2010年12月31日金曜日
おおみそか
今年は、政権交代とか、たばこの大幅値上げとか、ボーナスからのこづかいが2割カットとか、いろいろときびしいことが多くありました。
しかしながら、一年間、まあまあ元気にすごせました(ほんとはギリだったぜい)ので、よしとしましょう。
来年が、よりよい年となりますようお祈りして。
ほいじゃあみなさま、よいお年を。
2010年12月30日木曜日
ゆきはやんだ
ことし2回目の忘年会は、さっき解散。
年2回ぐらい集まるメンツ。盆と正月(年末)ですね。
カラオケボックスにはいって、2時間しゃべくっとった。だれも、一曲も歌わなんだ。
なんぼーひさしぶりでも、会えば昔のまま。
こおゆうメンツは貴重じゃね。
で、いまはショットバーで、コーヒーを飲んでます。
ひとりぼっちじゃけど、まわりがおもしろい。
あっちの話聞いたり、こっちの話を聞いたり、となりのヒトのたばこの匂いをかいだり。
ほほー、ここで出会いがあるんじゃ。あっ、ふられちった・・・。
若者は、やっぱ恋愛の話が多いね。
自分も枯れてるわけじゃないけど、なんか遠い話のようだ。
自分も若いころはあったんじゃけど。
もうすぐ1時じゃけど、けっこう客が多い。
おっさんは、自分ひとりじゃけど。
そろそろ帰って寝るべか。
2010年12月28日火曜日
よくもわるくも
うまくいってもいかなくても、一生懸命やっても力ぬいてても、時間はたつ、月日はすぎる。
だからこそ来年は、も少しふんばって仕事をせねば。
がんばれよ、じぶん。「おー」。
2010年12月27日月曜日
よいこにはプレゼント
自分でツリーに置いといたのをのぞけば、10数年ぶり。
で、ものはライターだったんじゃけど、ちょっと困っている。
ライーターは、すぐなくすもんで、ずっと100円ライターを使っていた。
それが、いまどき使い捨てゆうのもどうか、と思い立って、デザインやら機能やら、すごい選んで購入した。
それを、どっかに忘れることもなく、1年ぐらい使い続けていた。気に入ってた。
ところが今回、新しいライターをプレゼントされてしまった。
もらったライターは、自分で選ぶときにも候補に入れてたもん。いわゆるブランド品ではないけれども、実用として一級のメーカ。デザインも、機能をうまいこと表したかっこいいもんになっている。
もらったからには、使わんと悪い気がして、クリスマスから新しいほうを使っている。
まえのは、ちっこい文鎮かい、ちゅうくらいに重かったのが、ポケットに入れといてもじゃまにならんくらいに軽くなって、実用的にはよくなったような気がするんじゃけど。
でも・・・、慣れもあって、自分の選んだものほど、正直しっくりこない。
重さとか、ふたを閉じたときの音とか、ちょっと色気が足りんような気がして。
でも、でも、使わんとわりーよねえ。10年ぶりにサンタさんがくれたんじゃけえ。
だいじにせんと、二度とサンタが来てくれんような気がする・・・。
2010年12月25日土曜日
”東京ゴッドファーザーズ” あれ!?
ひさしぶりに、スクリーンとプロジェクタまでひっぱりだして、気合入れて。
すると・・・、なんか、記憶がだいぶちがう。
クリスマスイブの、短い話と思うとったが、クリスマスイブの”キセキ”がはじまりで、お正月の”第九”で終わるはなしじゃった。
とにかくキセキのお話し、ゆうとこはあってたが。
で、どうだったかゆうと、めちゃめちゃおもろかった。
こてこてのギャグ満載。これでもかっ、ゆうぐらいに、もうこてこて。
なおかつ、ひとにやさしい。人を見る目ゆうか、この世界のとらえ方ゆうか。
こおゆう映画みると、元気出るなあ。
2010年12月24日金曜日
あどべんと
よかったのかわるかったのかわかんないが、ヤオヨロズの神にまぜられてしまい、すっかりニッポンに定着しちゃった、"ジーザス・クライスト・スーパースター"。
キリスト教って、一神教なんじゃけど・・・。
御子がもうすぐ、もうすぐお生まれになる、とキリスト者が降誕を心待ちする、聖なる夜に、うちら異教徒は、どんちゃんどんちゃんばか騒ぎしてすごすのだ。
はよトリ食って、ケーキ食って、家族全員で、映画"東京ゴッドファーザーズ"を見るのだ(追悼、今敏監督)。
少しは俗な心があらわれるのでは。
クリスマスといやあ、これか、"ナイトメア・ビフォア・クリスマス"。"サンディ・クローズ"もいいかもしんない。
子どもを寝かしつけてから、ツリーにプレゼントを。
小6の娘は、「サンタはいるわけない」と思いながらも、いまだにいちるの望みを捨てきれないようだ。「サンタは父さんよね?」、などと、わざわざ聞いてくる。
めんどくさいので、はやくあきらめてほしい。
さらに目をぬすんで、かみさんへのプレゼントをセットしなけりゃならない。
はるか極東の、ニッポンのクリスマスの夜はながい。
わが家では、よい子には、みんなプレゼントがあるのだ。
いつもないのは・・・、わしだけ。
「むかし父さんにもあったことあるじゃん。まわるメイド・イン・ワリオ。」、つってそりゃあ、くやしいけえ、自分でおいたんじゃ!
2010年12月23日木曜日
くつしたをかいに
おまけに、愛用している五本ゆびのくつしたは、スニーカーソックスで、足くびの下のほうまでしかないので、さすがに寒くなってきた。
というわけで、くつしたを買いにでかけた。
たまにはエンジンをかけねば、ゆうことで、準旧車をわざわざ引っぱりだした。
車は多いが、けっこうな速度で快適に流れていた。
エンジンは、セル一回でかかったが、なんかアイドリングが高いな・・・。ま、ええか、冬じゃし。
店に入ると、正面のワゴンに、コラボ商品の、”モンハン”Tシャツが積まれていた。
すぐに食いついてしまい、子ども用に2枚、デザイン違いをカゴに入れた。
限定で、アイルーのストラップ付き、と書かれていた。
はやりもんと限定に弱すぎる。おまけに、自分がよろこぶものは、子どももよろこぶと思いこんでいる。
うちにゃモンハンはないけど。
次の通りで、処分品のパーカーが目に入った。いま着ているスウェットは、背中のタグんとこに穴があいたので、ふせって(ふさいで)もらっている。
で、またこれをカゴに入れた。
”処分品”ゆうひびきにも弱い。
そこで通りを戻って、白の長袖Tシャツも2枚カゴに入れた。
こりゃあ、いま2枚を着まわししてるので仕方ない。うち一枚は、小さい小さい穴が胸にぽちっとあいているのを、「下に着るんじゃけえ、見えんじゃろ」と思っていたが、こないだ娘に、「とうさん、穴あいちょるよ」と指摘を受けた。
やっとくつしたに到着。五本ゆびソックスを、色違いで2本ずつ、ぱっぱとカゴに入れた。
この6本のくつしただけで、春までをのりきるのだ。いや、夏、暑くなるまでか。
思いのほかカゴに入れてしまったので、金が足りるかびびった。
いっしょうけんめい商品の数を数えて、財布を見た(暗算はできない・・・)。
レジを打ってもらうと、「えっ、ほんまに?」ゆうくらいに安かった。
世の中、こんなんじゃあ、いけんと思う。ひたすらに、「安く、よい商品(サービス)を」では、みんなが飯を食えなくなると思っている。必要なコストを、みんなで負担しなければ。自分がヒトに金を払いたくない、ゆうことは、ヒトも自分に金を払いたくない、ゆうことだ。
でも、(ユ○クロは)本社が山口じゃけえ、まあええか、と自分に言い聞かせて、おうちに帰った。
のみすぎです
遊びすぎです。
よう遊びました。
おっさんは、つかれました。
零時すぎまで飲んだのは、ひさしぶりです。
で、やっぱりコーヒーが飲みたくなって、ショットバーへ。
いつものバーは、いつもどおりに、わかものがいっぱいです。
ぎっちりです。
二人がけのイスに、三人かけてたりします。
よう座っとんな。
わかいって、ええですね。
じぶんが戻りたいとは思わんけど、いいです。
わかもの、がんばれ。
おまえ(自分)もな。
2010年12月21日火曜日
かいきげっしょく
雨ふっとって、ぜんぜん月みえんし。
ちょい楽しみにしとったのに、残念。
と、お好み焼きが焼けるのをまっている、わたし。
いま、兄ちゃんが、まるく生地を鉄板にひいている。
2010年12月20日月曜日
もちつき
もちをつく前から腕がだるかったのは、前の日の飲み会で、鍋を両手にかかえて家まで持って帰ったから。
直径40cmはあろうか、ゆう大鍋で、中身は"元アンコウ鍋"で、持って帰るときはアンコウは跡形もなくて、"カニ鍋"。中身たっぷしで、重し!
もちをつく、ゆうかこね始めたらすぐダウン。すぐに交代してもらって、ちょこまか入るが、すぐダウン。
でも、交代要員に、若いもんがおらんのんですけど。
まだ終わらんのかい、と中盤からずっと思いよった。
蒸される順番マチのもち米を、うらめしそうに見ながらもちをつく。
年寄り連中は、やたら元気で、疲れを知らない。
えらい力強くて、ついたときの音もちがう。ほそい体のどこにあんげな力があるんじゃろうか。
年寄りのほうが、あきらかに体力があるんじゃけど、雰囲気で出ざるをえんで、はりきって。
で、あんのじょう、きょうは筋肉痛。
腹も背中も、足も痛い、ダルい。
うでは、なんも持ってなくても重いんすけど。うで自体が重いんすけど。
手なんか、ずっとぷるぷるしてて、はし持っても、ペン持っても、ずっとぷるぷるぷるぷる。
ゆびの一本一本が、痛いんすけど。右手の親指なんか、ぜんぜん力が入らん。
字が、書けんのんですけど。仕事にさしつかえとるんですけど。
何日ぐらいで治るんでしょうか? この、ぷるぷるぷるぷる、ふるふるふるふる。
2010年12月12日日曜日
死ぬにはよい日
先週見舞いに行ったときには、いつもとかわらず、元気だったという。
数日前まで、話をし、自分の口からご飯を食べ、二日前には風呂にも入ったという。
それが、とくにどこが悪いということもなく、意識がもどらなくなった。
病院に搬送することはせず、この何年間かをすごした施設で、おわりのときを迎えることとした。
息をひきとるさいごのときまで、くるしむようすもなく、眠っているようだったという。
天塩にかけた子ども全員とまではいかなかったが、3人のうち2人が、お迎えがくるのを見守ることができた。
祖母の顔は、とてもきれいで、眠っているようだった。
自分の足で歩くことがむずかしくなってから何年にもなり、手足はやせて、小さな体がますます小さく見えた。
しかし、肌はとてもきれいで、アザひとつなかった。
よほど血行がよく、また、施設の職員もよく世話をしてくれたのだろう。
施設の職員は、百歳をこえて、こんなに肌がきれいなヒトはめずらしい、徳があったのでしょう、と述べていた。
"徳"
さっこん、あまり聞かない言葉であるが、おおげさでなく、祖母は、いつも少しずつ徳を積み続けた人生だったと思う。
化粧をし、着物をきせてもらうと、しゃっきりとし、ますますきれいになった。
ヒトの生き死にに、よいも悪いもないけれど。うらやましいようなさいごだった。
少し風がつよいが天気がよくて、窓ぎわなどは、ぽかぽかとあたたかいほどの日だった。
二人の子どもに見守られて、死ぬにはよい日だったのだろう。
2010年12月8日水曜日
まれびときたりて
有用な情報があるわけでも、美麗な文章が読めるわけでもない、ここのブログ。
とうぜん、ほとんどヒトは来ない。
ほいでも、この何カ月か続けてきたせいか、ぼつりぼつりと、路地に迷いこんでくるように客が来る。一週間のうちに来るとか来んとかゆうレベルじゃけど。
来たヒトが、どんな感想をもつかはわからんけど、やっぱり客が来るとうれしい。
上映中の映画だの、出たばかりのマンガのことなどを検索するヒトはわかる。
が、なにをどうやったらこの記事にたどりつくんやら、まったくわからんヒトがいる。「なにをどうたどったんじゃろか?」と興味がわく。ちゅうか、ぜんぜん想像ができん。
自分も、思いつきで、ふと検索してみることがあるんで、世の中にはいろんなヒトがいて、いろんなことを、ふと、思いつくもんなんだろう。
にしても、一番ヒトが来るのは、あいかわらず"ギャグボール"の話なんじゃけど。来たヒトは怒るじゃろうなあ。多分。
2010年12月6日月曜日
「よつばと! 10」
いったりもどったりして、ていねいに見、味わって読みよったら、ほとんど2時間たっとった!
ときどき、「くそー、シゴトができるようになるクスリねーかなー」とか、「魔法使えねーかなー、マホウ」とか夢想したり、なんかせーかつするのに疲れたり、うまくいかんでふてくされて寝たりするけど。
このマンガを読むと、この世界で生きてゆくのに、特別なドラマや、すごい能力は必要ないんじゃないかと思う。
自分の目に見えているもの、見えてないけどどっかにあるもの、すべてが、光り輝くものに満ちているかも、ゆう気持ちになる。
マンガにかかれている、店の看板や高圧電線の鉄塔、道ばたや空き地の雑草までも、いとおしいものに思えてくる。
『毎日という宝箱を、今日もあける。』
これが10巻のオビのことば。
そうだ・・・。そうかもしれない。
ミスタードーナツ、朝9時半
年配のおじさん、おばさんで店はぎっちりいっぱい。
みんな、でかい声でようしゃべる。店のBGMが聞こえない。
景気がどうのとか、世の中くらいとか言われとるけど、普通のおいさん、おばさんは、それなりに元気だ。
雰囲気からいくと、ボート(競艇)の客とみた。
偏見あるかもしれんけど、ちょっと高揚した雰囲気、顔からの印象。
みんな楽しそうだ。
2010年12月5日日曜日
『迷解笑辞苑(迷解国語笑辞典)』のこと
すごいうれしかった。
郡司外史著の『迷解笑辞苑』はながらく絶版となってましたが、郡司利男著『迷解国語笑辞典』として、絶賛発売中です。
『迷解笑辞苑』は、英文学者の郡司利男氏が、郡司外史の名前で著した、お笑いの辞典。(開拓社より1981年に出版)
学生時代に、教養を身につけようと思い、本屋でかの有名な、『悪魔の辞典』を手にとった。
ぱらぱらとめくってみると、こりゃーとてもじゃないが手に負えねへ。内容が難しすぎる。
一瞬でこころざしは折れたが、となりにこの本が並んでいた。
『悪魔の辞典』を訳してたのが、郡司利男せんせだった。
立ち読みしてみると、めちゃおもろい。即、買って帰って、それからは何べん読んだっちゅうもんじゃない。こおゆうのを、座右の書というんだろうか。
ものすごいへそ曲りで、鼻持ちならない人物が、ぼうだいな古今東西の教養を駆使して、言葉を厳選した辞典が、これ。
郡司せんせの専門は、英米文学のはずなんじゃけど、なんでこのヒト、こんなに日本の古典とか習俗とか、はては雑学まで、こんな知っとんの? なにものなの、このヒト、ゆうくらいに郡司せんせはスゴイ。
ついてこれるやつだけついてこい、っちゅう内容なんで、とてもじゃないが全部の内容は理解できない。それでもめちゃおもろい。
へそはあらぬ方向に曲がっているが、世の中を見る目はしごくまっとうで、結構てきびしい。しかしそれを、声高にアジるのではなく、お笑いにして、項のさいごにちょいと気のきいた川柳や西洋の格言(?)がそえてあったりする。カッコエエ。
権威も権力もなんも、おかまいなし。うまい言い回しで笑いにのせてしまう。
下ネタもまんさい。品はないけど、粋と興はある。
特に下ぜわなネタについてなんじゃけど、消えゆく庶民の習俗、文化ゆう感じがして、ちょいとさみしい面もある。そおゆうものへの愛が感じられる。
なんべんも読んだところで"布教"を開始し、いまに至る。
たんくさんのヒトに話し、この本の貸し出しをしてきたが、あるときだれに貸したんやらわからんくなって、返ってこんくなった。
大事な教典がなくなったのでは、布教どころではない。
じゃ、もう一冊、と思ったら、絶版になってて入手困難。あせってさがしまくった。
古書店の集まりみたいなホームページの目録で見つけて手に入れたのが、いま持ってる二冊目。
絶版になってるんじゃあ、安易に貸し出せんし、と思いよったら、いつの間にやら再販されてた。それが、東京堂出版の郡司利男著『迷解国語笑辞典』。
初版は2008年で、郡司せんせはすでに故人じゃったんじゃけど、この本をおもしろい、大切な本と思ってくれたヒトがいるので再度リニューアルして出版されたものと思う。うれしいかぎり。
うれしくて、すぐに買(こ)うた。ハードカバーとまではいかなかったが、版も大きくなって、よけいに辞書っぽくなった。
昔の開拓社版は文庫本のコーナーに置いてるが、新しい東京堂出版は、なにげに辞書コーナーの、広辞苑のへりにならべてある・・・。
みまもり
熱いコーヒーをすすりながら、ポチポチと携帯でブログの記事を打っていた。
ふと顔をあげると、店の窓の外、駅構内に、じいちゃんが立っているのが見えた。
背はくの字に曲がっており、顔が腰のあたりまで落ちていた。
ひざはまっすぐ伸びており、ほとんど二つ折り状態。
大丈夫かいな、と思ってじいっと見ていたが、ふらつくどころか、微動だにしない。
パンフレットスタンドにならべられた旅行パンフを見ているように見えたが、わからない。
しばらくじいっと見ていたが、いっこうに動く様子がない。「倒れそうなわけじゃないんじゃ」と思ったので、また携帯をポチポチと打ち始めた。
時間がたって顔をあげると、びっくりした。
じいちゃんがまだそこに立っていることにではなくて、さらに腰が曲がっていることに。
あいかわらずひざは伸びてて、顔はもうひざのへんだった。体育測定の"前屈"の状態。正直、異様な光景だった。
じいと見ているが、やっぱり動かない。ふらつきもしない。
一生懸命、目をこらしてみていると、じいちゃんの顔の前のへんで、何やら紙片がひらひらしているのが見えた。
紙を開こうとしているのか、たたもうとしているのか、はたまた、見ようとして持ち変えているのか、まったくわからない。手が動いていることすら、自分の近眼のせいでわからなかった。
しばらく時間が流れて・・・。
じいちゃんが、その紙片を床に置いているカバンに、ごそごそと入れ始めた。
「おー、いよいよ動くぞ」と思い見ていたが、すばらしく動きが遅い。
床の荷物を持ち、立てかけていた杖を手にするまで、発進準備が整うまでに、結構な時間が流れた。
そしていよいよ、ふらっとじいちゃんの上半身がゆれて、一歩ふみ出すぞ、というところで、OLの姉さんが、じいちゃんの前を横切ってしまった。
じいちゃんは、また動かなくなった。気をためているとかチャクラをねっているようにも見えた。じっと、改札口のほうをむいたまま動かない。
またふらっと、じいちゃんの体がゆれた、と思ったら、しゃかしゃかしゃかと、ものすごく小さな歩幅ながら、おどろくほどのスピードで改札口にむかって行ってしまい、視界から消えた。
パーキンソンのヒトの突進のようだったが、左右の足はバランスよく出ていたので違うんだろう。
一歩ふみ出すのにエネルギーがいるだけでなく、進行方向が、完全にクリアーになるのをじいちゃんは待っていたのかもしれない。
「そうか、あの勢いが必要だったのか」、と大いに納得(満足)して、ぽちぽちと、また携帯を打ち始めた。
※表題に重要な誤りがあります。やじ馬根性の好奇心により眺めていただけなので、これは世間で評判の"みまもり"ではなく、単なる"観察"です。おわびして、訂正いたします。
2010年12月3日金曜日
宮本常一著「私の日本地図4」
どうでも確かめてみたいことができて、さがしてさがして、たどりついたのがこの本。
条件は、宮本常一氏が書いたもので、写真を多く掲載した、広島近辺の島しょ部についての本。
もともとの目的は別として、ほんとに読んでよかった、と思える本だった。と同時に、とても悲しい、寂しいきもちになった。
1.自分の知っている、行ったことのあるところがたくさんでてきてうれしい、2.いまに続くたそがれが、40年以上前に始まっていたり、懸念されていたりする、ゆうことで。
文面は、とても40年以上前に書かれたものとは思えないほど、とても読みやすい。旧仮名がつかわれていない、というレベルではなく、文体がほんとに口語に近く、言葉も、専門用語は必要なだけ、最小限しかつかわれていないように感じられた。
あくまで、"旅行の本"のようであった。ちょいと誤解されそうな言い方だが、観光の本だった。
しかし彼の旅(観光)は、名所旧跡をたずね歩くものであろうハズがなく、口にのりするために人が懸命に働き、工夫するさまや、それらのはたらきによりつくられた風景を、"あるき、み、きく"ものであるようだった。
「観光とは、世界を均一化しようとする試みである」、みたいなことをだれかが言ってたが(正確な言葉と、だれが言ったかを忘れた・・・)、歩く巨人のゆうところの観光は、それとは対極にあるものだった。
観光地をおとずれても、彼の関心は、観光客が群れ歩くところにはなく、むしろ閑散として、とりのこされている、といってもよいような場所にむかっている。
ときに、どきっとするほど率直なものいいがあっても、いやなきもちにならないのは、彼の目が、常に普通の人々、それも、粗食にたえ、働いてきたような人々に向けられてて、姿勢も、忘れられようとしているものやヒトによりそうような感じ。同情や哀れみではなく、そばにいて見、なにかできないかといっしょにおろおろするような。
とにかく、もう40年以上前に、ところによってはもっと前から、いまに続く"たそがれ"が始まっていたことにショックを受けた。
まだ消えてはいない。しかし確実に消失点にむかって進んでいる。長いのか短いのかわからんが、たそがれの時代を、島も、ヒトもおくっている。
常一さんは、かれらを放置してきたわたしたちの責任と述べている。政治の貧困とも述べている。が、政治の貧困イコール、わたしたち、いや、わたしの心根の貧困と思う。
島や中山間の生活を、尊敬しながらも、自分は一歩もそこに進むことはせず、便利な生活を送っている。自分ができないことを、ヒトに勧められるハズがない。
自分のヒキョウな態度に、ちょっと自己嫌悪になんな。
理想郷が存在するためには、まず理想的な人間がいなけりゃならない。この苦しい命題は、マンガ:アップルシード(士郎正宗著)4巻?の、重要な問いだったんで、頭にしみついたんじゃけど、自分は、とてもじゃないが理想郷にふさわしい人間じゃない。楽園を追放されたんじゃなく、逃げだしたようなもんだ。
粗食にたえ働く人間が、努力と工夫で飯が食えるところ、そこに独特の風景が生まれ、それが彼の考える楽園で、おとずれるにふさわしいところなのではないか、と思った。
で、確かめたいことはどうなったかというと、一つは解決(見込みどおり)。も一つは、継続中。
この本を持って、春にとある島をおとずれれば、こ踊りするような発見があるかも、ゆう状態です。
2010年12月1日水曜日
さーたーあんだぎー
おやつで食べよう思うて、5個入りを買ってきた。
家帰って、テーブルにおいたら、"ゴトッ"ゆう音がしたぞ。
ヒトの食うもんで、おやつで、"ゴトッ"は、どうかと思うぞ。
どんだけカタいんじゃ、こりゃ。
2010年11月28日日曜日
2010年11月27日土曜日
新刊、入荷イタシマシタ
新刊マンガが、机にどどっと積みあがってしもうた。
どれから手えつけたらえんじゃー、こりゃ。
しかも、どれもさらさらっと読める内容じゃないし・・・。
「鋼の錬金術師(27)完結」
「リアル(10)」
「あたらしい朝(2)完結」
「ピースメーカー(6)」
「ピアノの森(19)」
「馬鹿者のすべて(1)」
『馬鹿者』は、新人がんばれっ、ゆうて衝動買いしたもんじゃけど、ほかは入れこんでる話ばっかり。
そういえば、あした、「よつばと!(10)」をさがしに行かねば。
2010年11月26日金曜日
11月21日の広島第一劇場、その他
時間が少ないので、行かまいかとも思ったが、行ってみるとやっぱり面白かった。行ってよかった。
特に印象に残ったことをふたつ。
ゆきみ愛嬢のお尻。
舞台の反対側のお客さんにサインをするとき、ひじはついて、腰は浮かせてた。お尻が、まっ正面で、すんごいよいながめでした。
おっさん(自分)は興奮して、「ここって、ええ席? なっ、なっ」、と近くにおった知らん兄ちゃんに話しかける。兄ちゃんは、「えっ、あっ、いい席と思います」、と反応してくれた。
で、また別のお客さんにサイン。また、お尻がまっ正面。
「やっぱ、いい席じゃろ? 尻が、尻がっ」、ゆうて、おっさんはまた興奮して、兄ちゃんにゆうてしまう。騒がしくて、すんませんでした。
ほんとに、いいながめじゃった。
名前も知らずに見に行ったんじゃけど、トリの若葉さくら嬢。
踊りも演技も、ばつぐんで、行ったかいがあった。
さすがはトリ。すっ、すっと、切れのいい踊りを見せてくれた。きれいだし、ていねい。真剣に見入ってしまった。
演技も、限られた時間のなかで、ものがたりをつむいで見せてくれた。水色の大きな布をいとしい人にみたてた演出も抜群。
表情ひとつ、指先のしぐさまで心がこもっているようで、感激した。ものがたりに引き込まれて、客席にむかって手をのばす演技のときは、どきっとしてしまった。
自分は、ストリップの踊り子は性を売る職業の一つと思っている。だから、それを見に行く自分は、性を買っているということ。
だけれども、踊り子さんを見ていると、ただ性を売る、買うだけでなく、言葉にはできんけど、なにかそれ以外のもの、それ以上のものがあるような気持ちになる。
うまく理論づけができないんじゃけど、そんな気持ちにさせてくれる踊り子が、見に行くたびに、かならず一人はいる。
特別に踊りや演技がうまいひとはもちろんだけれども、そうでないヒトでも、そう思わせてくれるヒトがいる。若くないヒト、きれいではないヒト、だれがみても不器用なヒト、など。
踊り子さんに、勝手なロマンをいだいてるのかもしれないし、自分を正当化したいだけかもしれない。
そんときの気持ちに、いちばん近い言葉は、"感動"か?
「勝手なロマンは、差別・偏見の一つです」と、ものの本でばっさり切られていて、図星だと思った。
それでも、じーんとくるあの気持ちをもとめて、"小屋がよい"はとまらない。
2010年11月23日火曜日
くわずにょうぼう
子どもらが知らんゆうたので、ひとしきり語った。
〜むかし、ある男のところにきれいな嫁さんがきた。飯も食わずに、すげー働くので、ええ嫁さんじゃのお、ゆうて思いよったが、やたら米びつがカラになる。男が天井かどっかにかくれて見よったら、嫁さんがおにぎりかなんか作って、ばぐばぐ飯を食いよった。それも、この辺(後頭部)に口がついとって、そっから食いよった。嫁さんは妖怪じゃったんじゃ。〜
小学生の娘は「あー、それ知っちょる」、と言いよったが、中学生の息子のほうは知らんかった。
わたし:「この話のポイントがわかるか?」「嫁さんが飯食わんゆうてウソついとったことでも、妖怪なんをだまっとったことでもないんで」
子どもら:「?」
わたし:「妖怪が、働きもんじゃった、ゆうこといや」
息子:「ほりゃ、そうじゃねえ」
息子:「ところで、なんで(妖怪が)嫁にいこうと思ったんかねえ?」
わたし:「なんでじゃろね?」
2010年11月22日月曜日
月はくまなきをのみ見るものかは
さっき帰るとき、雲の間がぽっかりあいてて、そのど真ん中に、まぶしいぐらいの満月がでていた。
雲が多かったんじゃけど、月のまわりは、シャキーンと、音がしそうなぐらいに澄んでいた。
寒くはないけど、ほんの少し、息が白かった。
そうはいっても、やっぱ満月はええねへ。
2010年11月21日日曜日
ああっ、もう時間じゃん
行くときからギリで、全力疾走で駅まで行く。
先に電車に乗ってたガキに追いつく。
息も絶え絶え。腹がいてへ。
マチにつく。
ガキと時間、待ち合わせ場所を確認して別れる。
こっから、よーいドン!
一直線で電話屋へ。修理の終わった携帯電話を引き取りに。これがほんとの用事。大事なおつかい。
手続きが全部終わって、店の嬢ちゃんが「以上です」、ゆうたところで、おもむろにカバンからごそごそっと、"ういろう"を出す。
「おみやげです」「みなさんで食ってください」
「えー、ありがとうございますぅ」と言ってるネエちゃんに会釈してあしばやに店を出る。
やたら人通りの多い中を、カニのように右に左にぬって歩く。
時計を見る。
「くそっ、もうこんな時間か」
競歩状態でたどり着いたのは、広島第一劇場(ストリップ劇場)。
スタッフの兄ちゃんに、「いま何人目?」と聞くと、「まだひとり目、トップです」。
よしゃっ、とドアをあけて、ほのぐらい劇場の中へ・・・。
ズンチャカズンチャカと踊り子さんが踊ってるが、時計が気になる。
一巡、せめて一巡だけでも!、と腕時計とにらめっこしてねばるが、はいっ、もう時間です。
「まーじかよっ!」
また競歩状態で駅に向かう。
信号待ちになるだけで、みけんのしわが深くなる。
待ち合わせ場所のロッテリアに到着!
右!、左!、と店内をチェックする。
よしゃっ、ガキはまだ来ていない。
やっと落ち着いて、コーヒーを注文し、席にばさっとへたりこんで、たばこをふーっとふかした。
・・・、こんなん、情緒も余韻も、なんもないじゃん!
2010年11月20日土曜日
2010年11月18日木曜日
こんな夢を見た
家の中にヒトの気配はなく、自分だけのようだった。
小便を我慢していたので、廊下をとおってトイレまで行った。
見慣れた薄いドアをあけて中に入ると、そこは開けた川原のようなところだった。
地べたは固い土で、石はなかった。
竹か木か、それほど背の高くない木に囲まれているような雰囲気があったが、目には入らなかった。
右手を見ると、幅1mほどの道のようなものがあった。
低いコンクリのようなふちがあり、中は大きな丸っこい石が、中流域の川原のようにごろごろと転がしてあった。
”道”は、きれいに同じ幅のままで、ずうーっと向こうまで続いていた。
”道”の始点の横に、粗末なイスがあった。パイプイスだったかもしれない。
「そうか、ここで用をたすのか」とわかったので、イスを持って”道”の正面にすえ、それに座って、小便をはじめた。
小便は、”道”の石に向かって飛んでいったが、石にあたると、ごろごろと転がる石たちを洗うかのような、とうとうとした流れになった。
”道”の幅いっぱいになるほどではないが、太く、速く、川のように流れた。
不思議と音は聞こえなかった。
”道”の向こうに目をやると、ずっと向こうのほうで、ゆるやかに”道”がまがっており、勢いで曲がりきれなくなった流れが、低いふちをこえて、”道”の外に、だーだーと流れ出ていた。
「けっこう、流れが速いな」
そう思ったところで目が覚めた。
時計を手にとると、まだ4時過ぎだった。
小便でお腹がぱんぱんだったので、ゆっくりと起きて上着をき、トイレに行った。
そのまま寝るのは、なんだかしゃくだったので、ベランダでたばこを1本吸ってから寝た。
祖母はいま施設で生活しており、祖母宅にはこの数年行ったことがない。
デスクトップパソコンは、はやいね
電子メールもインターネットをほらほらするのも、携帯電話、スマートホン。
回線も機械自体も、ものすごい遅いが、とにかくつながるんだから、まあいいか、と思って、じいっと待ちながら使っている。
メールも電話に転送するようにしてるもんだから、デスクトップパソコンを使うことが、めっきり減ってしまった。
さすがにメールがたまってるだろうと思って、ひさびさにデスクトップのスイッチを入れた。
ひととおりパソコンが立ちあがると、OSをはじめとして、いろんなソフトが、しっぽをふりながら子犬のように寄ってきた。なんせ、久しぶりなもんだから。
「アップデートあるよ。してっしてっ。」
「パッチきてるよ。ダウンロードして、ねっねっ。」
「バージョン新しくなってんの。やってやって」
おー、そーかそーか、と順々にクリックしてゆく。
すぱっと終わるものもあるが、でっかいファイルをダウンロードするもんもある。
画面に3本ぐらいバーがならんで、ぶっぶっぶっ、とのびていくのを、ぼーっと見ていた。
古いがさすがにデスクトップ(パソコン)は、はええなあと思った。
「完了したよ。」
「ファイル落としたよ。ほらっ、インストールして。」
「契約読んで。同意して、同意。」
などと、つぎつぎにゆってくる。
また、おーおーよしよし、とこたえてボタンをモグラたたきのようにクリックしていく。
だいぶん数が減ってくると、今度は、「終わったよ。再起動してっ、してっ」、といってくるヤツがいる。
まー待てっちゃ、ほかのヤツが終わってないじゃろ、ゆうて、"まてっ"のボタンをクリックする。
ようやく全部のソフトの作業が終わったところで再起動。
起動も、なんか残り作業みたいなんがあって、なんだか長い。ハードディスクがジーコロジーコロ鳴ってるのを聞きながら、じーいっと待つ。
ようやっと落ち着いたところで、メールソフトを立ちあげた。
送受信ボタンを、ぽちっとな、と押す。
"新着メール、1,800件です!"
あ、あ〜あ〜・・・。
カウンターが、ものすごい勢いで上がっていくのを、じーっと見ていた。
デスクトップパソコンて、やっぱ速いですよね。
2010年11月16日火曜日
きょうはお好み焼きだ
まさに、いま、焼いてます。
お店はおきゃくさんでいっぱいです。
とてもよいことです。
若い兄ちゃんが、ひとりで焼いとんじゃけど、ずっと行ってたお店のお弟子さんです。
そのお店のおばちゃんが引退すると聞いたとき、兄ちゃんはおしかけで、おばちゃんの弟子になりました。
おかげで、うちの一家が大好きだったお好み焼きが、いまでも食べられます。
味は、師匠とまおんなじじゃあない。けど、いまでも、ときどき味が変わります。
開店して、もう何年かになるけど、兄ちゃんの研究は、いまでも続いてるのです。あの味をもとめて。
2010年11月15日月曜日
すまーーーとふぉーーん
もともと調子が悪かったらしいが、実害がないため、いままで放っておいたそうな。
で、ことのはじまりは・・・、自分が設定した暗証番号を、忘れてしまったゆうもの。
寿限無寿限無(じゅげむじゅげむ)・・・、ゆうくらいのやたら長い暗証番号を設定していたが、めんどーくさくなったので、短いものに変更をかけた。すると、設定したつもりの暗証番号が違う、といわれて、がっちりロックがはずれなくなった。
よほど見られたくないデータでも入っていたのだろう。だれに、ゆうて家族に。
ばっかじゃねえの、と笑ってみていたが、いっこうにロックははずれず、しゃれにならんくなってきた。
最後はあきらめて、えい、と自分でフォーマットをかけてしまった。いわゆる、”工場出荷状態”へ。
音楽とかのファイルデータは、SDカードに保存してたものの、住所録やメールはパー。
さらに、もともとあった不具合のために、フォーマット後の再設定ができない。
windows mobileのスマートホンなんだが、タッチ画面の補正ができず、初期設定がぜんぜんできない。当然、機能はまったく使えない。
ガキの顔がどんどんくらくなっていき、そのうち電話の話題をしなくなった。
さすがに笑ってみてられなくなって、自分(わたし)も救出に乗り出した。
画面の保護フィルムをひっぺがして、”つまようじ”でカーソルをタップすること45分! 目も手も限界、もう許して、っちゅう状態に。これぞ、”画面の補正”ぢごくじゃ。
万事休す、サポートセンターにかけ込むことになった。
センターにて。
手続きを終え、係のお姉さんが代替え機です、ゆうて持ってきた電話は・・・、「キター! ”カワイイ”だ!」。
思わず口に出してゆうと、お姉さんは苦笑いして、ドウモスミマセンといった。
代替え機の電話のテーマは、”チョコ”。
丸っこいストレートで白。それに、マーブルチョコレートのようなまんまるの茶色いボタンが配置されている。
ひげの生えた中学生が”チョコ”かよ、ひゃっひゃっひゃっ、とおっさんが笑っている横で、ガキんちょは、しばらく黙って、じーっと”チョコ”(電話)をながめていた。
メールの送受信をやってみ、というと、真剣な顔でいじりはじめた。ただし、「なんーじゃ、こりゃっ」、「めんどーくせっ」を連発しながら。
「わからん、なんじゃこりゃ。」
「あっ、メールが6本ある。きたっ!」
「父さん、メールにエクセル添付したじゃろ、(この電話じゃ)見れんじゃん。」
「文字入力遅っ、めんどーくせっ」
「この電話、メールの転送機能がない!」
メーラーに転送機能がないわけないじゃろ、アホか、と思った(助けたりはしない)。
はじめて使う電話の操作がわからんのは、あたりまえっちゃーあたりまえだが。そのとき、はっと気づいた。そーかっ!
”コイツは、普通の携帯電話を使ったことがないんじゃ”
ヤツは、本格的に携帯電話を使いはじめたこの2年、ずっとスマートホンだった。
いわゆる普通の電話は、妹や母親の電話の設定をやったげるときだけ。
電話のOSは、くさってもwindowsの、windows mobile。ぽちっと画面をタップすると、その場面におうじたメニューが出てくる。あつかえるファイルは、音楽、写真からワード、エクセルまで、なんでもござれ。
メール打つときは、ばしゃっとqwerty配列のキーボードを出して、ローマ字入力でぽちぽち打っていた。
学校のレポートを、スマートホンで書いてたこともある。
階層式のメニューで操作したりとか、数字のキーで日本語入力とか、いわゆる普通の携帯電話の操作は、やったことないのだ。
いや、やったことはあるし、知識としては知ってるのだが、感覚としての”普通”がずれとるらしい。
そーかー、スタートがスマートホンだとこうなるのか、おもしろいヤツだ。
ひじょうに興味深いもんが見れた。いやー、勉強になるなあ。
2010年11月14日日曜日
世界のカワイイ・ファッション
金ボタンの紺ブレにチェックのミニスカートの、高校生の制服みたいなんを着ているお嬢さんが乗ってきた。
ただし、ブロンドのアングロサクソン。
いっしょにいたにいちゃん(ブロンドのアングロサクソン)は、結婚指輪はしとったけど、どうみても二十代前半。
お父さんっちゅうことはないでしょ。せいぜい、彼氏か兄ちゃん。
学生なんか、コスプレなんかわからんけど、都会にはいろんなヒトがおるなあ、と思いよったら、自分と同じ駅で降りた。
えっ!? 地元のかた?
2010年11月13日土曜日
2010年11月12日金曜日
米粉ドーナツのこと
おいしいです。
弾力がすごいあって、かみごたえがある。オールドファッションにくらべれば、3倍は、がんじがんじとかむことになる。
たくさんたくさんかんでいると、ほのかに、お米のにおいというか、味がする。
さいしょに、ダブル黒糖、つぎに"きなこ"を食べたが、どちらも味が濃すぎず、甘すぎず。
よくかんでいると、お米の味がする。
さくさくのオールドファッションは、不動のスタンダードじゃけど、"米粉"は"ポンデ"にならんで、自分の中で、"次点の標準"、になりそう。
つきがささくれている
がつんと下がるんでなくて、じわじわ。
ただし、乱視を含む。
両眼で0.5〜0.7ぐらいはあるんで、ひごろはまだメガネをかけていない。
だけども、意外なほど近くによらんと、ヒトもモノも見えない。
ちょい困る。
いちばん困るんが、ヒト。
知り合いのような気がするんじゃけど、自信がなくて声かけられん、ゆうことがよくある。
すごい近くまできて、やっぱそうじゃん、と思っても、タイミングのがして声かけにくかったりする。
すごいもったいないことをした気分になる。
反対側の歩道から、あいさつされたり、手をふられたりしても、見えねえ、わがんねえ!、ゆうことがままある。
そのまま近づかずに別れたら・・・、だれじゃったんじゃろか!?、いまのは!
ひどいときにゃあ、知らないヒトに、思いっきりあいさつしてしまうこともあるが・・・。やばい、すれちがうまでに、ものすごい恥ずかしい思いをする。
よの中、なんだか似てる人が多いぞ。
メガネかけりゃあええだけなんじゃけど、めんどくさい。
車を運転するときは、運転に自信がないのと、方向おんちなのとで、さすがにメガネをかける。すごくよく見える。むかしは、こんぐらい見えとったのに。
車をおりてメガネをはずすと、くらくらする。なれてないからか。
きょう、職場からの帰りに、歩いててふと横を見ると、空のひくいところに月がでていた。
細い三日月だったが、ぼやっと二重に見えるんではなく、りょうはじが、ばさばさっとささくれてて、白いお花のように見えた。
みごとでした。
2010年11月11日木曜日
仲里依沙さんのこと、アイドル、女優さん
みんなそうだという人もいるが、自分の場合は極端で、脳ミソん中の、そおゆう回路が切れてんじゃないかと思うことがある。
家の外で、芸能人の話をしないようにと、家族から言われている。たいてい、違うから。はずかしいからやめたほうがええよ、という意味。
モーニング娘で、すでについていけない。AKB48は、みんなおなじ顔にみえる。
ミスタードーナツの前に、所さんといっしょに、めちゃめちゃかわいいお嬢さんが立っている。
看護婦さんのようなかっこで。看板じゃけど。
いつも、すげーかわいいけど、名のあるモデルさんじゃろか?、知らんヒトじゃけど、とか、なんとかして家につれ帰れんじゃろか、所さんもついてくるけど、とか考えながら、はいちょっとすいませんよ、と前を横切って店に入る。
数日前のこと。
ミスドの店のBGMを調べるついでに、この看板のお嬢さんのプロフィールをみてみた。
みたことのない名前だった。ナカ・リイサさんか、本名なのに、名前覚えにくいな、漢字むずかしいし、と思った。
wikipediaで、も少しくわしくみてみた。
"ハチワンダイバー"に出ていた。
結構おもしろくて、毎回というほどではないがみていた。
メイド服の子が、めちゃかわいいと思った、覚えがある。
"サマーウォーズ"で、おばちゃんの声をやってた。
声だけなんでわからんでもしかたないが、映画館でみて、DVDも持ってる。
"ゼブラーマン"。ゼブラクイーンの女優さんの衣装が、セクシーゆう記事を読んだ、覚えがある。
"ヤンキー君とメガネちゃん"の花ちゃんだった。
妻と娘が、夢中でみていた。
ときどき横からみてて、メガネの花ちゃんが、あいきょうあってめちゃかわいいな、とは思っていた。
ようするに、いろいろみてて、そのつどなんか思ったにもかかわらず、顔も名前も、まったく覚えてなかった、ちゅうこと。
忘れてたんじゃなくて、はなから覚えられなかったらしい。
そおかあ、花ちゃんだったのか。
どうりでかわいいと思った。
2010年11月8日月曜日
ドナドナ
ことしの祭りの、子どもみこしの主役におじゃる。
パレードでは、みな、まろに目がくぎづけでおじゃった。
おば・・・ぢゃなかった、姉(あね)さんがたが、こころをこめて、ひと月半もかけて、まろをつくってくれたでおじゃる。
どうぢゃ、好(よ)い"をのこ"になっておるぢゃろう。
まろに隠れておじゃるが、でんぼもおるでのぅ。
ところで、このやうな、ヤネもミスもない車に、まろのやうな高貴なものをのせて、ここの男どもは、礼儀をしらぬものよ。いやぢゃいやぢゃ。
まろのえぼしが、とんでしまうぞよ。
これから、この車にのって、またべつのマチにゆくのぢゃ。
べつのマチのお祭りで、子らのひく山車(だし)にのるのぢゃ。
つぎのまろのでばんは、水ぬるむ春ぢゃ。
しばし、昼寝でもするかのぉ。
2010年11月6日土曜日
死ねない!
客席を走りまわるは、はやし方の大太鼓のうえに立つわで、おお暴れした白いキツネが、武者ふたりにとどめをさされ、大きくのけぞって幕の向うに倒れこんで消える。
キツネ退治がおわり、武者ふたりが優雅な舞いをはじめたところで、「もっと舞え」、ゆうことで、キツネが舞台にけりだされてくる。
でまた、そーれそーれっ、とがんがん舞って、キツネ、切り伏せられ消える。
キツネ、また転がりだされる。死ねない。
キツネ、幕下のすき間からすべりこもうとするが、ぎっちりガードされててはいれない。
これを何度かくり返すと、武者もキツネもへろへろ。
はやし方が、そーれ、そーれ、とうながすが、がっくり下をむいたまま、肩で息してすぐには動けない。
それでも、どんどん加速してゆく太鼓と笛の音(ね)にあわせて、舞いも加速してゆく。
切り伏せられたキツネが幕の向うに消えたが、しばらくすると、がばっと、また幕が開かれた。
すると、キツネが、舞台の真ん中でまるまって死んでいる。
ゆうか、死ねないんじゃけど、キツネ、転がったままぴくりとも動かない。
武者もへろへろだが、なんとか回復。キツネにけりを入れる。
こんしんの舞いを、キツネと武者ふたりの三人で舞い、大きな拍手を受け、やっとキツネは死んだ。死ねた。
武者が、四方をはらうような、優雅な舞いを舞い、演目をしめくくる。
武者のひとりは、烏帽子(えぼし)がどっかにいっとったけど・・・。
ぶれいこう
様子を見にいった。
神楽のとこにいた。
もう帰るか?、飯食わんか?、と聞くと、キツネのでるやつを見てから帰ると言う。
キツネのでるやつとは、「悪狐伝(あっこでん)」。おなじみの演目。
観客席のほうまでキツネが走りまわるので、子どもにはいちばん人気。
(夜も遅いので)一緒におろうか?、と聞くと、「(ひとりで)帰ってください」、と言われた。
ひとりさびしく、屋台を一周して帰ってきた。
家には、中坊軍団が帰ってて、ゲーム大会。声、でけーよ。
祭りの日は、無礼講(ぶれいこう)。
夜遅くまで、小中学生が家に帰らんで、ぶらついていいことになっている。らしい。
屋台が店じまいする時間になっても、小中学生が、しょざいなげに公園にたむろってたりする。
祭りの高揚した気分がさめんで、家に帰れんのだろう。
まつりのひ
家にいても、神楽の太鼓のおとが、どどん、どどんと聞こえてくる。
悪ガキども(息子の友達)が、なんぞ集まってきて、リビングが、すごい人口密度になっていた。6〜7人はおるじゃろうか。
毎年のことじゃけど、うちに集まって、部屋でTVゲームばっかしよる。ぎゃあぎゃあ騒がしいこと、このうえない。
おまえら、祭りなんじゃけえ、はよお祭りにいけよ!
やっとこさグループが動きだし、わいわいがやがや、と外へ出てった。
家ん中が、いっきに静かになった。
が、なんか・・・、留守番がおるし。
ジャージで坊主頭の野球部が二人、残ってゲームしよるし。
うちの息子は、おらんのじゃけど。
「なんで留守番がおるんか」
「あー、屋台に行かん組(が残ってる)!」
さわやかに、にかっ、と笑って、中坊は言った。
じこ
ときどき検索かけて、おとずれる方があります。
googleで、”ギャクボール”の画像、と検索かけると、けっこう上のほうに、ここの『きょうはギャグボールで写真』の記事がひっかかってしまうようです。
ギャクボールゆうんは、ゴルフボールみたいなボールのついたさるぐつわで、きれいなお姉さんが
これをつけられて、苦悶の表情、ゆうのがお好きな方がいらっしゃいます。SMでは、けっこうポピュ
ラーな小道具です。
その画像(写真)をお探しの方が、間違って、ごくまれにですが、ここんちにこられているようです。
で、わくわくしてきてみたら、”おっさんが歯医者に行ったはなし”、です。
残念感いっぱい、ゆうよりは、怒りがこみ上げてくるかもしれません。
『悲しい事故』、ゆうやつですね。
2010年11月4日木曜日
リアルしょうどう
オークションにギャンブル性があって、そこがおもしろいんだが。
で、毎日、なんぞいいもんがないかと、オークションを、物色してまわっている。
文化の日で祝日の、きのうのこと。
午前中に、なんかひっかかってないかと、アラートをのぞいたが、おもしろいもんは、なんもなかった。
アラートは、なん十件もしかけているが、なかなかお宝はひっかからない。
現実に、存在してないかも、ゆうもんも、期待をこめてアラートにしかけたりするもんで、上限いっぱいでもう登録できません、などといわれたりする。
午后になって、またソファーに寝そべって、アラートをみにいった。
すると、ながくさがし続けていた古本が、ばばーんとひっかかってるではなひか。
本は、宮本常一さんの、「私の日本地図4 瀬戸内海1広島湾付近」。
すげー興奮して、すぐにそのページにいって、札をいれ、それからウォッチリストに入れた。
自分が一番のりだったことに、すごい満足した。
ふーっ、と一息ついて、またアラートのページにもどった。
自分のさがしていた、"私の日本地図"のシリーズが、もう一冊ひっかかっていたので、どこの地方の話なんじゃろと思いながら、そいつをみにいった。
すると、『開始価格:8,000円』、と書かれていることに気がついた。
8,000円・・・。
払えん額じゃないが、しゃれにならん。青くなった。
薄っぺらな知識と、きわめて低いモチベーションの自分には、8,000円の価値がない。
自分にとって、その本の価値は、そんなにあるわけがない。
本に価値がないんじゃなくて、自分に8,000円の価値がない。
残り少ない貯金のことを考えながら、すんごいびびりながら、札を入れた本のオークションをみに行った。
『開始価格:2,000円』、と書かれていた。
しんそこ、安心した。
こんぐらいなら大丈夫だ、と自分にいいきかせた。
でも、同じシリーズの本で、このスタート価格の差はなんなんでせうか。
2,000円とはいえ、元値は500円台。自分が生まれたころの本の価格として、高いんやら安いんやら、まったくわからん。
それに、このての古書は、きっちりと値段が決まっている。古書店のカタログには、値段なんぼ、と明記されているはずである。
よって、そのまま無風状態で、自分以外だれも札を入れんままにオークションが終わるとはかぎらない。
ずいぶんさがして、やっと見つけた本。ここで逃すわけにはいかねへ。
オークション終了まぎわに、ライバルがあらわれたら、我を忘れそうで恐ろしい。
何年か、オークションで遊んできて、やっとわかってきた"コツ"がある。
それは、"負けるが勝ち"ゆうこと。我を忘れて、ムキんなって札を入れてると、とんでもない値段になる。
それに、二度と出てこない商品はない。ずーっと待ってれば、またいつかは、必ず、いい値段で出てくるもんである。
でも、ほしいもんはほしい。
尊敬する先輩に、学生時代にいわれた言葉がある。
「あとで買う本なら、いま買え!」
実践しよったら、ぜったい破産するね。
2010年11月2日火曜日
なんにせよ、命をかけてはいけません
あさ、しらじらとあけてゆく空をみながら、集合場所へ。
すいた道路を快調にとばして、西へ西へ。
かんたんにミーティングをしたあと、こんどはバスにゆられて現場の駐車場へ。
が、現場についてみると、おしごとは、"駐車場係"、ゆう平和なしろもんじゃながった。
実態は、時速60kmから80kmで突進してくる、鋼鉄のけだもの(体重約1t)と、オレンジ色の棒きれ一本を武器に戦う、ちゅうエクストリームなスポーツだった。
駐車場からイベント会場までは、道路をわたらなければならないが、駐車場の前後に横断歩道はまったくなく、歩道縁石の切れめさえない。
道の制限速度は60km。高速道路状態でぶっとんでくる車をとめて、歩行者を安全にわたさなければならない。
しかも、必死でオレンジの棒きれをふっても、車はとまるどころか、減速さえしてくれない。
そおゆう車が、"まま"あるんじゃなくて、"多くがそう"。
『警察じゃないんだから、車道に出て車を誘導してはいけません』、などと甘えたことをいうとる場合ぢゃない。
歩行者がわたりはじめたら、なにがなんでも車をとめなければならない。
こっちが誘導する前に歩行者がすい、とわたりはじめたひにゃあ、最悪である。
命がけで、歩行者を守らねば、ゆう状態。
けが人が出そう、ゆうのを一気にとおりこして、"死人が出そう"。
車道に出て、必死で、ぶんぶん棒をふる。武器がたよりない。
車、減速しない。そのまま自分(わたし)にむかって、ぶっとんでくる。
がまんくらべか、根性だめしのように、車道でにらみあう。無謀である。
(歩行者が)はやくわたりきってくれ、はやく、はやく!、ぢゃないと、わーしーがー、ひーかーれーてー、しーぬー、と心んなかで悲鳴をあげる。
これ以上、車との距離がつまったら、自分にむかってくる車がスローモーションでみえそう、ゆうところで、っしゃー!、わたりきった!、と歩道にすいとよけると、その前を、やっぱ減速せんままの車が、がおーっ、と通りすぎる。
これを、えんえんと繰り返す。
交代して、はなれたところからみよっても、おーあぶねえ、と声が出る。
減速せんままで、最後の最後にハンドルでよけよったりする。
軽じゃろうが普通車じゃろうが、どの車もおんなじ。
どこのおっさんじゃ、いまの運転は、と運転席をみると、おとなしげなお嬢さんだったりする。
なんなの!?。
どうもこの路線は、ブレーキをふんではいけないことになっとるらしい。
それか、ここの道には、"げげげのなんとか"ゆうようなモノノケが住んどって、その妖気にあたった車だか運転手だかは、たけだけしいけだもののような心になってしまうんじゃろうか?
地元の人に聞くと、「上り(路線)は下り坂になっとるんで、100kmでるねえ。」、とか。
ふだんは民家も少ないし、道路を横断するような無謀なヒトはいないとのことだった。
自動車専用道路状態。ようするに、高速道路状態。
これを二日間やると、駐車場がせまくてパニック、ゆうのも重なって、もう、へろへろ。
基本的には、ひまな時間が多いのに、いったん車やヒトが動きだしたら、もうアドレナリンがでまくり。
休憩でイスにすわると、頭がくらくらして、地震で地面がゆれているような感じがした。
そして日曜の午后3時すぎ、イベントの参加者たちを送りだして、二日間にわたった臨時業務終了。
まだまだ走りまわってるスタッフをのこして、自分らは撤収。
けが人も死人も出なくて、ほんと、よかった。
自分、ひかれんでよがった。
2010年10月30日土曜日
とくしたきぶん
残業してへろへろんなって、時間もおそいんで、食べて帰ることにした。
もう、へろへろ。
さすがに、いいオトナが、三日連続で夕飯がドーナツゆうんはどうか、と思ったが、なに食べるんか考えるのがつかれる。
で、結局ミスドに入った。
疲れたときは、メシよりコーヒーとたばこ、ゆうことで・・・。
なにが食べたいかより、コーヒー飲んでたばこ吸いたい、ゆう基準でえらぶとミスド。そりゃ、ドーナツは好きじゃけど。
で、元気なく店に入ると、レジに、自分(わたし)のお気に入りのお嬢さんが、ダブルでならんでおるではなひか。
おー、これは得した気分、と思いながら、奥の席についた。
奥の席は、窓にむかったカウンター。
ドーナツ食いながら、窓からそとをぼーっとながめていた。
ながめるゆうても、窓のそとには、旅行会社がこれでもかとパンフのスタンドをたててるので、スタンドの背中以外はほとんど見えない。
スタンドとスタンドのわずかなすきまを、改札口へむかう人、改札口から出てきた人が、一瞬、ちらっとみえる。それも、窓にフィルムが貼ってあるので、みえるのは首から下だけ。ヒトが、記号のようだ。
たましいが鼻の穴からぬけでてるぐらい(エクトプラズム状態)ぼーっとしてると、店のお嬢さんが、コーヒーのおかわりをつぎにきてくれた。
おかわりいかがですか、ゆう声に、ビビッと反応して顔をみると、もひとりのお気に入りのお嬢さんだった。
三人そろった。お気に入り三人娘じゃ(おっさんが勝手に思ってるだけ)。これは、ビンゴだ。
ゆうよりも、スロットが、パンパンパンとそろって、メダルがじゃがじゃが出はじめた感じだ。ヤターッ、キターッ。
注)このお店は、通常、売り子さんは三人です。
一日のおわりのほうでいいことがあると、その日ぜんぶが、好い日だったような気になる。
この得した気分をたいせつにして、またあしたからがんばろ、と思って、とぼとぼとおうちに帰った。
2010年10月29日金曜日
ひらいしん
ちょいと前にカミナリさまが落ちてひんまがってたのを、なおしてもらってピカピカ。
"避ける"ゆう字がついとるけど、身をていしてヒトを守る。宮沢賢治ばりのヒト。
「あぶない! わしをおいてみんな逃げろっ!」
一生、言うことはないな。
2010年10月28日木曜日
コーヒーをはんぶん
半分ほどお願いします、というと、「はいっ、はんぶんですね。」と、元気よく復唱してついでくれた。
ずいぶん前に、このお嬢さんに、半分ほどお願い、とコーヒーのおかわりを頼んだときのこと。
カップに半分ほどコーヒーをついだあと、首をかしげながら、カウンターのむこうに歩いて行ってしまった。
なんじゃろか?、と見ていると、コーヒーが半分入ったカップに、じょぼじょぼとお湯をついでいた。
そりゃ違うし、と心の中でつっこんだが、気が弱いので、持ってきてくれたうっすーいコーヒーをすすって帰った。
ずいぶんと変なことをいう客だ、と思ったにちがいない。
2010年10月27日水曜日
きょうはいえたぞ
この時間帯になると、がっつり食べようゆう気にならん。
でも、きょうは言えたぞ。2回も。
つりもらうときと、コーヒーのおかわりもらうときに、"ありがとう"ゆうて。
蚊のなくような声じゃったけど。
2010年10月26日火曜日
ありがとう
閉店前の、いそがしい時間帯だったのに、コーヒーのおかわりいかが?、と店の嬢ちゃんがつぎにきてくれた。
で、ついでもらったあとに、つい、"すいません"、と言ってしまった。
いつも、"ありがとう"と言おうと思っとるのに、どうも気恥ずかしくて、ヒトに言えない。
すっ、と自然に、"ありがとう"、と言いたいのに。言おうと思うと、ぎくしゃくしてしまう。
つぎについでもらったときには、"ありがとう"、と言おう。
2010年10月21日木曜日
先達はあらまほしき事なり
いまから20年ばかし前の話。
学生時代、所属していた研究会に、だれからも尊敬される、院生の先輩がいた。
自分は、その当時もだめだめな学生だったが、その先輩から勉強のおしえを請い、遊びにもつれてってもらっていた。
はじめてストリップ劇場(以下、小屋)にいったのは、もちろんその先輩につれられてだった。
それからは、どこの小屋にだれが来てるからいこう、とか、ちょくちょく一緒に観劇に出かけるようになった。
先輩がおっかけをしていた"菊地エリ"さん(いまも現役!)を見にいったり、"樹まりこ"さんや"小林ひとみ"さんだの、AVの女優さんのほか、残念ながら名前はわすれちゃったけど、きら星のような踊り子さんを見にいってた。
小屋とは関係ないけど、レンタルビデオ屋で一緒にならんで、松坂季美子さんと握手してもらったことがあった。家族づれとかおる中で・・・。衆人監視状態、さらしモノともいう。
アイドルだけじゃなく、おば・・・、ぢゃなかったお姐さんの芸を見るのも好きだった。
まさに(伝統)芸能っちゅう感じ。いまはもう途絶えた技もあるかもしれない。
昭和の終わりから平成のはじめにかけてで、AV(アダルトビデオ)が大はやりだった。ストリップはすでに斜陽だったが、なんでもありで、まだ活気があった。わい雑で、わいせつな活気。
当時も、平日やらはお客さんがめちゃ少なかったりしたけど、今みたいな萎縮した雰囲気はなかった。
浅草のロック座や、AVの女優さんとか、めちゃ若くてきれいな踊り子さんが踊るよりは、お姐さんが芸を見せる方が主流だったような気がする。田舎だったし。
当時、びんぼう学生が、どうやってお金をひねりだしてたのか覚えてないが、今よりもはるかに小屋にいってた。
そのうち、ひとりでも小屋にいくようになった。
『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー(文藝春秋刊)』という本の冒頭で、沖浦和光さんは、「人の世には<人生の磁場>とでも呼ぶべき場所がある」、とおっしゃってたが、自分の磁場はストリップだったように思う。
今でも、芸能だの職業だのをみるときは、ストリップや踊り子さんが、自分の中ではなんか基準になっている。
なにがどう、と理論だてて説明はできんのじゃけど。
"ロートレック展"を見にいっても、"グランディーバ"のバレエや"シルク・ドゥ・ソレイユ"を見にいっても、江戸以前を舞台にした本やマンガを読んでも、頭に浮かんで比較すんのは小屋や踊り子さん。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。(徒然草第52段)」
で、その先輩はどうしておられるかというと、某有名大学で、教鞭をとっておられる・・・、教授さん。
活躍は、その世界を離れた自分にも聞こえてくるほど。
いまじゃ、とてもじゃないが小屋にいったりする時間はないと思われる。私生活のない生活をおくっておられるのでは?
自分のほうはあいかわらずじゃけど、当時は自分も先輩も若く、お金もなんもないけど、今より時間があった。疾風怒涛の思春期は過ぎてたけど、まだ多感で悩みおおき青年だった(ような気がする)。
なんか、今がいいとか、当時がいいとかゆうわけじゃないけど、すごい懐かしいねえ。
2010年10月20日水曜日
おはながずーるずーる
なにかわからん、空気ん中をとんでるもんに反応してのアレルジーと思われるが、病院はきらいなんで行かない。
何年か前に、この症状と目のかゆみで皮フ科に行った。
目も赤いから、なんかの花粉によるアレルジーでせう、と医者にいわれたが、違います、ときっぱり否定して帰った。
認めてしまうと、ほんとに花粉症になっちまうと、呪術的なことを考えてた。
花粉のアレルジーゆうたら、職場の人やらのスギ花粉の苦しむさまを思い出して恐ろしく、不治の病ではないかと思ってるから。
毎年このへんの時期のような気がするが、家にあるアレルジーの薬を飲んでしのいでいる。
薬のんどっても、風呂に入ったときとかとつぜん鼻水がとまらなくなり、鼻水をびろーんとたらしながら、あーうーとうめきながら髪を洗うことになる。
恐ろしや花粉症。
アトピー性皮フ炎は、ガキのころからずっとなんで、平気じゃけどね。
2010年10月19日火曜日
ついに、あの松本大洋が
んが、とつぜん目が覚めたのが、この看板。
わだすの愛する、松本大洋さんのマンガ、"ピンポン"ではないか。
マンガ、アニメ、特撮、映画、ドラマ、タレントまでも、なんでもかんでもパチンコやらスロットやらになっとるけど、まさか松本大洋さんちのマンガがパチスロになる日がくるとは思わんかった。
高校生が、卓球に打ち込むスポーツマンガ。ただし、その勝ち負けだけで終わらないのは、松本大洋さんであるからして、もちろんのこと。
登場人物すべてに、その存在感があり、敗者の姿に涙した。
氏のマンガはみな大好きだけど、わかりやすくて読んで気持ちがいいのはこれ。絵はともかくとして、ヒトに最初にすすめるとすれば、このマンガ。
窪塚くん?を主役にして映画化もされて、これも面白かった。
滑稽なほど忠実に、しょうまじめにマンガを再現しようとしていたが、しらけるどころか、よけいに気持ちよかった。
欠点ゆうたら、高校生のはずの登場人物が、みなおっさんゆうことぐらい。
でも面白いのは、松本大洋氏のマンガの中で、"ピンポン"を選んだこと。
普通に、無難に考えりゃ、"鉄コン筋クリート"のほうをとると思うんじゃけど。
しぶいゆうか、なんというか。
家のWiiにも写真おくっとこ。
2010年10月17日日曜日
あそびせんとや
一次会、二次会とみなでしゃべりまくったが、おっさん(わたしは)眠くなってきたので、二次会で失礼することにした。
二次会の払いで、サイフをあけて、なんぼ残すかサイフと相談した。
二千円、三千円、いや、土日があるから弱気で四千円残そう・・・。
こんな弱気じゃかっこわるいぜ、と思いながら、残りの金を全部置いて帰った。
足りんぶんだけ、みんなで払ってね、つって。
帰る前にコーヒーが飲みたくなり、喫茶ゆうかバーによった。12時はすぎていた。
店は若者でいっぱいだったが、入り口、いちばん端ににひとりぶん席があった。
熱いコーヒーをすすっていると、大学出たて、ゆう兄ちゃんふたりが話しかけてきた。
なんでか、いき投合して、調子んのってしゃべくっとったら、1時間たっとった。コーヒーはおかわりした。
ほんじゃ、おっさん帰るわ、って少し多めに払って、兄ちゃんらのに足しとって、とかわいい(ほんとにかわいい)ウエイトレスさんに言って、店を出た。
帰り道、このまま寝たら、あす酒が残って"えらい(きつい)"と思い、コンビニでスポーツドリンクを買った。
サイフの中には、千円札が一枚きりだった。
サイフにお札を残すようじゃー、まだまだあまいな、と思った。
かばんの中からこんにちは
使い古しの封筒に入ってて、なんじゃろか?、と思ってあけてみると、笠木忍さんちのアダルト・ビデオじゃった。
すげーびっくりした。居間のすぐへりだったんで、どきどきした。
閉店するビデオ屋さんの、処分セールでみつけて、おーこれはお救いせねば、と買ったはいいが、家での隠し場所に困って、カバンの中に入れたんだった。当然、まだ見てない。
封筒ごと別のカバンにつっこんだ。
忘れんようにせねば。
2010年10月12日火曜日
ミスドの奥の席は・・・
きょうは、一番奥ではないけれど。
きょうのミスドの奥のほうは、不思議なふんいき。
なにがって、独語(ひとりごと)の率、高し。
前の席のおじさんは、ずっと笑っている。笑いがとまらない。
ひーひー言って笑っている。
ひとりじゃけど。音楽もラジオも聞いていないし、電話もしてないけど。ひとりでたばこ吸ってるだけ。
でも笑いがとまらん。
なんか、聞こえとるんじゃろうか。思い出し笑いじゃろうか。
んで、自分の右手のじいちゃんは、ずっと下向いて、お経のように、小声でぶつぶつ言っている。
ときどき顔をあげて、「あーあっ」、とすごい大きな声でため息をつく。
でしばらくすると、またぶつぶつがはじまる。
そして、もうひとりは、わたしだが、携帯でブログの投稿をこちょこちょ打っている。ようするに、独り言。
ここのミスタードーナツは、どんなヒトでも、おってもよいような雰囲気がある。
若いヒトも年のヒトも。健康なヒトも、そうでなさげなヒトでも。自分も含めて。
だから好きだ。いごこちがいい。
さて、わたしも帰ることにしよう。
じいちゃんは席を立ったし、前のおいさんの笑いも、いつの間にかとまっていた。
お日さまのにほひがする
あおむけに寝そべって、足をのばし、太もものうえにノートパソコンを置く。
タダでいただいてきたパソコン。古くて、起動してから5分か10分はハードディスクがジーコジーコ鳴ってて、まともに動かん。
でも、落ちついてからは、ブログやオークションを見てまわるぐらいは不自由しない。
このスタイルに落ちつくまでは、家に帰ってからも"モバイラー"だったので、快適である。自分がパソコンを使いたいときには、たいてい、もうだれかがデスクトップパソコンを使ってたので、しかたなく3〜4年前のスマートフォンで、ネットをうろうろしていた。ただ遅いだけでなく、ブラウザが古いので、こったホームページはうまく表示できないし、フラッシュが使ってあったひにゃあ、画面が真っ白なまま。
というわけで、A4フルサイズのノートパソコンでの散歩は、とても快適。
ただし、ひとつ困ったことがある。
パソコンの底面が、もうれつに熱くなること。
触ったときに、温かいのではなく、はっきりと、"熱い"ので、長い時間使ってると、低温やけど間違いなし、というぐらい。
でも、でろーんと寝そべっての散歩が気にいってるのだ。だらだらしたいんだ。
で、休日など、長時間お散歩をしていると、太ももがずいぶんと熱くなり、少し痛がゆいような感じになる。
さらにそのまま続けていると、ジーンズの太もものあたりから、なんだかいいにおいがしてくる。
それは、天気のよい日に干した布団のにおい。そう、お日さまのにおいだ。
低温やけどの経験はないが、けっこうやばいことは知っている。さすがにこわくなる。
そこで、ちょっと姿勢を変えてみる。
上半身は寝そべったままで、ひざを体育ずわりのように立てる。
パソコンは、画面を本体から180度開いた状態にする。んで、おなかのへんに、びみょうに体(足)にさわるかさわらんかぐらいに立てる。
くの字にまげた体のお腹んとこを支点にして、ノートパソコンが垂直にそそり立ったような状態。
お腹のへんのタッチパッドを、こしょこしょと操作するが、少し出っ腹がジャマ。
その姿勢でだらだらとネットのお散歩を続ける。
しばらくして、太ももが冷めてきたら、またでろーんと足をのばして、太ももにパソコンをもどす。
あくまで寝そべったまま。
こおゆう、ただれた時間が、わたしは好きだ。
2010年10月10日日曜日
一週間、また一週間待ったはなし、または待てなかったはなし
そもそも、中坊の子どもが、自分が見るのに借りてきたもんだった。
それが、1巻目を家族全員で見たところで、自分(わたし)がはまりこんでしまい、なんで1本しか借りてこなんだかと、中坊にめちゃめちゃ文句を言った。
なんで1本ずつ借りるんか! 3本ぐらいまとめて借りて来い!
近所のレンタル屋には、ザムドなんかない。ゆうか、そこんちはラインナップが、すげ少ない。
それからは、もう、中坊に命令。
街ばのTSUTAYAで、”学校帰りに”、借りてこさせるようになった。中学生に・・・、学校帰りに・・・。
世の教育的な親御さんは、まねしないでね。
ところが、前に借りている人がいて、しかも、ちびりちびり1週間に1本ずつ借りておられる。
必然的に、後ろを追いかける形で借りてる我が家も、1週間に1本ずつしか見られない。
土曜とか日曜に、中坊が借りてきたビデオを見る。
1話目終わる。「むふーっ」。おっさん(わたし)の鼻息、またはうなり声。
テンツクテンツク(エンディング&次のオープニングの曲)。おっさんは、おとなしく見ている。早送りもせずに。
で、その巻の最終話を見終わったところで、おっさん(わたし)が切れる。
ここで終わりかっ、これで終わりなんか! 続きはないんか。なんで借りてこんのじゃ。んがー。
おっさん、あばれる(口だけじゃけど)。
街ばのTSUTAYAには、ザムドは1本ずつしかないので、前の人が返してくれるまで、1週間、もんもんと待つ。
んで、土日に見る。
おっさん、見終わったあとに、あばれる。
これを8巻まで、えんえん続けた。
うちのあとに、借りはじめた人がいたらしいが、当然、1週間に1本しか借りらんない。
ワンセットしかないレンタルビデオを、3~4組の客が、じりじりと借りている。
だれが止めとるんじゃ。律速段階はだれなんかっ。
んで、最後から2番目の8巻目。
もう、見たら、なにがどういいのか、説明はようせんのじゃけど、とにかく、シンクロ率がさらに急上昇。どうでも次が見たい。
おっさん(わたし)、またあばれる。次の9巻目が最後なのだ。よけいにあばれる。
とうとう、がまんできんくなった、もう夜も暗くなっとったのに、地元のTSUTAYAまで車飛ばして、最後の巻を借りに行った。
家族から、「はっ!? いまから行くん?」と言われながら、家をでた。 小雨が降っていた。
会員証つくって借りて、きょう、最後まで見るんじゃ。
広い店内で、迷いまくって、やっとザムドを見つけた。あった!
全巻そろっとった・・・。きれいに全部。だれも借りてない。1本も。
なんなん、あるじゃん。しかも、だれも借りちょらんし。
なんなんー。もう。
2010年10月9日土曜日
”亡念のザムド”、もうだみだ
もう、わけわかんない。ついていけん。
ちらっと、イデオンの"因果地平"があたまをよぎる。
それじゃ、いけんじゃろー。
"生きたいと願え"、ゆう言葉が、ラストにどうつながるのか?
がまんできんので、いまから家族が風呂に入っている間に、車とばして、最後の9巻目を借りにいきます。
もう、しんぼうたまらん。
2010年10月8日金曜日
眠る男
朝ご飯食べて、寝て。
起きたら昼すぎで、ご飯食べて、寝て。
6時ごろ起きて、おやつ食って。
夕ご飯食べて、風呂入ったら、もう12時ぐらいには寝て・・・。
人間、寝る気になったら、いくらでも寝られるもんだと思った。
ゆうか、起きる気がなきゃ、いつまででも寝てる、ゆうか。
おかげで、きょうは、脳みそが半分くさっとった。
2010年10月6日水曜日
3D映像の、はなし
赤青メガネの3D映画は、けっこう昔からあった("スパイキッズ 3D"は、けっこう最近。)。
でも、リアルにものをみるのには、ほど遠い代物で、悪いが、遊園地のアトラクションレベルだった。
で、ついに、いろものでない3D映画、"アバター"がやってきたのです!
が、しかし、わたくしめは、カメラ2台で撮って専用のメガネ(液晶シャッターかなんか?)をかけて見るとゆう、ジェームズ・キャメロンばりの映像は、実は、20年以上前に体験済みだったのです。
アダルトビデオじゃったけど・・・。
当時、レンタル屋でそれを見つけたときは興味しんしんで、すげーうれしくて、そく借りた。
ものを見るということは、単純にカメラがとらえたものを再生することではなく、入力された画像を、脳みそで補正しまくっているとか、ちょうど授業で習ってて、液晶シャッターのゴーグルかぶって、立体視の実験とかもしてた。それで当時、3D画像に興味をもっていた。
そのソフトの専用メガネ(ゆうよりは、ゴーグル)は、ビデオとテレビの間にはさむ形で接続しし、見るのはメガネごしにテレビを見る、ゆうものだった。
で・・・、感想は、やっぱり人間の目は複雑で、よくできている、というものだった。
ビデオの内容自体は、どーでもよくて、まったく覚えていない。ほんとに。
とにかく、人間の体のしくみに感心した、ゆう記憶しかない。
そのオトナのビデオは、3D映像であることを最大限にいかそうとする内容だったと思うが(乳がでかい女優さんをつかうとか)、ヒトの体が、ぺにょんぺにょんの、厚さのない紙のように見えた。
胴体があって、それよりも手前に乳がある(出ている)ことはわかったが、それぞれが連続するかたまりに見えず、独立してぺにょんぺにょんに見えた。
飛び出す絵本みたいゆうか、CTスキャンで輪切りにした映像を縦にならべたというか、やわらかな面で構成された物体がそこにある、という感覚にはほど遠かった。
ともかく、単純に二つのカメラで撮るだけじゃだめなんだ、ヒトが肉眼で立体視するのと、おんなじにはなんない、ということがわかった。
立体視には個人差があって、得意不得意にずいぶん差がある(らしい)。
よって、技術の問題でなく、自分(わたし)個人の、脳みその画像処理の問題の可能性も多分にあるが、耳にくらべると、視覚がずいぶん複雑なんだな、と思った覚えがある。
立体音響は、自分の記憶ではずいぶん早くて、30年ほど前には、"ホロフォニクス・アルデバラン"とかゆう、立体音響理論に基づいたテープが市販されていた(CDじゃなくて、テープですよテープ!)。
そのテープを、密閉式のヘッドホンで、目をつぶって聞くと、その音のリアルさにびっくりしていた。頭のまわりを、マッチ箱がちゃかちゃか鳴りながらまわるとか、左右だけでなく、上下の立体感(位置)まで感じた。
映画、"エイリアン2"は、ジェームズ・キャメロンさんが監督だったが、着陸船が爆発したときに、目の前まで鉄パイプが転がってきたのにどぎもを抜かれた。これも音。
うしろからヘリが飛んできたり、音としては、映画はいろんなことをやっていた。
そして、ハイビジョンの時代の3Dとして、まんをじしてやってきたのが、"アバター"。
すごい楽しみにしとって、公開されると、すぐに見に行った。中坊の息子つれて。
"アバター"の内容自体は、まあ、おいといて・・・。ハリウッド映画ですから・・・。キャメロンさんだし。
CGの森はすばらしかった。空気の湿度まで感じられて、感動した。どこのだれの映画でも、アニメーションでもできないことを、この映画は実現してると思った。
が、3Dは・・・、落胆した。やっぱり、ヒトもものもぺにょんぺにょんに見えた。
「このレベルの3D、20年前に見たわ。アダルトビデオで。」と、愚息に言ってしまった。
なんが、現実のものを見るという行為と違うのか、わからない。
ピントか、左右の眼球の角度か、それらの画像を処理する、脳みそのプログラムか?
ちゃんと、目玉とおんなじにカメラ2台で撮ってんのに。なぜ、連続した面に見えないのか?
技術の問題か、脳みそのプログラムの問題か? これから3Dの画像を見まくったら、脳みそが慣れて、現実に近い感覚で見られるようになるのか?
先日見に行った、"バイオハザード4"も、おんなじだった。
ふりそそぐ雨のつぶや、せまってくるオノは、確かに奥行きがわかった。位置関係がわかったというべきか。なにが奥にあり、手前にあるのか。
でも、ぺにょんぺにょん問題は、おなじだった。
これから、メガネなしの3Dモニターなど、3D関連商品がつぎつぎに送りだされてくる。
モニターやスクリーンにむかって、手をのばしたくなるような、リアルな3D映像が見られる日を、首を長くして待ってます。
いつ、20年前のアダルトビデオを超えるもんがくるかな?
2010年10月3日日曜日
e-hon 全国書店ネットワーク
トーハンさんの運営しているサイトです。
在庫や、発売予定日を確認して、注文ができます。
わたしは、モノによって、お店を使いわけてますが、本やマンガは、おもにここで注文しています。
理由は、1.本のあつかいがていねい、2.なじみの書店に本が届きます、3.その書店で支払って受け取り(クレジットカード不要)。
CDや、DVDの注文もできますが、値段や品ぞろえで、amazonさんや、ネット・オークションなどと、使いわけています。
あなたの町の書店も、きっと加盟しています。
あなたの本を、amazonさんや、大型の複合書店ではなく、あなたの町の、なじみの本屋で購入してみませんか?
”バイオハザード4”ふたたび(ねたばれ注意)
んで、どうでも見比べたくなって、もっぺん、3D版を見にいった。また中坊つれて。
今度は、吹き替え版。
「だんだんだんだんだんだんだんだん、中島美嘉」
冒頭の中島美嘉は、なんど見てもいい。
雨のつぶつぶが、きわだって見え、美しかった。大つぶのぼたん雪ふる日に空を見あげたときの、"天がおりてくる"ような錯覚を思い出した。映画は、俯瞰の視点だったけど。
やっぱ、オープニングのこのシーンは、ええわ。なんか、あのしつこさがエロくて。
べつに、中島美嘉に、はぐはぐとかぶられたいとは思わんが。
「やっぱ、アクションでしょう」
あらためて見て面白かったのは、アクションシーン。
しょっぱなの東京本部、処刑マジニさんとのシャワー室での対決、最後のラスボスとの決戦と、なんか、"マトリックス"の正統進化、ゆう感じで、かっこよく、かつ美しかった。
"マトリックス"でどぎもを抜かれた(日本アニメお得意の)、"まわりこみ"こそなかったが、超高速カメラを使ってのスローは、スタイリッシュでかっこよかった。
東京本部は、ちょっとずれた日本趣味が炸裂。そうか、スーパーマンになったら、やっぱりニンジャなんじゃ。
「処刑マジニさんについて」
処刑マジニさんは、最初に見たときに、すごいかわゆくて気にいったが、ぽっちゃり系と思ってたのに、3D版で見るとすっきりスマートな体形で、ええ男っぽかった。マスクしとるけえ、顔は見えんけど。
ずーりずーりと、斧をひきずって登場するとこは、やっぱえかったな。デター、キター!、ゆう感じ。
子どもの顔を見ると、すげーうれしそうに笑っとった。カエルのこはカエルだ。
「マジニさんたちについて」
ゲームにそっとるんじじゃろうけど、アンデッドが走るのは反則と思う。大人数が、たったかたったか元気よく走ってくるのは、まじ怖い。
うじゃうじゃおるけどのろい、ゆうのがデイ・オブ・ザ・リビングデッドとか、むかしからのお約束のはずなんですが・・・。
そういえば、わんことボスキャラは、1のときから元気よく走ってたな。
「白の民俗について」
最後に、タンカーのうえに、解放された人たちが集っているシーン。
そのさわやかな表情もあって、白がすごい美しかった。
白。純粋で、清浄な、汚染されていないモノを象徴するためだったのだろうが、衣装のデザインも効果的で、とてもきれいだった。
「レオタードのねえちゃんについて」
最後の最後に出てくる、ねえちゃん。ぱっつんぱっつんのレオタードはうれしいが、いらない・・・。
ねえちゃんのお色気がいらん。あんなに表情はいらんて。次の映画につながるんじゃろうけど、表情少なくして、目がぴにょんと赤く光るぐらいにしてほしかった。
せっかく、黒くて固くて、感情なし、ゆう雰囲気をつくっとるのに、ねえちゃんのくねくねと、いなげなブローチ(へんなリモコン)で、だいなし。
「カプコンだ!」
クレジットで、でっかく"カプコン"ってでたときは、無償にうれしかった。子どもと二人で、おーっ!、と声だしてよろこんだ。
"Sony"とかでても、たいしてなんとも思わんが(配給はSonyです)、ハリウッド映画にゲーム会社だと、なんか、"してやったり"、ゆう気持ちになる。
サブカルチャーをひいきしているからじゃけど、歌舞伎も浮世絵も、サブカルチャーじゃないっけ?
サブカルチャーで、"文化侵略"。子どもの次はオトナがターゲットだ!
「かんじんの3Dのこと」
また見にいったのは、もっぺん金だして劇場で見てもいいかなと思ったのと、2Dと3Dを比べてみたかったから。
予想どおりに、冒頭の雨の交差点と、シャワー室のシーンはすごくよかった。丸い雨つぶが美しい。
でも、これは、3Dの、というよりは、超高速度カメラのチカラかもしれない。
なにかよりも、なにかが、手前にある、奥にある、ということは確かにわかるが、どうも、モノがそこにある、ヒトがそこにいるリアルにはほど遠い。
映画の味つけにはなっているが、映画をおもしろくする、革命的な技術とは思えない。"アバター"を見たときにも思ったが、別に2D版でも、十分に面白いのではないだろうか。
3Dについて思うところは、また別の項で・・・。
やっぱ、映画は映画館で見るんがおもしろい。3Dが、映画館に人を呼ぶ呼び水になってくれればええな、と思う。
本は買って読む、映画は映画館で観る、ゆうのが基本ではないかと、自分は思うのでアリます。
2010年10月2日土曜日
闇夜にロリータ
暗い路地をまがると、ぼわっと、浮かびあがるように、白いロリータのねえちゃんがいた。
ぎょっとした。
まじで、怖かった。ドキドキした。
だまってすれ違って、しばらくして、子どもと二人でしゃべりまくった。
「こえー」、「まじこええよ」、「ホラーじゃ」。
明るいとことで見ると、多分、かわいいお嬢さんだったのだろうが。
失礼な話だが、まじで怖かった。
ひとりじゃなくて、よかった。
2010年10月1日金曜日
夜の出動でみたもの、ふたつ
闇夜のむこうに、白っぽく、ぼんやり浮かんで見えるものがいた。
野犬か、めずらしいな、と思いながら近づくと、でっけーイノシシだった。
おいおい、と声にだしてふり返った。
いかに田舎とはいえ、集落の中を走る国道である。夜間は、車は60キロ超でとばして走る道。
あんなもんをひいた日にゃあ、車もただではすまない。
あんな集落までシシがおりてくるんかい、と考えながら走っていると、まわりが明るくなり、国道は2車線になった。
反対車線を、すごいイルミネーションが、ビカビカ光りながら走ってくる。ふらふらとゆれながら。
それは、"デコ・トラ"ならぬ、"デコ・チャリ"だった。
よく聞きとれなかったが、威勢のいい、男性ボーカルの曲を、大音量で鳴らして、兄ちゃんが、左右に体をゆらしながら自転車をこいでいた。
うしろには、でっかい旗がたててあって、ばさばさとはためいていた。
すげっ、と声にだしてふり返った。
でも、兄ちゃん、2車線の国道で、車道をちんたら走ったら、あぶないよ。
夜走ると、ふだん見かけないものを、いろいろ見る。
夜は、くらい
明かりがないと、夜はあんなに暗いのかと、びっくりした。というよりも、びびった。
自分が、いま、どんなとこを歩いているのかすらわからんかった。
頼りになるのは、携帯の画面の明かりだけ。
携帯で、地べたを照らしながら河原を歩いて、目標までたどりついた。
携帯のぼんやりした明かりが、とても頼もしかった。
圏外じゃったけど。
ひっつかんで車に乗った、カギが"アタリ"で、トラブルについての、読みもアタリだったのは、うれしかった。ヨシャッ、ゆうて心んなかでガッツポーズした。
もともとは、監督ふゆき届きが原因じゃったけど・・・。
こんな、いきあたりばったりで仕事すんのは、こわいぜ。
まっ、とりあえず、きょうをしのげたから、よしとしよう。
2010年9月29日水曜日
地デジ化すすんでますか
店員がうれしそうに寄ってきたが、まだ高いね、というと、少しずつ安くなってるんですけど、といって、すぐに離れていってしまった。
買う気はないけど、少しさびしかった。
CATVからは、契約をデジタルにしませんか、と誘いがくるが、それよりゃ今、地デジチューナーの新しいレコーダーがほしい。
うちのレコーダー(アナログ)は、HDD残り数時間から十数時間を、いったりきたりしている。
少し油断すると、もう録画できません、てなことをいってくる。
もちろん、見ようと思って録画すんじゃけど、なんか、見るにはエネルギーがいって、なかなか録画ずみのを減らせない。
おまけに、自分のTVのチャンネル権の順位がすこぶる低いことが拍車をかけてて、自分のホルダはぱんぱん。自分管理のホルダを全部たすと、軽く百時間を超えてそうだ。
一番古い番組は、2年ぐらいたってると思う。
子どもらは、がんがん録画しているが、がんがん見て消してるので、HDDのホルダは、一定の時間数で推移している。
父さんのホルダがいちばんでかい、ゆうて、わたしを責める。
ちゅうわけで、新しいレコーダーがほしい。
当然地デジで、メーカはいまと同じ東芝。このさいだから、BD(ブルーレイ)で、HDDはテラ単位。
さすれば、気がねなく番組が録り放題。HDDの残り時間にびくびくせずに、デジタルのきれいな番組が楽しめる。
あっという間にHDDがいっぱいになっても大丈夫。USB接続で、HDDが無限に増設できるのだ(うそです。有限です。)。
この状態・・・、なんかに似てると思ったら、自分のパソコンの中の、お宝画像・動画だった。
見つけたときは、すげーうれしくて大事に保存するが、二度見ることはまずない。
何度かHDDやPC本体をかえているが、その度に、大切な資産として引っ越しをさせてきた。この15年間・・・。
でも、鑑賞することも整理することもない。ホルダつくって、だーっと流しこんだだけ。
何GBあるのか、考えるだけで恐ろしい。確かめたことないけど。盛大にHDDを浪費していることは間違いない。
で、いま欲しい東芝は、約15万円也。無理です・・・。
はよう、5万ぐらいにならんかな。できたら、来年の7月までに。
2010年9月26日日曜日
バイオ・ハザード3
ビデオにとらずに、テレビでそのまんま。リアルタイムで見た。
おわりごろは、どーでもよくなって、笑いながら見てたけど。
最初のほうは、おー、マッドマックス2だっ、なつかし、ゆーて、よろこんで見てた。
お話は、なんか、いきあたりばったり。
おー、これがやりたかったんか、ゆーのがところどころあるけど、全体に、重みがないゆうか、雰囲気がないような気がした。わりーけど。
遊園地の、おばけ屋敷みたいな感じ。
ヒトの使い方も、もうちょっとていねいに使ったげればええのに、と思いながら見てた。なんか、ひとやまいくらでヒトを使っちゃう、ゆう感じ。
LJの彼女、LJや、コンボイの仲間。ほいで、せっかくいい感じで出てきた、白の女王とか、もったいない。
ていねいに扱ってほしかった。
ボスキャラも、あれはないじゃろう。
それまで、さんざん金かけて特撮やっといて、最後に、"きぐるみ"はないじゃろう。
右手をびろびろふってアクション、ゆうて、仮面ライダーとか、毎週やってる戦隊ものとかのレベルじゃん。
最後は、怪獣大戦争、がちんこで一騎うちか?、と思ったらそうでもなかった。ボスキャラの最後は、個人的には好きじゃけど。1を見たときに、しょっぱなで、うげっ、と印象に残ったシーンだったので。
全体として、二流のB級ゆうかんじ。B級映画は好きなんじゃけど、これじゃあ、どう楽しんだらいいんかわからん。
1.すごいまじめにやってて、でも臭くて笑える、2.どーんと力わざで突き抜けちゃう(エイリアン2とか、アバターとかの、あの人みたいな)、どっちかにしてほしい。
ラストは、そのまま続きで4を見てね、ゆう終わり方で、なんで4でアリスが増殖してたかがわかってよかった。
でも、アリスの超能力といい、増殖してることといい、4の監督さん(1も)は、気に入らんかったんでしょう。たぶん、やりすぎと思うちゃったんでしょう。
わたし個人としては、3より4が好きです。1と2は、おんなじぐらい。4は、なんか変な感じが好き。いままでで、一番B級くさいかも。
雰囲気とスローモーションが特に好きだ。これはマジで。
中島美嘉も、ええ感じで出てたし。中島美嘉のファンでもなんでもないけど、冒頭のシーンは好きだ。実は2Dで見たんじゃけど、あのシーンと処刑マジニを見るためだけに、3D版を、マジで見にいこうかと思っている。
おどろいたのは、おわった後に、映画4のオープニングを、TVで、そのまま流したこと。
あれがバイオ・ハザード4の、一番の見せ場なのに・・・。
2010年9月23日木曜日
左利き用のパイソン?
左手に持っているパイソンが、左右のつくりが逆なんじゃけど、これはなに?
右手に持ってる方は、"れんこん"のリリースラッチが、左側面にあって、銃の左側に、れんこんがスウィングするようになっているが、左手に持ってる方は、ラッチが銃の右側面についている。
こおゆうのが、ほんとにあるんじゃろうか?
初めてみた。
『バイオハザード IV アフターライフ』(わずかにネタばれ)
面白かったと思うんじゃけど、人に胸はって勧められるほどでなく、哲学的なわけでもないのに、なんか、見終わったあとに、なんか引っかかるもんがあった。不満ではないんじゃけど、なんかもやもや。
アクション映画ゆうほど、アクションシーンばっかり、でなく、でろーんとだるいようなシーンがながながとあったり。かといって、哲学的なわけでもなく、全体としては軽い印象。
一作目は、全体がMTVのビデオみたいな印象じゃったけど、今回は前半の、主人公ひとりの孤独なシーンがやたらながく感じられて、それで映画全体の印象が変わったかも。
エイリアン2みたいな、"脳ミソからにして見るアクション映画"かと思ってたので、ひょうし抜けした。
ひとりきりで、ビデオに向かって語りかけるとこは、エイリアンの、シガニー・ウィーバー思い出したな。「わたしはリプリー、ノストロモ号の最後の乗組員」、てなことを言ってたやつ。
アクションシーンは、スローモーションが面白く、"画(え)"がきれい、ゆう感じ。一作目でも、この監督さんはスローモーションを多用してたので、好きなんでしょう。
マトリックスのまねし、ゆう気はせず、「ほんとこの人、スローが好きじゃねえ」、と笑ってしまった。
で、この映画の見どころは、雨に打たれる中島美嘉と、ジョボビッチさんの"にの腕"かと。
あ、あと、必殺処刑人みたいなアンデッドがかわいかったです。中世の処刑人みたいなヤツ。”処刑マジニ”とかゆうそうです。フィギュアがでたら、買ってしまいそうだ。
冒頭のトーキョー。中島美嘉のシーンは、たっぷりと時間が使ってあって(やっぱスローモーション)、きれいで雰囲気があった。選んだのが中島美嘉、ゆうのはビンゴだったと、"わたしは"、思いました。
やっぱ、そうだったか。どうりでやせ過ぎと思いよったんよね、中島美嘉。アンデッド、ゆうよりは、バンパイアじゃったけど。
残念なのは、かぶりつくおじさんが、普通すぎること。どうせなら、1.すだれ頭、2.こぶとり、3.セルのメガネ、ゆうぐらい、"記号"みたいなおっさんじゃったらえかったね。
ほんでジョボビッチさん。しっかり歳をとっておいででした。体形といい、お肌といい、化粧のしかたといい。
きちんと歳をとってて、きれいかっこいい、ゆうのがよかったかなと。無理やり、(見た目)歳とらん、気持ち悪いヒトもおるけど。
まとまらんけど、まとめを。
エイリアンと比べてしまうんじゃけど、エイリアンは、1も2も3も、ぜんぜんつくりが違ってるけどスゲー、ゆう感じじゃったけど、あそこまでの個性はないかなと。
でも、次がつくられるなら、また見に行きたい、ゆう感じ。
ゲームやってるヒトなら、もっと楽しめると思うんじゃけど。いろいろ仕組んであるらしいです。
とりあえず、テレビで放映される"3"を、楽しみにしてます。この映画につながる内容らしいので。
なんでアリスがゾウリムシみたく増殖してたかも知りたいし。
2010年9月21日火曜日
きつねのよめいり
ボロっちい軽トラは、見た目だけでなかった。
エアコン(クーラーか?)は、いつまでたってもあっつい風がぶおー、と出るだけ。しばらくたったら、あきらめて窓をあけた。
道がせまいので、少し遠くに駐車して、目的地まで歩くことにした。
歩きはじめると、まわりで、ダバダバと、音がしはじめた。
なんじゃ?、と思ってると、大つぶの雨が、音をたてながら降ってきた。
お天道さんは、さんさんと照ってて、どぴーかん。その中で、どどっと、音をたてて雨が降っている。
「なんーじゃ、こりゃ」。
あまりにお日さまが照ってるので、雨やどりする気にもならんかった。
はっはっはっ、と声をあげて、笑いながら、ずぶずびに濡れたままで歩いた。
目的地に着くころには雨は小ぶりになり、仕事が終わるころには服がかわいていた。
田舎は田舎だが、きつねが道を横ぎるほど自然は残っていない。
近くのお山も、造成して、宅地になってしまった。
どっからどこへ、お嫁に行ったんじゃろうか?
2010年9月20日月曜日
バイオハザード3に期待
とにかく派手で、アクション満載。
いやな感じはせず、なんも考えずに楽しめた。ジョボビッチさんきれいだし。
まあ、悪いやつはひどい死に方して当然、ゆうお約束は、ちょっとにおうけど。
で、来週は、バイオハザード3。はじめて見る。
その予告編を見ると、すげー、なつかしい。
これは・・・、あれだ、"マッド・マックス2"だ!
ゾンビのリーダーが、モヒカンだったらうれしいな。
2010年9月19日日曜日
ブログの分析がおもろい
本の内容を引用しながら、きちんきちんと遊女について論述しているページたちにまじって、自分の、少年ジャンプのようにふりがなふってほしかった、ゆう文がはさまっていた。
あほや。
アニメ:亡念のザムド(再び)
すげーきつい。気持ちが。
このタイミングで、こんなん見るか!?
てめーで見たのに、見せられた、ゆう感じ。
これは、おれに対する罰か?
フルイチ、てめー、ゆるさん。
2010年9月18日土曜日
”田代まさし容疑者逮捕”でおもったこと
田代容疑者逮捕のニュースは、事件そのものは、あっそう、ぐらいで、なんとも思わなかった。
衝撃だったのは、田代氏の、その写真。
偏見や思い込みを含んでいることを恐れず、そのまま言えば、「人格が崩壊して、その様子が、もう包むことができず、見た目、外見にあらわれてしまっている」、ゆう感想。
もっと、感覚的な言葉で言えば、「死相が出ている」。あぁ、この人は、いま、もう死んでいる最中なんだ、ゆう感じ。
いかにも死にそうな人が、自死や、それに近い形で死んでしまうと、むなくそがわるい。だれの、ゆうたら、わたしの。
飯島愛さんのときとか、別にファンだったわけじゃないけど、勝手にこの人、死にそうだ、と思っていたので、なんか落ち込んだ。イライラして、なににゆうわけでなく、なんか腹立った。
いかにも死にそうだったじゃないか、なにかできんかったんか、と。
酒井法子氏が出頭したとき、すごくほっとした。なんか、死にそうな気がして、心配だった。とくに、自死。彼女のファンでなく、もともとは、興味のない人だったんだが。
申しわけなく思って死んでしまうのでも、くやしくて死んでしまうのも、死んでしまっては同じことだ。
出頭が、いいのわるいのと、いろいろ言われたが、自分は、ただ、彼女が死んでいなかったことだけでよかった。
彼女が、反省していようがしてまいが、今後の人生をどうするつもりだろうが、わたしにとっては関係ない。
話したことがなくても、名前や顔を知ってるだけの人でも、死なれるのはいやだ。
実際のところは、話したことがある人に、けっこう死なれている。
自死とは限らないが、この人は死んでしまうんだ、と思って、ほんとうに死んでしまった人が何人かいる。
もっと、正直に言えば、自分が最後の引導をわたしてしまった、と思っている人がいる。
その人からのSOSに、自分はこたえず、見殺しにしてしまった。
ゆっくりと、自殺しているような人だったけど、わたしは彼を見殺しにした。
彼は、もう死んでしまったので、わたしの罪は消えることはない。ふだんは忘れてるけど、なにかのひょうしに、身を突き刺すように思いだす。
わたしは、"田代まさし"という男が、反省してようがいまいが、どうだっていい。ただ、わたしの知るところで、死んでほしくない。
どんなに見苦しかろうが、生きていてほしい。
幸せな人生をおくってほしいと、彼の身を案じて言ってるわけでも、世の中のために言ってるわけでもない。
ただ、わたしのわがままのためだけに、彼には生きていてほしい。
2010年9月16日木曜日
”おすすめ商品があります”
どう引っかかってくるのかわかんない、萌え萌えの本だのビデオだの、キッチンたわしだの、こっちんこっちんと、”興味がありません”にチェックを入れていく、単純作業。
どっこいさすがはamazon。おすすめが、あるわあるわ600件弱。
一周まわるだけで、ばく大な時間がかかった。
どれ、もう一周。きれいになったかな?、とナンバー1からはじめると、またまた
新たな萌え萌えが・・・。
なんじゃ、こりゃ!?
で、また、こっちんこっちん。
で、単純作業のおかげで、脳内に、変な物質が流れはじめたころ、突然目が覚める。
「あっ、”ラブマシーン(のフィギュア)”だ!」。
”萌え萌え”をこばかにしながら、実は、”萌え萌え”よりも恥ずかしい本・マンガやビデオをてんこもりに持っている。
それより問題なのは、物欲に限りがない、ゆうこと。
「買っちゃーいけん。ボタン押したらいけん。」、「みるだけ。みるだけなんじゃけえ。」。
いっこ物欲に負けて、予約ボタン押しちゃったけど・・・。
こおゆうのを、ミイラとりがミイラ・・・、ゆうんでせう。
どってことない、はなし
"stripwiki"と、入れてgoogleで検索かけると、意外に上位に、自分とこのブログがひっかかることに気がついた。
ここは、隠れがのつもりなんで、広い通りに小屋かけるようなことをしてもしょうがない。
ゆうことで、とりあえず、看板だけかえてみた。
題して、"どってことない、はなし"。
まっ、この記事自体が、どうってことない話なんじゃけど。
おもいだした
”vox”に、気に入ったブログの記事があって、それに、どうしてもコメントを書き込みたかった、からだった。
なんぞ、まちがって登録したように思ってた。
そのvoxは、今朝で新規の投稿はしめきり。サービス全体も、今月末まで・・・。
とても残念です。
紙媒体のように、くちてゆくのではなく、まるで、存在しなかったかのように消えてしまう。なんか、不思議な感じがします。
2010年9月12日日曜日
ミラ・ジョヴォヴィッチさんのこと
ミラ・ジョボヴィッチさん、かわいかったなあ(なぜか、過去形)。
”フィフ ス・エレメント”とか、”ジャンヌ・ダルク”とか。
バイオハザードのⅣは、みに行くつもりなんじゃけど、なんか、続いてくると、”エイリ アン”のシガニー・ウィーバーと重なってきて・・・。
エイリアンも、エイリアンのシガニー・ウィーバーも好きなんじゃけど(ただし、3まで)。 なんか、なんだか、やっぱり年はとるよねえ。
アニメ:亡念のザムド
最初は、「ナウシカにラピュタの海賊船か、デザインがレトロ・フューチャーで変わってんな。」ぐらいにしか思わんかった。
で、いま3巻目までみての感想は、あんたら、こんなとこにまで触れて、責任とってくれんだろうな!、ちゅう感じ。
戦争、犠牲、信仰。被害と加害。そのエグさが、これでもか、というくらいに、露骨に、ストレートにえがかれている。
3巻目まででは、充分な説明はない。
なにもかもわからんで、状況に放り出されているのは、アニメの登場人物たちも同様と思われる。未来や目標が見えんままで、覚悟を決めるものと迷いつづけ るもの、確信犯を決めこむものと、現実にあらがおうとするもの。どちらにも、いまの時点では、それほどの差がないように思われた。
信仰にもとづき動いているとおぼしき、”北”の勢力(なぞ)。その信仰にもとづき、容赦なくひとの命をうばい、自らも殉ずる、白髪(アルビノ?) の少年少女たち。
海千山千のはずの船長の、「それは、こっちのセリフだ」という言葉が、ものすごく痛かった。悲鳴のようだった。思い出してもジーンとくる。船長の 複雑な気持ちと覚悟は、簡単にわかります、共感します、などとは言えない。すさまじいものに感じた。
だれよりも、船長に感情移入したのは、自分も年とったからか?
阿鼻叫喚の船内で、乗組員ひとりひとりの物語を、ていねいに、しかし説明しすぎずにえがいていたのは、さすが。関心いたしやした。
ごんごんと絵も物語も動いている中で、だれひとりとして、気を抜いて扱われているひとはいなかった。
さて、ビデオ9巻で完結の、このものがたり。
みごとにおさめられたら、拍手喝采。えらそな言い方だけど、ほんとに尊敬します。
ところでこれ、北米でも放映されたらしいけど、9.11以降のアメリカの人たちは、これをどのように見たんじゃろうか?
2010年9月10日金曜日
天使か悪マか
小学生の通学路で、ハタふりをした。
8時前になると、車も子どもたちも、とぎれることがないぐらいにどんどん続き、結構な忙しさだった。
むこうから、黄色いランドセルカバーのお嬢ちゃんがたがやってきた。
一人が、通りすぎた後に、わざわざ戻ってきて、まっ正面ににおう立ちして、「おいさん、かっこいいです」、と言ってくれた。
ありがとう、愛の告白。
おいさんが困っているところで、そばのお嬢ちゃんが、「かっこいいとか言った! キモッ。ひげはえとってブサイクじゃん。」と、おいさんの目を がっつりと見ながら、吐きすててて通りすぎた。
・・・、どっちでもええんですけど、みんな、おいさんをかまってくれて、ありがとう。小学一年ぼうずのお嬢ちゃんたち。
あと、15年ぐらいたって大きくなったら、またおいさんに声かけてね。とほほ。
2010年9月5日日曜日
引っ越しさきがきまりました
ブログがどうゆうもんかもわかってないのに、転居先をさがすのは大変だった。
いくつか見て、1.すぐに閉鎖されそうにないとこ、2.自分の環境(主にモバイル)で対応できそうなとこ、という基準で、物件を決めてみた。
くらしていると、なにかと荷物が増えて、引っ越すのが大変になるのは、現実と同じかも。ながくくらすほどそう。
自分の、今回の場合は、ほんの数カ月だったので、たいして情報量はない。でも、この際だから、思い切って捨てるか?、と聞かれると、やっぱりもったいな くてムリだ。
量だけでなく、質としても、ぜんぜんたいしたもんはないんじゃけど・・・。
で、引っ越しさきはこちら。
勝手にブログの文を引用しているとこは、お断りの連絡をしておかねば・・・。
で、引越し先で選んだのが、コチラです。
てすてすてす
ブログがなにものなのか、わかってない。
このページの使い方も、わかんない。
でも、ヘルプ、マニュアルは読めない。
ゆうことで、いじってみて、結果をみて、「ほーっ、こーなるのか」、ゆーてやってます。
みんなぁ♪帰ってきたよー
文章は、”複製”をつくり、残すことができますが、あるべき場所で、オリジナルを読むのとでは、感慨が違います。
ほんとに、残念。
以下は、voxのブログより。
タイトルは、「みんなぁ♪帰ってきたよー」。
2010/04/13 8:45 投稿
”オリジナル”、『しのぶろぐ。 』
こんばんわ、笠木忍です。
みなさんお元気でしょうか?
ぼくはなんとか元気でやってます。
先日、散歩をしているとき、ふと「記録」としてのぼくが急速に街中から消えつつあるのを目の当たりにした。
それはつまるところ、みなさんの「記憶」からも消えつつあるのかなぁと・・・
当然、現在「本名」で生活しているぼくはそれが嬉しかった。
でも、ぼくの中に少しだけ残ってる「笠木忍」は複雑な気持ちになった。
だから、馬鹿馬鹿しいタイトルをつけて久しぶりに、このブログを更新することにしました。
ただ、日常生活を送っている中で、人々の「記憶」から完全に消えたわけではないことも充分知っているし
よくよく考えれば、「記録」も媒体を変えて残り続けているわけで・・・
とにかくぼくは今を生きてます。
相変わらず、’まったり猫的生活’ですが(笑)
そろそろ現実世界にいる、本名のぼくに戻ります。
それでは、みなさんお体に気をつけて。
夢で逢いましょう。
ただいま、引っ越し準備中
おもしろくなってきたところで、利用していたサービスが、閉鎖されることにあいなりました。
なんか、慣れんだけなんかもしれんけど、こっちは使いにくい・・・。
2010年9月3日金曜日
あれ!? もうおしまい?
だれも読んではいないだろうけど、だれかが読むかもしれない、という可能性にわくわくして、とりとめもないことを、だらだらと書くのが、この数カ 月の習慣でした。
ようするに、ひとりごとなんだけど、頭ん中でぐるぐる考えるんじゃなくて、文章にして投稿するゆうのが、気分が新鮮でした。ストレス解消になるし。
ブログとやらが、なんなのか、まったくわからんとこからはじめて、とにかく投稿がアップできるようになったところで、もうおしまい。
なんだか残念です。
いきおいがついたので、どこぞに引っ越して、続けるやもしれません。
それでは、いるかいないかわかんないだれかさん。9月末までの短い時間、よろしくお願いします。
(ブログ・サービスのVOXより)
へのじぐちはやめよう
えんえん、月曜から、きょう金曜日まで低空飛行。
楽しいことが、ぜんぜんなかったわけじゃないけど、昼も夜も、どよーんとした気分だった。
職場でも家でも、しごとがまったくはかどらんかった。
たまったしごとを、ずーるずーると、引きずってすごした。
月曜日の歯医者がきつかったんじゃろか?
歯を入れたとこの違和感は、だいぶなくなってきたんじゃけど・・・。かたいもんを食べるんは、まだちょっとつらい。左ばっかでかむもんだから、左おく歯 のはぐきがはれてしまった。
んでも、今週は、ひそかにこころがけてることがあった。
どんな気持ちのときでも、みけんにしわよせるのと、へのじぐちをやめよう、ゆうこと。
”スマイル・ゼロ円”とはいかないが、歩いてるときにうすら笑いをしていて、はたから見たら、気持ち悪かったかも。
今週末をがんばろ。
で、来週、がんばろ。
へらへらと、口角をあげて。
2010年9月1日水曜日
せんたくせんたく
泥の汚れがとれないものを、”念入り”洗濯モードにして洗う。
洗濯機の前にしゃがみこんで、ドラムが、がろんこがろんこ回るのを、ぼーっと見ていた。窓に顔をくっつけるようにして。
あたらしい洗濯機は、見ていて、なにやってんだか、よくわからない。ドラム式だからよけいかも知らんが。
しょっぱな、水も洗剤も入ってないのに、しばらく、がろんこがろんこ回っていた。最近はやりの、”エア”なんとかみたいだ。”エア”せんたくか?
オゾンで洗ってる、ゆうことだが、ピンとこない。ほんとに、エアせんたくだった。
オゾンゆうたら、あれだ、あながあいてるだのあいてないだの言われてる、空のやつだ。
1時間ちかく、洗濯機の前にすわり込んで見ていたが、やっと脱水まで終わって、夜のベランダに干した。
結論としては・・・、手で洗っても落ちない汚れは、洗濯機で落ちるわけない、ゆうもんでした。
泥で色がついた汚れって、どうやったら落ちるんでしょうねえ?
2010年8月30日月曜日
2010年8月28日土曜日
友、遠方より来たる
いろいろ都合があって、男女合わせて4人だけだったが、関東方面からの、里帰りを囲んで、長々と話した。
知りあってから、もうすぐ20年。17年ほどだろうか。仕事も年も、ばらばらなメンバーが、とあるきっかけで知り合い、ずいぶんと一緒に遊んだ。
その前でも後でも、あんな出会いや時間はなかったと思う。
キセキゆうのはおおげさとしても、すごいラッキーだったのは確か。特別な”縁”と思う。
それぞれが、年をとっても、住む場所が変わっても家庭を持っても、集まれば、昔と変わらない。会ってない、空白の時間が、一気に圧縮される感じ。
楽しかった。むかし話も、いまの話も。
さて、たばこをもう1本ぐらい吸ったら、おうちに帰ろう。
ほのぐらい深夜の喫茶店は、元気のいい若者ばかり。おっさんは、自分ひとりです。
2010年8月26日木曜日
今敏さん死去
闘病されていることをまったく知らず、ショックを受けた。落胆した。がっくりした。
今さんを知ったのは、実はアニメーションで、ではなく、実写映画”ワールド・アパートメント・ホラー(大友克洋監督)”を、彼がマンガ化したのを 読んでからだった。
大友さんばりの、しっかりとした絵と構図、話のうまさに、こんなマンガ家がいたのかとびっくりした。
映画の人ゆうことを知ったのは、後になってからだった。
最初に彼の監督したものをみたのは、映画”千年女優”だったと思う。
記憶が薄くなっているが、とにかく、めちゃめちゃ笑かしてもらった。
ていねいに作られた、こてこての喜劇だった。スピード感ばりばりで、パロディやお約束はきっちり、最後までドカーンと突き抜ける、”職人”を思わせる映 画だった。
それから、”パーフェクト・ブルー”はともかく(彼の出世作だったと思う)・・・、”妄想代理人”、”東京ゴッドファーザーズ”と、わたしにとっ て、特別におもろい映画やテレビアニメーションを、作り続けてくれた。
ずっと、作り続けてくれると、思っていた。宮崎さんのような、ふてぶてしいジジイになるまで、映画を作ってくれると、勝手に思いこんでいた。
それで、もう彼の作品をみられないことを思うと、非常に残念だ。正直、すごく不満だ。
すごい映画を作ってるんで、勝手に年上と思っていたが、享年46歳、ほぼ同世代だったことにも、おどろいた。
若すぎる。観客をおいて、いってしまうなんて、早すぎる・・・。
かえすがえす残念ですが、最後は大変だったと思います。
とりあえずは、天国で、ゆっくり休んでください。
まずは、”積んどく(読)”状態で、家においてある、”パプリカ”を、みてみます。
ご冥福を、お祈りいたします。
目がさめた
ベランダでたばこを吸うと、月がとても明るかった。まぶしいせいか、少し笠をかぶって見えた。うっすらと、丸い虹のような。
遠くで、カラスがカアカアと鳴いていた。
新聞がまだ来てねえわ。
2010年8月23日月曜日
アンドロイドは電気ドリルの夢をみるか?
衛生士(?)のおねえさんがきれいだな、うでが白くて美しい、歯科衛生士さんを指名できればいいのに、などと平和なことを考えているうちに準備完 了。
ドリルでぎゅいーん、きぃー、ぐごごごご。うぉーっ、あー、と心の中で叫ぶ。
せんせー、時間が長いです、すげーひびきます、もうちょっとたったら、もうギブ、ゆうタイミングで、ドリル交換、小休止。
んでまた、ぎゅいーん、うぉーっ・・・。
ドリルがおわって、歯の型をとってるときに気がついたけど、ひざ裏から太ももにかけて、じっとりと、わるい汗をかいていた。
きれいなおねえさんは、大好きです。でも、歯医者通いは、したぐない。
2010年8月20日金曜日
はがでけた
違和感ばりばり。固いものはしばらくつらそう。
やっぱ、いっぺんに両ほほの歯をいじらんでよかった。ものが食えんようになるとこだった。右奥の虫歯の治療は、来週までおあずけ。
なんか、いつものチュロが、びみょうに味がちがうような気がする。気のせいなんだが、にんげんのからだはびみょうなもんだ。
足でいったら、左右の足の長さが5センチぐらいちがうかんじ。
なれるまで、しばらくかかりそうだ。
たかがゼロ・コンマ、ゼロゼロの差のはずだが、すごくその差をかんじる。
またこれが、しばらくたつと馴じむ、ゆうことがおもしろく、興味深い。
人工関節いれるヒトも、こんなかんじなんだろうか。話のレベルがちがいすぎるけど。
2010年8月18日水曜日
おわんないの!?
そう思って、きょうがんばりました。歯石とり。
若くてかわいい歯科衛生士さん(?)に、いくらやさしく、ていねいにされようが、いやなものはいや。つらいものはつらいものなのです。
歯石とりにお嬢さんが使っているのは、どうやらドリルではないようだが(超音波?)、こわくて、その器具を直視していない。
タオルを握りしめて耐え、キュイーン、てな歯石とりがやっとおわり、そのあとお医者さんの診察。
歯やはぐきの状態を、こんせつていねいに説明していただきました。きのうの写真もつかいながら。
すると・・・、ほほの肉に隠れていた虫歯が、みごとに発見されてしまいました。
「両方いっぺんに治療すると、食べるのが大変だから。片方の歯をはめてから、それから虫歯の治療に入りましょう」。
まさかの延長戦。
病院をでる前に、大きなため息をついてしまった。
2010年8月17日火曜日
きょうはギャグボールで写真
ギャグボールみたいなんを噛まされて、写真をとられた。
ネエちゃんに頭を固定されて、もひとりのネエちゃんに、一眼で、もちろんアップで、写真をとられた。
はずかしくて、しのびなくて、目をつぶった。
これは、”プレイ”なのか? SMか? まじなのか?
歯列矯正やるわけでもないのに、ほんとに”前後”の写真は必要なのか?
はずかしい写真が、インターネットで公開されないか、心配。
2010年8月16日月曜日
はいしゃきらいじゃ
おこげのご飯を食べてて、歯のつめものがはずれてから、口の片側だけでかむように心がけているが、これがしんどい。
小学生のころ、百回かんで食べろ、といわれたのを思い出す。
かんでもかんでも、形がなくならない。両方の歯でかんだからといって、倍のスピードで食べられるわけではないはずだが、ご飯を食べる行為がつかれる。げ んなりする。
ひる飯は、ご飯だけがんばって食べて、おかずは残してしまった。
で、いっこくも早く、この事態を脱却せねば、ということで、歯医者にいくことにした。
歯医者にいくのは、数年ぶり。トラブルなくても、定期的にいかねばならないことは知っている。でも、いやなものはいやなのだ。
なじみの歯医者は、客が少なくて、予約がいらないところが好きだったのだが、いつのまにか、お店をたたんでしまった。やっぱ、客が少なすぎたか!
しかたなく、はじめての歯医者に電話した。
さいわい、きょうのきょうで予約はとれたのだが、歯のつめものは、不運がかさなり、捨てられてしまっていた。泣きっつらにハチである。
つめものさえ持ってけば、当日にすんだかもしれないのに、これじゃ何日もかかる。
はじめての歯医者さんは、ふつうの歯医者さんだった。
鬼のようだった。どっかの国の拷問係は、歯医者といわれていたような気がする。
気持ちは、”陵辱された少女”ゆう感じ。
もう、されるがまま、いわれるがまま。自分にいわせれば、歯医者ほどプライドをずたずたにされるサービスはない。なぜ、金はらって、こんな恥ずかしい、 イタイ思いをせねばならぬのか。
「そこは関係ない歯じゃろーがっ」と、心の中で叫ぶが、現実は、おおぐちあけたままで、すきなように歯を削られる。よだれがたれないようにがんばるのが せいぜいだった。
歯医者は、拷問のイメージだ。
歯の型ができるのは金曜日。それまでに歯石も虫歯も治してもらって、歯医者におさらばするのだ。
一週間、この一週間を、ひたすら耐えるのだ。
2010年8月15日日曜日
”くもりときどきミートボール”
絵は、万人受けするような、アメリカのマンガ、ゆう感じですが、世をはすに見るおじさんをにんまりさせるようなシーン多数。
会うたびに体形が変わっていく市長には、”ペット・セメタリー”の、親切なゾンビさんを思い出し、かわいいくまちゃんのグミと、おさるさんの、” あそんで、あそんで”のシーン、うりゃーとくまちゃんの心臓をえぐりだすとこは、完全にホラーだった。インディアナ・ジョーンズ2の邪教の儀式みたい。見 た目がかわいいとこが、笑かす。
ぶきようなオヤジさんは、素直にえかったな、ええ人じゃな、と思ったけど。
『ファイルを携帯に転送』のエピソードは、ありきたりじゃけど、思い切り笑かしてもらった。
あとは、”エロ”が入れば完ぺき、ゆうところだが、”毒”を謙虚に包んであるのが、この映画のええところ。
子どもは素直に楽しんで、大人は勝手に深よみしてにんまり、ゆうのがこの映画の見方かと。
えらいぞ、ソニー。こんな映画に金出して。
アメリカ人に、「非国民だ!」とかって、言われんかった?
かかし、とりになる
正確には、乗ったのではなく、”吊られた”。
ワイヤーで吊られて、30mの高さから、振り子よろしく、ぶーらんぶーらんするやつである。
見ていたやつに、少しは尊敬した?、と聞くと、「頭おかしいんじゃないかと思った」、と言われた。
たしかに、高いとこは好きかもしれない。
でも、30mんとこに吊られた状態で、係員から、自分でリリースのワイヤーを引っぱれ、とメガホンで言われたときは、くそびびった。
2010年8月14日土曜日
2010年8月13日金曜日
かみはなが~いともだち
人から聞かれたときは、散髪代がないから、と答えている。が、実はのばしている理由は特にない。
あるとき、ある事情により散髪にいけなくてロンゲになった。
耳や鼻がかくれるほどになった。そんだけのばしたのは高校生以来だった。
なんか、切るのがもったいなくなった。
ニューヨーク1997の、カート・ラッセルみたいにならんかな、ゆう期待もあった。メタルギアソリッドのスネイク、ゆうたほうが通りがよいかもしれない が。
で、そんくらいまでのびてみると・・・、まったく、カート・ラッセルではなかった。髪を染めれば、とか、パーマをかければ、とかゆう問題ではな かった。
顔がカート・ラッセルに似ても似つかんのだから、髪のびて無精ひげ生えたぐらいで、カート・ラッセルになれるわけはなかった。
あほみたいだが、けっこうがっくりした。
落胆して、髪をのばす理由はなくなったが、いまでも髪は長いままである。
だって、いつなんどき、髪の毛に不自由になるかわからんではないか。げんに、自然そりこみが、年々あがってきているような気がする。
かみはなが~いともだちなのだ。
2010年8月12日木曜日
なぜに”くりむぞん”、なぜに”あにまる”
いまのってんのは、鹿児島本線じゃけど、深紅のトビラに、深紅の座席。おまけに、座席は深紅のうえに、ひょうがらときた。
灰色の床のがらも、なんだかアニマルっぽい。
ひたすらケバい、っちゅう感じじゃけど、これはどなたの趣味なんでしょうか。
深紅はいいから、ひょうがらみたいな模様は、かんべんしちくり。
2010年8月9日月曜日
”中世の非人と遊女”読了
そんな文章量じゃないのに、えらく時間がかかった。
なにせ、言葉がわかんない。字が読めない。
小学校で習いそうな字なのに、読みがわかんないから、辞書も引けない。やっぱ、週刊少年ジャンプみたく、全部の漢字に読みがなふってほしかった。
それでも、さすがは広辞苑。えらいぞ広辞苑。こんなに広辞苑に助けてもらったのは初めて、ゆうぐらいにお世話になった。古語レベルの言葉でも、平気で のってるので、助かった。
本の内容は、小論考をがっさり集めたゆう感じで、題名にそって一から十まで進むというものではなかったが、おもしろかった。
なるほど、とひざをたたくとか、目からうろこが落ちる、と言えるほど、自分の力では理解することはできなかったし、網野せんせにしても、これは言っても 安心、てな内容ではなく、せんせ自身も悩んでいたり、挑戦的、冒険的な問題提議のようなもんが多かったような気がする。
こんな材料があるから、推理はこう、と言われても、ほんまですかせんせ!、と思うことが多々あったが、とにかく楽しい。わくわくした。冒険につれ てってもらっているようだった。
こんだけ字が読めなくて、知識が足りなくて、こんだけおもしろいんだから、もっと自分に力があったらと、非常に残念。
ついて来れるやつだけついて来い、と言われて、はるかにおいてかれたが、それでも、足あとを追って、ついて行きたくなる。そんな感じ。
非人にしても、遊女にしても、彼らをとりまく差別の問題にしても、頭の中のハテナはいや増すばかり。で、ますます知りたくなった。
非人、神人、河原者。遊女、白拍子、傀儡子。そして、いままで自分の視界には入っていなかった、馬借や女房、博打。彼らがまとう聖性や、世俗的といえる ようなたくましさにあこがれる。もっと彼らのことを知りたいと思うが、姿はいまだにぼんやりしていて、なかなか近づけない。網野せんせも故人になってし まったいま、このての分野の研究は、いかほど進んだのでしょうか?
また、女性が財産を持ち、管理していたことや、以外に自由に行動(旅)ができていたことは、初見ではないが非常におもしろかった。宮田登さん(宮 田せんせも亡くなられてしまった)との対談で読んだのかな。
当時の女性の行動を、驚きをもって記述した、戦国時代の宣教師フロイスの記録も、読んでみたくなった。
女性や子どもが、場所や時間帯に関係なく、自由にうろうろする伝統は、いまでも続いているかも。こんな国は、治安のよしあしに関係なく、どこにもないの では?、と思う。
自分には、古い聖なる力を持つ人々、賎視され抑圧される人々に、勝手なロマンをいだく傾向があること、それも差別・偏見の一形態であることを、頭 ではわかっている。
しかし、彼らのことを知りたい、もっともっと、という気持ちは止められない。
自分の中の、彼らに対する勝手なロマンに流されることなく、自分の祖先である彼らを、これからも追いかけていきたい。
さて、つぎは何を読もう? 新しい本を読むか、昔々に読んだ本を読みかえすか。
新しい”目”を手に入れ、世界を見ることができるようになる。それが、読書の楽しみ。
2010年8月7日土曜日
モスバーガーでモスバーガーをモス・・・
ほんとにひさしぶりで、やっぱりおいしかった。
あの、包みの底の、タマネギとかが入ったタレが全部食べたくて、スプーンまでお願いした。
うちの地元からモスが撤退して、もう十数年・・・。
いっときは、週に1〜2回は夕飯をモスで食べて帰っていた。残業で遅くなって行ってもあいてる、ゆうのもよかった。
ときどき無償に食べたくなるが、近所にモスの店はない。
大変遺憾である。
運のないヒト
リコールによる対応で、現行機種の新品と交換するとのこと。
よその家ではどうか知らないが、わが家でトラブルがあったのは、最初だけ。
納品されてすぐに、「洗濯物が、洗い終わったあとぬくいんですがどうでしょう」、と販売店に言ったら、すぐとんできて、新品に交換されてしまった。
それ以来、8年間、なんのトラブルもなく、休むことなくこの洗濯機は働いてきた。よく働いたと思う。
洗濯物の量を計るのがへただとか、足ふきマットが一枚だけでは洗えないとか、へんなくせもふくめて、かわいいやつだと気に入っていた。
それがきょう、メーカーの相談室から電話があって、リコールで、新品の現行機種に交換するとのこと。
もう8年もトラブルなく働いてきたんだから、ええじゃろ?、いまさら、と思うが、メーカーはそうはいかないみたい。
表題の「運がないヒト」は、わたしのことでなく、この洗濯機と、それにかかわった人たち。開発者、販売員、小売店そしてメーカー。わたしは、この 機種を買って運が悪かったとおもったことあない。
リコールを2〜3度やって、つくづく運のない機種だった。
結果責任を陰険にあげつらうような世の中は、自分はイヤだ。結果としてよろしくないとこはあったのだろうが、これを開発した人も、すごく一生懸命 作ったと思う。ほかのメーカーにない、おもしろいもんと思って、これを買ったのだ。で、おもしろかった。
8年間お疲れさま。キミは、よく働いた。
”サマー・ウォーズ”
これぞ映画だ、娯楽だ。見終わると、すんごいすっきり。元気がでる。
テレビでやりよるのを見たら、とまらんくなって、最後まで見てしもうた。
飯の片づけも、風呂もトイレも忘れて、CMのたびに、「まだかー、まだ始まらんのかー。」、と机をたたいて見た。
映画館で見て、ビデオまで買っとんのに、見はじめたら入り込んでしもた。夢中で見た。
青春だ。燃える、血わき肉おどる(おまけに鼻血まででる。)。
自分は、人にがんばれとは言えない。がんばっている人に、もっとがんばれとは、よう言わん。
でも、この映画を見ていると、ずっと、がんばれ、がんばれ、と心の中で言っていた。
がんばれ、あなたはひとりじゃない。あなたには、わたしがついている。わたしは、あなたのことを信頼している、信じている。がんばれ。
「こい、こいっ。こいこいっ!」。
花札買ってこよかな。
2010年8月6日金曜日
ハニーチュロのこと
ぐにぐに、と固いとこが好きだ。
でも、むかし、砂糖をコーティングしていない、普通のチュロがなかったっけ?
そっちんが、ええんじゃけど。
とかゆってるうちに、全部食べてしまった。
ごちそうさま。
2010年8月5日木曜日
なつ
プールサイドは、足ぶみせんとおられんぐらいに熱い。足の裏でなかったらヤケドしとる。
楽しそうに遊ぶ子らを見張りながら、じりじりと日に焼かれる。
ヒフが痛い。背中や胸を汗が流れ、腕の汗は玉になる。
プールん中もぬるくて、床に水をまいてると子らがよってくる。「ひや〜」、「気持ちえー」、て、そうじゃろう。
ほんの一時間で、当番は終了。
帰り道でジュースを買って一気のみ。
クーラーの効いた部屋に帰って、アイスを食べる。次に、氷を浮かべたお茶を飲む。二杯ほど。
で、やっと落ち着いて、ベランダでタバコを吸ってきた。
夏は暑いもんだが、それにしても暑い。まじ、暑い。
プチ・ボランティア
子どもらを対象に、夏休みのイベントを企画すんのだが、楽しくて、しんどい。
あくまでボランティアの企画だが、人は動くし、学校にも全面的に協力してもらうんで、責任重大っす。
けがや事故なく、子どもらによろこんでもらえりゃいいんじゃけど。
きのうが最終の打ち合わせで、つぎはいよいよ本番。
2010年8月3日火曜日
お好み焼き
広島風とかゆうヒトもおるけど、ただ”お好み焼き”ゆうたら、これのこと。
おいしいよ。
関西風は、なんか、ご飯の気がせん。腹がふとらん。
外で食べると、なんで金出して自分で焼かんにゃいけんのんか?、と思う。焼き肉屋じゃ自分で焼くのに文句はないけど。
2010年8月2日月曜日
はやいぞピッチ
いつも遅いけどこんなもんか、と思ってたけど、遅いのは通信速度のせいでも、ピッチのCPUのせいでもなかったみたい。
すごいぞピッチ。みなおしたぜ。
いつもは遅いけど。
2010年7月31日土曜日
映画:「ぼくはうみがみたくなりました」
ちょいときっかけがあって、自閉症の兄ちゃんと若いお嬢さんが、車で海をめざす、という話。
いわゆる、”ロードムービー”ゆうやつか、と思ったら、そうでもなかった。
自閉症について、何も知らないお嬢さんが、兄ちゃんの行動に びびったり、障害について学んだりする。その中で、ぐらぐらしていた嬢ちゃんが、少し落ち着くゆうか、地に足がつく、といった感じだった。兄ちゃんは終始 変わらず(まっ、当然。)。
自分は、どんな映画でも娯楽でなければならないと思っているので、期待していたよりはちょっと残念感があったが、兄ちゃんの行動にちょいちょい笑 わせてもらった。
脳天気に自閉症の兄ちゃんを笑っていいようには映画は作っていなくて、子どものころのエピソードや、兄ちゃんのお母さんの様 子、兄ちゃんの弟などを、ちょちょいと入れて、結構大変なんだぞ、というのを伝えていた。
しかし、兄ちゃんが夜明けの海をボートで渡るとこや、ただいま、と家に帰る最後など、観客をすっきり気持ちよくしてくれる。
兄ちゃん は、一般人と同じような感情を持つとか、人の身になって考えたりすることは苦手だ。しかし、決してロボットなどでない、ということを、映画は不器用なりに 伝えていたように思う。
この映画は、兄ちゃんの、小さな冒険の映画のように感じた。「お散歩行ってきまーす」、から、「ただいまー、おかえりー」まで。
海で兄ちゃんにいきなり話しかけられて、まったく動じん、おもろいおっさんがよかった(ピエール瀧さん?)。
ああゆうおっさんに、自分 もなりたい。
この映画を、地元で上映する世話役をされた方々に、感謝します。
映画おもしろかったです。お疲れさまでした。
あ、あと自閉症の兄ちゃんを演じた兄ちゃんは、すごい熱演でした。
ちいさなしぐさの、その指先まで、きっちり演技が入っていました。
2010年7月30日金曜日
2010年7月28日水曜日
体位測定のこと
身長が伸びなくなって、もううん十年になるが、腹囲だけが向上し(伸び)ていた。
いくつになっても、人は成長するものだと感心した。
はれて、大台の80センチ代になった。
7月25日(日)の鑑賞雑記(やたら長文)
思ったより短いな。半年たってねーや。我ながら好きじゃねえ。
『差し入れの話』
手ぶらもなんなので、近所のお菓子屋さんで差し入れを用意して持ってった。
モノは、”カステーリャ”。・・・さえん。楽屋への差し入れで、切らんと食えんもんを持ってってどうすんじゃ、と自分でも思った。でも、銘菓”コンク” が売り切れだったんす。
踊り子の姐さんに、よくあやまってお渡ししました。
『マコ嬢』のこと
一人目の踊り子さんは、マコ嬢。
おん歳は・・・若くない、スタイルは年齢なり、踊りも音楽に合わせて踊ってるだけ。と、ひたすら地味。
ところが、踊りが終わってしゃべり始めたら、地味な印象をふきとばして、姐さんは本領発揮。なまりのある日本語で、姐さんがしゃべるしゃべる。
強引なぐらいに盛り上げ、お客の間にがんがん割り込んで大サービス。その間もしゃべり続ける。当然、内容はわい談。
これに自分は大うけ。自分の周りのお客(特に、自分を含めたおっさん)にも大うけ。いっぺんに会場は盛り上がった(強引だけど)。
なんか、自分が一番小屋に行ったころ、昭和の終わりから平成のはじめごろのストリップの匂いがした。懐かしく楽しかった。
『熱心なファン』
踊り子さんには、遠くから来た、「広島の人間じゃない」、などと言っていたが、来てるお客さんは、京都だの兵庫だの・・・。それも、タンバリン持参とか で。
ファンは熱心です。わたしは、1時間ちょいで広島第一劇場に来れるので、ただの”地元のヒト”でした。
『山口嬢』のこと
かわいかったです。ういういしいです。
でも、なによりも、あしが、足が、かわいたった。(スンマセン、足フェチです。)
すごくやせているのに足は少し柔らかなラインで、きめ細かな白い肌といい、わたしの好みに、どストライクでした。なにがって、・・・足が。
顔は当然、すごいかわいかったんですけど、・・・やっぱり足が。好きです。愛してます。・・・ああああ、足ですけど。
踊りは・・・、ガンバってね。あなたは若い。すぐにバリバリになるはずです。
あなたの背中を、滝のように流れる汗を、わたしは忘れません。
でも、とにかく足が、いや、おみ足が好きじゃー。
『聖京香嬢』
トリは、川崎ロックの京香嬢。
もんのすごい美形。んで、踊りももう、バリバリでした。”踊り子がキターッ!”ゆう感じでした。
踊りが終わるたびに、んー、とうなり声を出してしまうほど、踊りにキレがありました。どれだけレッスンやったら、京香嬢ほどのレベルになるんでしょう か。
まばたきするのももったいないぐらいで、真剣に見てました。
いいもん見せてもらいました。来たかいがありました。
『マコ姐さん再び』
1回目の公演が終わった後、帰るつもりだったのが、たまたま隣の席になった年配の兄さんとロビーで盛り上がる。何十年ぶりかでストリップに来られたとの ことだったが、やっぱストリップは楽しいゆう話をして、二人で余韻にひたっていた。(初対面のヒトです)
山口嬢の背中を拭いてあげたかっただの、聖嬢の踊りがすごかっただの話していたが、最後は、マコ姐さんがすげー楽しかったというところで意見が一致。も う始まりかけてた第2回目の公演に二人で駆け込んだ。(ほんとに初対面のヒトです)
マコ姐さんは、客が倍増したことでさらにパワーアップ。
うぶな青年だの、シャイなじいちゃんだのに次々に強襲をかけていた。
舞台のはじにスリッパが置きっぱなしになっていて、なんじゃろ、スタッフが使うんじゃろか?、と思っていたらさにあらず。マコ姐さんが、客席に攻め入る ときに使うもんでした。姐さんは、鼻歌まじりでスリッパをはき、最後部の席の客にまで”サービス”してまわってました。お客さんはビックリ。
むっつりと、ひとりひとりが鑑賞する雰囲気だった客から、白い歯がこぼれ、まわりの客と顔を合わせたり、話したりするようになってました。会場に、なん だか一体感がありました。わたしも、声をあげて笑いました。
ありがとう、マコ姐さん。とても楽しかった。
以上、だらだらだらだら、と駄文を並べましたが、要するに、ものすごく楽しかった。
また、はように、もっぺん行きたい。
2010年7月26日月曜日
残りの一回目
”広島第一劇場”へ。
まっ昼間の1回目公演を見て、お客さんが倍増してこれからもっと盛り上がるぞ、というところで、後ろ髪を引かれながら帰りました。
やっぱストリップは、おもろい、楽しい! 行ってよかった。
2010年7月24日土曜日
まぢでっ! 「竹光侍(たけみつざむらい)」
永福氏の原作を得て描かれた「竹光侍」は、この何年というもの、単行本が出るのを待ちこがれたマンガ。松本氏のマンガの中でも、特に思い入れがあ る。
もう読むと、面白くて、悲しくて、時にはどんどん息苦しくなって・・・、でも続きが早く読みたくて。
このたび、第8巻目で、まさに大団円を迎えた。終盤に向かうにつれ、どんどん息苦しくなり、どんどん悲しい気持ちになって・・・、そして最後はも う、絵に描いたような大団円。
すごい台風の過ぎたあと、雲一つない青空を見上げてるようだった。
素直に、よかった、という気持ちになれた。少し泣いてしまった。(少しだけです)
で、ポスターの話題に戻ると、数年分のツキをここで使っちまった感じ。
でも、このお宝にはかえられない。壁に飾るか、飾らないか、それが問題だ。
”めし”をかいたのは、永福さんかな?
2010年7月23日金曜日
小屋に行きたいよぉ
うまく説明というか、理論武装はできないのだが、わたしはストリップが大好きである。
歳をとると、好き勝手に生活するわけにいかんし、家族もある。
家族を説明・説得しにくいところには、なかなか行きづらい。
もともと、きれいなお姉さんの裸が見たいだけのはずであるが、自分の中では、他の性風俗産業とは違う、という思いがある。
だからといって、ソープランドやファッションヘルスを卑しいと考えるのはおかしいとも思っている。
踊り子さんには”芸”がある。今のストリップの歴史は、戦後からなんだが、もっと昔の芸能や風俗の匂いがする。遊女とか、もっと昔、中世の遊芸人 とか。
見る立場の話としては、直接性欲を処理するんではなくて、なんゆうたらよいか、やせ我慢の美学みたいなものがある気がしている。”オレは裸だけ見に来て るんじゃないんだ”、ゆう感じ。ほんとは裸見たいんじゃけど。
しかし、いろんな性風俗産業があって、インターネットで様々な情報が手に入る時代に、ストリップははやらない。
大きな街の劇場でさえ、次々に消えてしまっている。
さて、わたしは残りの一生で、あと何回、小屋に行けるのでしょうか。
家族の目を盗んで・・・。
2010年7月22日木曜日
まさか筋肉痛?
歩くときに、つっぱるような感じ。
特に思い当たることはないが、きのうからラヂオ体操がはじまった。
これって筋肉痛?
まさか、ラヂオ体操が原因、ちゅーことはないよね?
2010年7月21日水曜日
あつい、あつい、あつい!
朝から、ぬるま湯の中を歩いているようだ。
シャツの胸と背中はじっとりと濡れ、首を汗がつたう。職場に着くころには、身も心も暑さでとろけそうになっている。
今日から、”首タオル”で通勤することにした。見た目がどうこうゆうとる場合ではない。首や腕の汗を拭くだけでも、少し気持ちがいい。
就業のチャイムが鳴ったとたんに、エアコンは切れる。エアコンは、職員のために稼働しているわけではないのだ。お客さんの来ないオフィスに、冷房 は不要である。
で、ぬるい液体に頭がつかっているような気持ちで残業。
そしてまた、ぬるま湯の中を歩いて、”首タオル”でお家に帰るのであった。
2010年7月19日月曜日
「中世の非人と遊女」を読む
鼻血が出そうなくらいに難しくて、悪戦苦闘中。
内容はともかくとして、なにせ、字が読めない。
少年ジャンプのように、全部の漢字にふりがなをつけてほしかった。
読んでいる感じは、”冒険”をしている気持ち。爽快です。
中世の非人と遊女
「ついてこれるやつだけ、ついて来い!」、と言われて、あ~れ~、とはるかにおいてかれても、やっぱおもしろい。
遊女萌え~、白拍子萌え~、傀儡萌え~。
その他、知的興奮の材料がてんこもり。
読書は、冒険だ!
stripwiki
ニッポンの芸能です。踊り子さんたちは、あらゆる芸能の祖、アメノウズメノミコトの、直系の子孫と思ってます。
http://www36.atwiki.jp/stripwiki/
ぼけちょびれ
メールのチェックだのごそごそとしていたが、いつまでたっても家族が起きてこない。
あせって起こしにいくと、今日は祭日だと怒られた。
そういえば、新聞に日の丸がついてて、なんでだろうと思っていた。
休みに気づいてラッキー、というよりは、休みであることを忘れていたことがショックだった。
今日は、「海の日」です。
2010年7月18日日曜日
2010年7月17日土曜日
2010年7月16日金曜日
花金(はなきん)
で、最後の残業を終えて、ちょっと寄り道。
ミスドに寄ると、久しぶりに、『黒蜜きなこ』ドーナツがあった。
今週の自分へのご褒美、ゆうことで、コーヒーと一緒に頼んだ。
黒蜜きなこは、すごい甘くておいしい。あまりに甘くて、体に悪いじゃないかと罪悪感を持ってしまうほど。
なんでいっつもはないんじゃろ。
ミスドのコーヒーは、まあ、普通。
特別おいしくはないけど、おかわりができるから好きだ。
コーヒーのおかわりをして、たばこを一本吸ったら、家に帰る。
ところで、『花金(はなきん)』って、死語?
2010年7月14日水曜日
無精ひげでこんつわ
少しは寝たんじゃけど、頭は重いし、体はべとべとするし。年寄りに徹夜はつらいぜい。
腹へってるせいか、ドーナツとコーヒーが、ものすごいおいしい。それとタバコと。
2010年7月13日火曜日
2010年7月12日月曜日
雨やどり
出る直前に雨がやんだので、傘を持ってくかどうか悩んだ。で、結果がこれ。
商店街のアーケードに入るまで、ずぶずびに濡れて歩いた。
あと、5分ちょい我慢したら、もう家なんだけど。
ちょっと様子見、ということにして、ミスドでコーヒーを飲んでいる。
きれいなお姉さんは、好きですか
旅行帰りなのか、大きなバッグを床に置き、こっくりこっくりと、居眠りをしておられた。
Tシャツに、だぼっとしたカーゴパンツをはいていたが、小さな頭ときゃしゃな上半身が、よけいに目立っていた。
肌がやわらかに白く、ショートの髪から見える、細い首からなで肩にかけてのラインが、とてもきれいだった。
わたしは、じろじろ見てしまい、単なる不審者であったが、終点の駅まで、目を楽しませてもらった。(不審者を超え、変質者か!)
こんなんがあるから、電車通勤ゆうのもいいなあと思う。実際の通勤は、職場まで歩いて15分。あっという間に着いてしまう。
2010年7月11日日曜日
絶品ベーコン・チーズ・バーガー
すんごい、おいしかった。
ベーコンは、少し厚めで、かむと肉汁がじわっと出る感じ。 ベーコンの塩けと、チーズや肉の甘さがよく合う。
やっぱ、ベーコンは、調味料だわ、とか思いながら食べた。
ちなみに、今ダイ エット中です。
平成マンガ家実存物語おはようひで次くん!
極端に寡黙な作家、小田ひで次さん。
デビュー作の「拡散」で衝撃を受け、ぼつりぼつりと発表される作品を、追いかけてきた。
で、このエッセイ”風”マンガ。虚と実とないまぜなんだろうけど、「拡散」以降の作品の創作の様子がえがかれていて、とても面白かった。
小田さんの、「拡散」のころの自画像と、今の自画像のギャップを、歳取ったなあ、と笑っていたら、自分と小田さんが、同い年だった。
自意識過剰、優越感と劣等感がないまぜなど、小田さんは自分に重なるように思っている。
あの頃は、自分も若かったんだなあ、と思った。
2010年7月7日水曜日
なんでじゃっ、カレーパン
いつもはおいしい耳んとこが、なんか、しけた冷凍ものっぽい味がし た。ちょっと、やばげな味じゃった。
ゆーても、全部食べちゃったけど。
2010年7月6日火曜日
早朝覚醒
別に、嫌な感じはせず、むしろ、ベランダでたばこを吸うと、風が心地いい。
4時とか5時になると、そのまま起きて、ネット閲覧したり、新聞を読んだりしている。
ちょっとした、自分だけの時間である。
2010年7月4日日曜日
花火
”ベース”と呼ばれている米軍基地から、花火が上がりました。
低くたれこめた雲を照らして、色とりどりの花火の花が、咲いていました。
少し遠くからだったけど、久しぶりに、最初から最後まで見ることができた。
よその国の誕生日ではあるけれど、やっぱり、ちょっとうれしい、高揚した気持ちになりました。誕生日、おめでとう。
2010年7月2日金曜日
2010年6月30日水曜日
口笛を吹いた話
むかしむかしに、大ヒットした曲であるが、曲名も歌手もわからない。
わずかに聞き取れた単語(洋曲です)を頼りに、ネットで調べたが、たずねあたらず。意を決して、CD屋さんへ行った。
恥をしのび、こんしんの力で”口笛”を、店員さんの前で吹いた。ほかに客がいないのは幸いだったが、店員さんは、「まったくピンときません」、という表 情だった。親切にパソコンで調べたりしてくれたが、わかんなかった。
口笛を吹いているさいちゅうに、シンディーローパーの、”タイム・アフター・タイム”にメロディーが似ている気がしてきた。で、違うと思いながら、シン ディーローパーの古いベストを買って帰った。もしかしたら、と期待して聞いてみたが、さがしている曲はなかった。
あきらめて、ミスドの店員に聞いてみると、ホームページに曲のリストがあるとのこと。なんのことはない、聞いてるさいちゅうに、携帯で調べればすぐにわ かることだった。
6月にミスドでかかっていた曲は80曲。そのうち、90年代の曲は約半数。今からは、気分がなえること、記憶が薄れゆくこと、との戦いである。
2010年6月28日月曜日
「6月28日、本日未明・・・」
ぎうーっ、とふくらはぎが固くなり始めたときに目がさめ、必死でもんだりさすったりしたが、結局止められなかった。
ベッドのうえで丸くなり、小さな声でイタイ、イタイ、イタイ、とうなっているうちに、また寝た。
朝起きると、朝がたのことは夢ではなく、左ふくらはぎはかちかちのままだった。すんごい痛い。
しばらくは、足をひきずりながら歩いた。
2010年6月26日土曜日
映画、”祝(ほうり)の島”
ざっくり乱暴にくくると、対岸に原子力発電所が計画された離島を舞台にした、反原発のドキュメンタリー映画。
しかし見終わった感想は、以外に近くに存在した、ユートピアの話、というもの。
ただし、ユートピアには、ユートピアにふさわしい人しか住めない。粗食に耐えて労働することができないわたしは、一生ユートピアに住むことはでき ないだろう。また、来訪者としてその島を訪れたとしても、わたしにはそこが理想郷であることは実感できないだろう。
よく話し、よく笑い、よく働く、島のじい、ばあ達は、自分たちの生活を、なんとも思っていないと思う。あたり前のことを、あたり前にする生活、それだけ だから。
とにかく、感動したのは、途中途中で挿入される、棚田の話だった。天にそびえる石積みの上の、”おじいさんの”水田である。
たった一人がなした、気の遠くなるような努力の積み重ねは、まるでお城の石積みのようであった。天に向かってそびえる城のようだった。
2010年6月24日木曜日
ハルシオン・ランチ 1 (アフタヌーンKC)
自分の性癖さえコントロールできない、ダメダメな人々が、ダメダメな異星人?の保護者になるとゆう、ダメダメなお話。
エロ・グロ・ナンセンス、ゆうたらどんなの?、と聞かれたら、こおゆうの、と答えたくなる、ナンセンス・コメディ。
作者の、露悪的というか自虐的というか、そんなものがてんこもり。
エロ本のように、こっそり読んで、こっそり隠しておきたい。
そんで、こっそり続きを読むつもり。
歌舞伎町で待ってます―風俗嬢れもんの青春物語
読む前は、どうせたいしたことはないだろうと、なめきっていました。作者の牧瀬さんとこの作品に、こころからおわびして、訂正いたします。
最初は、とつとつと話す女の子を目の前にしているようで、「も少し言葉にできんのかい」と、イライラする感じだったが、読むほどに、どんどん引き込まれ、読み終えたときは、余韻でぼーっとなった。
感想は、うまく整理できないのだけど、一言でゆうと、せつない気持ちになった。
性風俗の仕事をしている女性たちは、どのようなきっかけや気持ちで、その世界から去ってゆくのだろうか。
「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー
一般の人向けに書かれたとのことだったが、もんすごく手ごわくて、読み終えるまでにすごい時間がかかった。しかし、自分にとって、それだけの価値のある内容でした。
”悪所”や、そこに生きる人、そこに惹かれてしまう人への愛にあふれています。
遊女についての文では、「先生、それはロマンをいだきすぎでは?」と思うところも多々あるが、特にそういうところに共感してしまう。
自分の趣味・嗜好だか、性癖だかを、肯定してもらえているようで、少し元気になれました。
部落差別の謎を解く―キヨメとケガレ (モナド新書)
部落差別について、ぼんやり思っていたことが、少し整理できたような気がする。
作者川元さんの、すべての意見や説に賛成するわけではないけれど、これから自分が部落差別について考えるときには、この本が基準になると思う。
2010年6月21日月曜日
はじめまして
ここには、残念ながら、来られた方をもてなすための工夫も、仕掛けもありません。
ここでできることは、人間を観察することだけです。「あぁ、こんな人もいるんだ」、と、横目でちらっと見て通り過ぎてもらえれば結構です。
ここは、わたしがわたしにあけたのぞき穴か、わたしが書いて瓶詰めにして海に流した手紙のようなものです。
昔見た映画で、”マルコヴィッチの穴”というのがありました。とあるオフィスビルの中に、マルコヴィッチさんの脳みそをのぞくことのできる、秘密の場所(部屋?)がある、というお話でした。
映画の主人公たちがのぞき見るマルコヴィッチさんは、有名な俳優でしたが、わたしはもちろん無名の、”どこかにいるだれか”、というぐらいの人間です。
(voxにて)