪魔の辞典』を手にとった。
 ぱらぱらとめくってみると、こりゃーとてもじゃないが手に負えねへ。内容が難しすぎる。

 一瞬でこころざしは折れたが、となりにこの本が並んでいた。
 『悪魔の辞典』を訳してたのが、郡司利男せんせだった。

 立ち読みしてみると、めちゃおもろい。即、買って帰って、それからは何べん読んだっちゅうもんじゃない。こおゆうのを、座右の書というんだろうか。

 ものすごいへそ曲りで、鼻持ちならない人物が、ぼうだいな古今東西の教養を駆使して、言葉を厳選した辞典が、これ。

 郡司せんせの専門は、英米文学のはずなんじゃけど、なんでこのヒト、こんなに日本の古典とか習俗とか、はては雑学まで、こんな知っとんの? なにものなの、このヒト、ゆうくらいに郡司せんせはスゴイ。

 ついてこれるやつだけついてこい、っちゅう内容なんで、とてもじゃないが全部の内容は理解できない。それでもめちゃおもろい。
 へそはあらぬ方向に曲がっているが、世の中を見る目はしごくまっとうで、結構てきびしい。しかしそれを、声高にアジるのではなく、お笑いにして、項のさいごにちょいと気のきいた川柳や西洋の格言(?)がそえてあったりする。カッコエエ。

 権威も権力もなんも、おかまいなし。うまい言い回しで笑いにのせてしまう。
 下ネタもまんさい。品はないけど、粋と興はある。

 特に下ぜわなネタについてなんじゃけど、消えゆく庶民の習俗、文化ゆう感じがして、ちょいとさみしい面もある。そおゆうものへの愛が感じられる。


 なんべんも読んだところで"布教"を開始し、いまに至る。

 たんくさんのヒトに話し、この本の貸し出しをしてきたが、あるときだれに貸したんやらわからんくなって、返ってこんくなった。

 大事な教典がなくなったのでは、布教どころではない。
 じゃ、もう一冊、と思ったら、絶版になってて入手困難。あせってさがしまくった。
 古書店の集まりみたいなホームページの目録で見つけて手に入れたのが、いま持ってる二冊目。

 絶版になってるんじゃあ、安易に貸し出せんし、と思いよったら、いつの間にやら再販されてた。それが、東京堂出版の郡司利男著『迷解国語笑辞典』。

 初版は2008年で、郡司せんせはすでに故人じゃったんじゃけど、この本をおもしろい、大切な本と思ってくれたヒトがいるので再度リニューアルして出版されたものと思う。うれしいかぎり。

 うれしくて、すぐに買(こ)うた。ハードカバーとまではいかなかったが、版も大きくなって、よけいに辞書っぽくなった。
 昔の開拓社版は文庫本のコーナーに置いてるが、新しい東京堂出版は、なにげに辞書コーナーの、広辞苑のへりにならべてある・・・。

みまもり

 ミスドのカウンターにて。
 熱いコーヒーをすすりながら、ポチポチと携帯でブログの記事を打っていた。

 ふと顔をあげると、店の窓の外、駅構内に、じいちゃんが立っているのが見えた。

 背はくの字に曲がっており、顔が腰のあたりまで落ちていた。
 ひざはまっすぐ伸びており、ほとんど二つ折り状態。

 大丈夫かいな、と思ってじいっと見ていたが、ふらつくどころか、微動だにしない。
 パンフレットスタンドにならべられた旅行パンフを見ているように見えたが、わからない。

 しばらくじいっと見ていたが、いっこうに動く様子がない。「倒れそうなわけじゃないんじゃ」と思ったので、また携帯をポチポチと打ち始めた。

 時間がたって顔をあげると、びっくりした。
 じいちゃんがまだそこに立っていることにではなくて、さらに腰が曲がっていることに。

 あいかわらずひざは伸びてて、顔はもうひざのへんだった。体育測定の"前屈"の状態。正直、異様な光景だった。

 じいと見ているが、やっぱり動かない。ふらつきもしない。

 一生懸命、目をこらしてみていると、じいちゃんの顔の前のへんで、何やら紙片がひらひらしているのが見えた。
 紙を開こうとしているのか、たたもうとしているのか、はたまた、見ようとして持ち変えているのか、まったくわからない。手が動いていることすら、自分の近眼のせいでわからなかった。

 しばらく時間が流れて・・・。
 じいちゃんが、その紙片を床に置いているカバンに、ごそごそと入れ始めた。

 「おー、いよいよ動くぞ」と思い見ていたが、すばらしく動きが遅い。
 床の荷物を持ち、立てかけていた杖を手にするまで、発進準備が整うまでに、結構な時間が流れた。

 そしていよいよ、ふらっとじいちゃんの上半身がゆれて、一歩ふみ出すぞ、というところで、OLの姉さんが、じいちゃんの前を横切ってしまった。

 じいちゃんは、また動かなくなった。気をためているとかチャクラをねっているようにも見えた。じっと、改札口のほうをむいたまま動かない。

 またふらっと、じいちゃんの体がゆれた、と思ったら、しゃかしゃかしゃかと、ものすごく小さな歩幅ながら、おどろくほどのスピードで改札口にむかって行ってしまい、視界から消えた。

 パーキンソンのヒトの突進のようだったが、左右の足はバランスよく出ていたので違うんだろう。

 一歩ふみ出すのにエネルギーがいるだけでなく、進行方向が、完全にクリアーになるのをじいちゃんは待っていたのかもしれない。
 「そうか、あの勢いが必要だったのか」、と大いに納得(満足)して、ぽちぽちと、また携帯を打ち始めた。

※表題に重要な誤りがあります。やじ馬根性の好奇心により眺めていただけなので、これは世間で評判の"みまもり"ではなく、単なる"観察"です。おわびして、訂正いたします。

2010年12月3日金曜日

宮本常一著「私の日本地図4」

「私の日本地図4 瀬戸内海1 広島湾付近」宮本常一著、同友館、昭和43年発行。

 どうでも確かめてみたいことができて、さがしてさがして、たどりついたのがこの本。
 条件は、宮本常一氏が書いたもので、写真を多く掲載した、広島近辺の島しょ部についての本。

 もともとの目的は別として、ほんとに読んでよかった、と思える本だった。と同時に、とても悲しい、寂しいきもちになった。
 1.自分の知っている、行ったことのあるところがたくさんでてきてうれしい、2.いまに続くたそがれが、40年以上前に始まっていたり、懸念されていたりする、ゆうことで。

 文面は、とても40年以上前に書かれたものとは思えないほど、とても読みやすい。旧仮名がつかわれていない、というレベルではなく、文体がほんとに口語に近く、言葉も、専門用語は必要なだけ、最小限しかつかわれていないように感じられた。
 あくまで、"旅行の本"のようであった。ちょいと誤解されそうな言い方だが、観光の本だった。

 しかし彼の旅(観光)は、名所旧跡をたずね歩くものであろうハズがなく、口にのりするために人が懸命に働き、工夫するさまや、それらのはたらきによりつくられた風景を、"あるき、み、きく"ものであるようだった。
 「観光とは、世界を均一化しようとする試みである」、みたいなことをだれかが言ってたが(正確な言葉と、だれが言ったかを忘れた・・・)、歩く巨人のゆうところの観光は、それとは対極にあるものだった。
 観光地をおとずれても、彼の関心は、観光客が群れ歩くところにはなく、むしろ閑散として、とりのこされている、といってもよいような場所にむかっている。
 ときに、どきっとするほど率直なものいいがあっても、いやなきもちにならないのは、彼の目が、常に普通の人々、それも、粗食にたえ、働いてきたような人々に向けられてて、姿勢も、忘れられようとしているものやヒトによりそうような感じ。同情や哀れみではなく、そばにいて見、なにかできないかといっしょにおろおろするような。

 とにかく、もう40年以上前に、ところによってはもっと前から、いまに続く"たそがれ"が始まっていたことにショックを受けた。
 まだ消えてはいない。しかし確実に消失点にむかって進んでいる。長いのか短いのかわからんが、たそがれの時代を、島も、ヒトもおくっている。

 常一さんは、かれらを放置してきたわたしたちの責任と述べている。政治の貧困とも述べている。が、政治の貧困イコール、わたしたち、いや、わたしの心根の貧困と思う。
 島や中山間の生活を、尊敬しながらも、自分は一歩もそこに進むことはせず、便利な生活を送っている。自分ができないことを、ヒトに勧められるハズがない。
 自分のヒキョウな態度に、ちょっと自己嫌悪になんな。

 理想郷が存在するためには、まず理想的な人間がいなけりゃならない。この苦しい命題は、マンガ:アップルシード(士郎正宗著)4巻?の、重要な問いだったんで、頭にしみついたんじゃけど、自分は、とてもじゃないが理想郷にふさわしい人間じゃない。楽園を追放されたんじゃなく、逃げだしたようなもんだ。
 粗食にたえ働く人間が、努力と工夫で飯が食えるところ、そこに独特の風景が生まれ、それが彼の考える楽園で、おとずれるにふさわしいところなのではないか、と思った。


 で、確かめたいことはどうなったかというと、一つは解決(見込みどおり)。も一つは、継続中。
 この本を持って、春にとある島をおとずれれば、こ踊りするような発見があるかも、ゆう状態です。

2010年12月1日水曜日

さーたーあんだぎー

 "あんたがった、どっこさ"に、語感が似ているのはどうでもええんじゃけど、なんど聞いても名前が覚えられないぞ、"サーターアンダギー(沖縄風ドーナッツ)"。

 おやつで食べよう思うて、5個入りを買ってきた。

 家帰って、テーブルにおいたら、"ゴトッ"ゆう音がしたぞ。

 ヒトの食うもんで、おやつで、"ゴトッ"は、どうかと思うぞ。
 どんだけカタいんじゃ、こりゃ。