2011年8月1日月曜日

”ゴーダ哲学堂 空気人形”  業田良家(著)

 業田良家という男は恥ずかしい。業田良家という男が書いたマンガは恥ずかしい。
 だから困る。

 業田良家は、ふつうのマンガ家だった。ふつうよりは、特別におもしろいマンガを書くヒトだったように思う。でも、特別おもしろいマンガを書く、ふつうのマンガ家だった。

 それが、"自虐の詩(じぎゃくのうた)"というマンガを書いているときに、カレになにかが降りてきた。

 "自虐の詩"は、特別におもしろいが、ごくふつうのマンガだった。
 でも、だんだんと、四コマなのにふっといストーリーを持つようになり、さいごには、神だか悪魔だか、はたまた精霊だか、とにかく上部構造のなにかがカレに降りてきた。
 泣いてしまった。カレも書きながら泣いていたにちがいない。

 評論家の呉智英氏は、"自虐の詩"の人間のクズを見る目線は、キリスト教のそれに近いよううに思う、と言った(NHK BSマンガ夜話)。わたしもそう思うし、その目線は、べつにキリスト教にかぎったものではないと思う。

 ダメな人間はダメなままに、笑っていいんやらわからんぐらいにみもふたもなく書いてんのに、人間が生まれてくること、自分が生まれてきたことをすばらしいと思うことができた。

 そうして、わたしにとっては、カレは特別なマンガ家になった。

 呉智英氏のように、"布教活動"はしないものの、"自虐の詩"は、わたしにとって、もっとも大切な本のひとつになった。特に最後の5巻。

 でも自分は、カレの作品をさけるようになった。いつも気にはなってたが、長いあいだ、手にとることはなかった。
 カレとカレのマンガが、恥ずかしく、読むことが苦しく思われたからだ。

 ひさびさにこのマンガを読んだのは、映画が評判になってたから。

 本の表題にもなっていて、映画化もされた、短編"空気人形"は、予想どおり、予想以上に衝撃的だった。第一話の、"わたしを愛してください"からはじまってのこの短編だが。

 心ん中で、ウォーっと叫んでしまうくらいに心揺さぶられた。ゆり動かされた。苦しい、せつない。「感動」ゆう言葉を使うことが、自分の中で適当でないように思えるぐらいに複雑で、この気持ちをなんと言ったらヒトに伝えられるやらわからない。

 カレは、かわっていなかった。いつぞやカレに降りてきたなにかは、いまもカレのそばにいて、なにかをカレにつぶやき続けているようだった。

 業田良家という男は恥ずかしい。業田良家という男が書いたマンガは恥ずかしい。
 「恥ずかしいから困ります」、「苦しいからやめてください」、ゆうてんのに、ぐいぐい肩をいれてふところに入ってこられるような感じ。

 だから困る。


"ゴーダ哲学堂 空気人形" 業田 良家 (著)
出版社: 小学館 (2000/2/1)

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