3回ほど動かんくなってフォーマットしたけど。
しかして四代目の実態は、修理済みの二代目…。
「この体もながくはもたないわ。サスケくんは。サスケくんはまだなの。」
(ここんとこ、"くじら"さんの声でお願いします。)
はやいとこ、willcomのwindowsフォンにデビューしてもらいたい。
もう、何年も待ってるんすけど。あっ、qwertyキーボードは必須でお願いしまっす。
しかして四代目の実態は、修理済みの二代目…。
「この体もながくはもたないわ。サスケくんは。サスケくんはまだなの。」
(ここんとこ、"くじら"さんの声でお願いします。)
はやいとこ、willcomのwindowsフォンにデビューしてもらいたい。
もう、何年も待ってるんすけど。あっ、qwertyキーボードは必須でお願いしまっす。
もうガキどもも中高生なんだからわかりきってるのに口にしない。堂々とあれがほしいとかゆってこない。
無粋なことを言わんのはよいことだが、正直、もうめんどくさい。
んだから必死に考えて、(勝手に)プレゼントを用意するはめになる。いままでどおりにイベントの用意をせねばならない。
で、キリスト教徒でもないのに、聖なる御子の誕生を待ちわびて、24日の夜にケーキ食ったりするのだ。
ただし、子どもらやカミさんがほしいと待ち望んでるようなプレゼントは用意せず、「えー、なんでこれ」といわせたいがためのもんを選ぶ。
あくまで、ネタですから。
サンタクロースゆうよりは、"サンディクロウズ"のほうに近い。
なんとならば。もう、用意したから。入門用のやつを中古本で。
この何カ月か、息子に下校途中でレンタルビデオ屋によらせて、"エウレカセブン"を借りさせて、家族全員で週一回それを見る、ゆうことを続けている。
中・高生の子どもらは、わかっとんのかわかってないんだか淡々と見てるが、オトナが本気で見ている。
見終わったあとに、「アンタの解釈はオカシイ」つって、本気で言い合いになることもしばしば。ええ歳こいたオトナが。
息子のクリスマスプレゼントに、金枝篇を買ったと妻に言ったときのこと。
「へ? キンシヘン? なにそれ。」
「あの大佐がいっつもこわきに抱えとったじゃん。ゲッコー号のリーダーも同じ本、読みよったじゃろ。」
「そんなん、だれも気づかんて。(見てる)ほとんどのヒトは意識しとらんじゃろ。」
「えー、あれって、かなりキーになるもんで、見逃しちゃいけんもんなんじゃないの? 本の内容を知らんにしても。」
さて、実際のところ、エウレカを見た世の人々はどうなんでせう。
で、本をもらった息子がそれを読むか読まないかは、実はどーでもいいと思っている。
基本、ネタなんで。
おっさん3人が、あーでもない、こーでもない、と口かど泡飛ばして言い合いをしていると、"近所のネコ"とやらがやってきた。
つっ立って言い合いしてるおっさんらの足の間を、気持ちよさそうに背中や頭をこすりつけながら、いつまででも、ぐるりんぐるりんと回っていた。
ふと足元を見ると、お腹まる出しの無防備な状態であおむけに寝そべって、目を細めてわしのくつに頭をこすりつけている。じつに気持ちよさそうだ。
でかい声を出すわけじゃあないが、テキに一分の隙も見せまいと、頭フル回転のすごい緊張感でこちとらやってんすけど。
人間さまの場の雰囲気は、まったく伝わらないのね。
せっかくマチへでたのに、なんも悪いことせずに帰った。
ああ、もったいない。なんだかくやしい。
「やったね、得したねこりゃ」、と思えたのは、昼食に食った"絶品ベーコンチーズバーガー"が、もんすごいうまかったのと、帰りの電車で見た若いお嬢さんが、顔もスタイルもすらりんと細いに、足がふとくてかわいかったこと。
すねの長いきれいな足をめでていたが、はやくに電車を降りてしまわれた。あああ、残念。
26日(土)の昼初回から入ったんじゃけど、広島じゃあありえんぐらいにお客さんが多い!
まじで、びつくりした。広くはないんじゃけど、お客さんでぎっちり席が埋まってた。
まっ昼間の広島だと、ベテランの姐さんともりあがってて、ふとうしろを見ると…、だれもおらんじゃん!、てなことがあったりする。
たんに立地条件ゆうことじゃあ絶対ないと思う。ほんと、うらやましい。
んで、アッキーこと夏川あきさんひとりを目当てで行ったんじゃけど、もう、一人目の月夜乃空さんから気分はサイコー。空さんヤバイ、ストライクだ。容姿もしぐさも。
容姿だけじゃなくて、レビュー前のお楽しみコーナーとかでも、舞台にあがってる間じゅう、ずーっとごそごそ動いとって、楽しくするぞー、お客さんを楽しませるぞー、ゆう気持ち、きづかいが、すごく伝わってきた。
ほれた(またか…)。
二人目がアッキー。どんどん芸がひろがってて、見るたびびっくり。独学なんじゃろうか。
おどけた愛敬と、純な客ならどん引きしてしまいそうなエロが最強。
どんどんいろんなことに挑戦してくけど、エロも残してね。おいさん、嬢ちゃんのエロが大好きだから。
残念ながら今回は歌が聞けなくて、となりに座ってた上品な紳士と、やっぱ歌もちょっと聞きたかったねえ、としみじみ話した。
でも、なんか特別な修業をしてるらしくて、トーキョー近くのファンのヒトには、遠くないうちに、うれしい企画があるかも?
つづいて三人目の神崎雪乃さんが、もうめっちゃくちゃおもしろかった。
踊ってるときは、色気のある姐さんだなあ、ぐらいにしか思わんかったんじゃけど、ステージがおわったとたんに、立ち姿からして近所のやさぐれたネエちゃんに変身。
客いじりがうまいうまい。それを返すお客さんも相当なもんで、コレ絶対ネタあわせしとるじゃろ、と思うぐらいだった。顔が痛(いと)うなるぐらいに笑わせてもらった。
レビュー前のお楽しみコーナーが、あんだけ盛りあがったのも、雪乃姐さんのMCあってのもんでしょう。
清水愛(まな)さんと、トリの.夏木りりかさんは、もうみなさんご想像のとおり。どっちがトリでも納得のスターでした。光背が見えるぐらいに。
容姿だけでも、踊りだけでも、いやもっと、その両方があっても、スターになるとは限らんだろうと思う。なんぞ資質があるんでは、と勝手に想像している。
いい劇場、いい踊り子さんに、いいお客。ほんとに楽しかった。
2回のレビュー、計5時間ぐらいおったけど、ずっと、「ええなあ、ええなあ」とうらやましく思っとった。
お楽しみコーナー(5人選抜の野球拳!)でのお客の一体感は、あーここにはこおゆう文化がしっかりあるんだ、とおおげさなことを考えてた。
なんつって、ヒトんちをうらやんでばっかしおっても仕方ない。
小屋(ストリップ劇場)がどんどん減るなかで、自分はちょいと足のばすだけで行けるとこに小屋がある。とても幸せなことだ。しっかり地元で広島第一劇場を応援せねば。
そんためには、空さんがポラに書いてくれたことじゃけど、ストリップが楽しいゆうことを、もっとたくさんのヒトに伝えてゆかねば。布教活動ですね。
んなもんむしむし、と思うて行きそうになったら、信号わたった向う、暗あーい路地にパトカーが、闇に溶け込むように停まっとった。
ヤベッ、ポリだ!
ぢゃなぐて…。交通ルールを守りましょー。
財布をあけると、ゲロ。五百円玉しかない。
子どもらの学業成就のお願いをするんだから(過分な願い)、まあえっか、と参拝の列のうしろにならぶ。
ふと斜めまえの高校生ぐらいの兄ちゃんを見ると、五百円玉を手のひらにのせていた。
ぱんぱん、と列の前からカシワデの音が聞こえてきた。
ひとり単独行動をとったわし。
用事すませて、チェックインもせんと、でかいトランク引きずって夕食会場にはせさんじた。
「もうお帰りになりましたよ」。
「あっ。」
で、ベンチにこしかけて、川を眺めながら昼食用に買ったサバずしを食ってるわし。昼飯も食うとらんかった。
川はナカ川。さすがに百万都市博多(の中州)は人通りが多いな。
通るヒトにすごい見られてる気がする。気のせいか。もぐもぐ。
きょうの夕食は、高級料亭で水炊きの予定だった。だった。
先々週までは、半袖で通勤しとったのに、きょうは上着を着てても寒い。半袖はやせがまんじゃったけど、まあ、がまんできる程度だった。
けさなんか、信号待ちのたびにつべたい両手をこすりあわせていた。まじでさぶい。
小学生といやあ、冬でも半袖半ズボンと思っとったけど、いまどきはもう半袖は見かけんな。
あしたから、真冬用のコート(犬のファー付き)を着るか着まいか。
悩む。
あの、わんわんの毛(コヨーテです)が、あまりに、極寒地仕様に見えるんよね。ここはアラスカぢゃない。
となりで自分は、やっぱりソファに寝そべって、パソコンでオークションを物色しとった。
娘:「とーさん。」
自分:「なに?」
娘:「"キャメルを吸って"、ゆうて書いてある。」
自分:「あー、吸いたいねえ、キャメル。」
娘:「・・・。」
あれ? おわりかよっ!
「ほらほら好きだったキャメルだよ、とーさん。」ゆうやさしさか、「どうじゃ、キャメル吸いたかろ。」なんか、どっちかわからんかった。
娘の足元にしゃがみこんで、見上げるようにして本の題名を見ると、"ロスト・ボーイ"と書いてあった。虐待を生きのびたサバイバーの話(続編)。
なんか、すげーもん読んどるな、中坊。
ぱらぱら読みだけだと失礼なので、いっかいきちんと読んだ。
おもしろぐなかった。
とりあえずすきをみて、娘の枕の下に、そっと入れてみた。
ぜんぜん気づかんかった。そのままぐーぐー寝とった。
翌朝起こしたときに、「枕の下、見てみ」ゆうたら、寝起きのふきげんな顔で、がばっと枕をはぐった。
「・・・。」
「メガネせんとぜんぜん見えんし。」
ちっ、おもしろくねえ、と思ってたが、あとで見ると、となりの部屋の机の上に、そのマンガがぶち投げてあった。
「ええ夢見れた?」
「知らん」
いじょう、朝の父娘のほほえましい交流は終了。
で、さっき古書店に寄って、マンガを引き取ってもらってきた。
お値段は、"ごじゅうえん"なり。
ぴかぴかの本でちょいさびしいが、しゃあねえか。だれかよいヒトに引き取ってもらうのだよ。
で、突然あたまに浮かんだのは、本屋で表紙だけ見たホラーのマンガ。
知らない作者で、"超絶絵師"と帯に書いてあったが、表紙のデザインの関係で、どんな絵を描くヒトなのかもよくわからなかった。そんときいっしょにいた娘が表紙を見て、「その本が置いてあるだけで、ヤダ」と言った。
たしかに、きぼぢの悪い表紙だった。
よし、はらいせに、あの本を買って帰ろうと思った。
どうはらいせになるのかわからんが、ホラーはお笑いに近くてストレス解消になるというではないか。
なんか、すごいいいことを思いついたような気がした。
そんで帰り道に買って、いそいでミスドに入って、ぱらぱらっと読んでみた。
…おもしろぐなかった。
絵も、一生懸命描いてあるのはわかるが、好みぢゃなかった。美しくなかった。
お話も、つまんねかった。くり返すけど、おもしろぐなかった。
んー、大いにはずれだった。ままあることだが。
まあいい。こおなったら、娘の枕の下にそっと入れておくとか、使い道を考えることとしよう。
店員さんに聞くと、今夜の便で来るかも、とのことだった。ふつううちらの辺では、新刊は、トーキョーで発売されてから二日遅れで店頭に並ぶ。
でも、"リアル"は早くに、トーキョーと時差なしで入るんじゃないかと思ってた。
翌日、中坊の娘と駅前に出かけたとき、帰りにコンビニで本(マンガ)を見たいと言いはじめた。
"リアル"のことは期待が半分ぐらいで、帰りが遅くなるけど、まっええか、ぐらいの気持ちで店に行った。
ほんなら、あった! 新刊コーナーに平積みされている。
一冊手にとって、高くかかげて、「うぉらーっ、うぉらーっ」と、(小さく)喜びのおたけびをあげた。
娘は、ちらっとこっちを見たが、無反応だった。自分が物色するのにいそがしい。
自分:「・・・。」
で、こんどは娘の背中をばんばんたたいて、「なんなん、もお」ゆう顔でこっちを向かせておいて、娘の顔の前に手に持った"リアル"をびらびらさせて、また「うぉらーっ、うぉらーっ」と、(小さく)喜びのおたけびをあげた。
娘:「・・・。」
ことほどさように、年に一度の新刊の発売を、心待ちにしておるのでありマス。
良い子は単行本だけぢゃなくて、本誌ヤンジャンも買って読んでね。
ヒトとヒトが出会い、ともに何かをすることでおこる化学反応を、作者は確信している。自分も、このマンガを読むとそう信じたくなる。
"人の世に熱あれ、人間に光りあれ。"(水平社宣言より。意味や使い方が間違ってたらスマヌ。)
"リアル 11巻"
井上雄彦/作
集英社ヤングジャンプコミックス
でっかく"カレー"と看板が出てる、郊外の古びたお店だった。
中に入ると、ほんと昔の、古ぼけた喫茶店のような内装と雰囲気だった。こじゃれた感覚はまったくない。たんに古いだけだと、"古ぼけた"、ゆう表現にならんが、特にきれいにしようとゆう様子もなく、まさに古ぼけたとしか言いようがないお店だった。
おもしろかったのが、ウエイトレスのお姉さんが、機嫌がわるいんかい、っちゅうくらいに愛想なかったこと。客が注文しても、ろくに返事しない。表情はぶすったれたまま。伝票は通りすがりに、こっちを見もせずにぱさっと置いて去る。
もう笑ってしまうぐらいに愛想なくて、面白いもんで、注文したものが出てくるまで、ずーっと目で追って、ほかのお客さんの接客とかをにまにましながら見ていた。
ウエートレスさんが、注文した日がわりカレーを持ってきた。無言で置き、無言で去る。
その日のカレーは、チキンカツカレー。カツもおいしそうだし、とろっとしたカレーからは、複雑な、おいしそうなにおいがした。それと…、量が多い。
味はにおいから期待する以上においしくて、"手作り"の張り紙はダテじゃあなかった。ちょっとからかったけど、コクがあって、特別においしかった。
お腹はぱんぱんだったが、もったいない気がして、お皿のルーをていねいにすくって残さんようにした。
お腹いっぱいになって満足して店を出ると、駐車場がいっぱいになっていた。しかも高級車がたくさん(ポルシェのボクスターがいた!)。横長ナンバーの、特殊国家公務員の公用車もあった。
店に入ったときは、知っとるヒトしかこんじゃろ、と思ったが、自分らの後からどんどんお客が増えて、お店はいっぱいになっていた。
"知ってるヒトしか来ない店"じゃなくて、たぶん地域でも有名な、お客さんがわざわざ足を運ぶ店だった。みたい。
安くて、特別においしかったです。
認識ちがい、失礼をばいたしました。
なんの到達点か、ゆうたら、寝どこのパソコン用"ごろ寝マウス"。
トラックボール使ったり、レーザーマウス使ったりしたけど、けっきょくソフトウェア・キーボードがめんどくさくなった。
で、中古で買ったのがこれ。黒い三味線バチ。
けっかは、快適。
これでスクロールの仕組み(トラックボールのまわりにリングがあるとか)があれば完ぺきじゃったんじゃけど、矢印キーで代用中。
最初に刺したときも、ドライバーがいるだのめんどうなことは言われないで、ぶじワイアレス、オーケー。
きほん両手で持つもんみたいじゃけど、キーボードを打つとき以外はひじ枕して片手。
矢印キーを押すのはかなり無理があるが、まあがまん。
文字を打つときは、やっぱり快適、快速。
親指キーボードじゃけど、ソフトウェア・キーボードとはくらべものにならない。
とうぶんは、これ以上のマウスは見つけられそうにない。
だいいち、パソコン本体が3,000円ぐらいのオンボロなんで、もともと金かけるのがもったいない…。
西のはてから、ぐるうっと頭のほぼ真上をとおって、東のはじに消えてた(または逆かも)。
天球をまっぷたつにしたラインを、おおげさに頭をめぐらして見て、感心した。
でも、よく見ると、その雲は二本で、南の方にさくっと一本、北の方にさくさくと三本、ほかにも空を切り裂くように飛行機雲があった。
このマチじゃあ、飛行機雲なんてめずらしくもなかった。
弁当を持ってっとったんじゃけど、思いつきで、スーパーの屋上で食べて帰ることにした。絶景というほどじゃないが、そっからは、海やそのむこうの島々が見渡せる。
よいしょっと屋上のドアを開けて外に出ると、大音量のシャウトが聞こえた。
"なんか聞こえとるんかも"、ゆうあの姉さんだった。
ちょっと遠回りに姉さんの前を通って、少し離れたコンクリの上に腰かけた。
弁当を広げて、いただきますをして食べ始めた。その間も、姉さんの魂のシャウトは続いていた。シャウトの内容は結構つらそうだったが、服とか身だしなみはきれいで、"容姿:かまわない"ではなかった。
空は、薄曇りゆうぐらいで、明るかったが、海近くの建物や遠くの島がかすんで見えた。
姉さんのシャウトは、バラッドみたいな歌になっていた。メロディはともかく、ええ声しとるなと思いながら聞いていた。のどを何度かつぶしとるんかも。
もと歌があるんだろうか?、エンドレスだから即興だろうか、でも即興にしてはきれいに歌になっとるな、などと考えながら、パクパクと弁当を食っていた。
正直ゆうと、フルパワーでシャウトされてて、ちょっとびびった。まだ修業が足りてないようだ。
屋上には自分と姉さんだけだったが、掃除のお姉さんが、シャウトの姉さんとコンクリにこしかけて弁当をぱくついてるおっさん(自分)の前を行ったり来たりしていた。
シャウトの姉さんと、平日昼間に屋上で手弁当を食ってるおっさん。けっこう変わった人間だと思うんじゃけど、掃除の姉さんは、避けて無視するでなく、淡々と仕事をしてるふうだった。
なにか思っとるんか、なにも思ってないんか。表情からは、まったくわからず。
しばらく、ぼんやり空見たり、海見たり、叫んでる姉さんを見たりして、ぼーっと飯を食っていた。
お弁当を食べ終わって、ごちそうさまをしてから、たばこに火をつけた。
姉さんは、カチンカチンと、つぎつぎにたばこに火をつけながら、シャウトを続けてた。
そのうち、若い兄ちゃんが3人屋上に入ってきて、離れたとこの灰皿を囲んで談笑をはじめた。
つぎに、買い物をおえたばあちゃんがやってきて、シャウトの姉ちゃんと自分の間ぐらいんとこに腰かけて、たばこを吸いはじめた。
いつのまにか、姉さんの魂の叫びがおわってて、じいっと立っていた。
その間も、掃除の姉さんは、もくもくと仕事してて、自分やシャウトの姉ちゃんのすぐ前を、行ったり来たりしていた。
しばらくすると、シャウトの姉ちゃんは、静かに屋上から出ていった。
さて、この場の境界は、どこにあったのでしょう。
弁当ぱくついてるおっさんと掃除のお姉さん。3人組の兄さん、静かにたばこ吸ってるばあちゃん…。
人の数の問題なんか、距離なんか、密度なんか?
とても興味深い。
人数とかでなく、自分や掃除の姉さんに、なんかあるんだったら、またはないんだったら(シャウトの姉さんにとって)、チョットうれしい。
まあ、過剰な自意識ではあるが。
コーヒーを一杯飲んで帰るべ、と思ってミスタードーナツによったら、ちょうど大掃除の日で、もう持ち帰りしかできないとのことだった。
しゃーないのでちょいと歩いて喫茶兼ショットバーへ。
店内はいっぱいとはいわんが、けっこうお客が入ってた。
薄暗いのと距離とでよくわからんが、びっくりしたような顔でこっちを見ている客がいた。
目をこらすと、15年ばかり"消息を絶ってる"友人だった。
「お知りあいですか?」と店の嬢ちゃんに言われながら、さいです、とカウンターのとなり席にすわった。
道ですれ違って声をかけあうことは何度かあったが、ゆっくり話すのは(飲みながら)、ほんと15年ぶりだった。
おっさんふたりで、体重の話で盛りあがったのは年のせいか。
むかしと変わらずヨタ話したり、いまどうなん?、とお互いの話をしたりしてるうちに1時間ぐらいたってた。友人はビールのおかわりをし、自分はコーヒーのおかわりをした。
で、このショットバーに来たのは実は目的があって、それはお酒の空ビンをもらうこと。
前に来たときに、"電気ブラン"があと一〜二杯分ぐらいしか残ってなかったので、つぎ来たときに飲み干して、ビンをもらって帰ろうと思っていた。
カウンターにすわったときに、ありゃ?、いつもんとこにないわ、と思ってた。店の嬢ちゃんに聞くと、「マスター、マスター」と言いながら店の奥に行って、"電気ブラン"の空ビンを持ってきてくれた。
自分がほしいと言ってたのをマスターが覚えてくれてて、空になったときにとっておいてくれてた。ついでに「狙ってるヒトがたくさんいたから」っちゅうようわからん理由で、別の空ビンもくれた。フラスコみたいにひらべったくて、ラベルの裏に、いかにもローマの遺跡です、みたいな競技場(闘技場?)の写真が、ビンの反対側から見えるように貼ってあった。お客さんの土産で、日本に入ってないだろうとのことだった。小さなマチのご当地もんだろうか?
ほいじゃまた、と友人に別れを言って、お店のマスターとお嬢ちゃんにお礼を言って店を出た。
祝日の前の日なんでそこそこ飲み客が歩いてたが、やっぱ少ないようで、そこここのスタンドのお姉さんが、店の前に立っていた。
ずらずらとならんで止まってたりゆっくり動いてたりするタクシーを縫うようにてくてくと繁華街(飲み屋街)を歩いて、家路に向かった。
手にお酒の空ビンをふたつ持って。
なにやっとんじゃ、わし。
「きょう一日、どうやって過ごそうか」
暗い気持ちで空を見ると、意外なほど星がたくさん見えた。
オリオン座も見えた。
すこし気持ちが、明るくなった。
カバンいっぱいに、本とマンガを詰めて、たばこの予備持ってミスタードーナツにゐる。
本もマンガも、悲しくなる結末が約束されてるもんをわざわざ持ってきている。同位性の原則、ゆうのはほんまじゃろうかわからんけど、いまはそういう気分。
いつまでここにいるのか、なにをしたらここからどこかへ行くのか、まったく決めていない。
どーせ逃避行なら、金髪になって、"深津絵里"と愛の逃避行がえかったな("悪人")。
映画、見てないけど。
んで、今週になってひとり職場に復帰して、なんとか目の前の締め切りに間に合いそうな気配がしてた金曜日の朝のこと。締め切りは当日の午后5時!
人事部門のえらいおじさんから、「決定事項じゃけど、ひとり抜いちゃうから」との人事異動の電話が、こっそりあった。
その10分後には人事異動が発表されて職場は大騒ぎになっとったんじゃけど、そんとき自分は、死んだような目で、あたま真っ白になって、屋上でたばこ吸ってた。
頭ん中に、チャ・ララララララ・ラーンゆうて"渡る世間"のテーマが流れていた。見たこたないけど。
あー、わざわざ気いつかって電話してくれるんはありがたいんすけど、そんな予告編いらねー。しかも10分前に。
11月からどーやって仕事しよ。それよりあした、"これから仕事の割り振りどーしましょー会議"があると思うんじゃけど、なにをどう考えて、だれに対して、どんな言葉を口にすりゃあええんか、かいもくわからん。しかも時間はまったくない。10月は、あしたいちんちしかないんだから。
で、きょう一日どーやってすごすか。
まじめに仕事の今後を考えられるでなく(頭ん中、白紙。)。雨はそぼそぼふっとるし。なんかして気分転換しようゆう気にもならない。落ちつかない。
時間だけはどんどんたって、すぐにもあしたになっちゃう。
あ"あ"あ"あ"あ"あ"…。
夕方に家族が気づいてたが、だれか乗っとんだろ、と思ってた。
んで、夜になって、いよいよ変だということになって、自分とこにゆうてきた。
自分が懐中電灯を持って出ると、家族全員がぞろぞろついてきた。
車内をべがべが照らしたが、だれも乗ってない。さわりはしないが、カギもかかってるようだ。
がやがやと車を取り囲んでしばらく騒いでたが、持ち主がわからんのでどうしようもない。
これはヤバイ。
駐車場を管理してる不動産屋に電話したが、だれもデンワ。
緊急事態だからと思って、番号が自宅兼用なのをいいことに、10時すぎまで電話をかけつづけたが、電話はつながらんかった。
これはダミダ。
深夜のぞいてみると、車の"ピコンピコン"が、こころなしか弱々しく見えた。
で、その翌朝。
カラー・タイマーは…、完全に消えてました。
合掌、礼拝。
そうは言っても虫歯とかでないのはわかっとるし、審美的なことにこだわるのはカッコ悪いことと思ってたので、そのままになってた。
先日、歯の定期検診のときに医師が、この歯「どうする?」と聞いてきた。
形成不全とかで、生えたときから色がついてることはままあるそうな。そういえば、歯の表面もなめらかではなくて、舌でさわると、ぽこぽこと段がついてるのがわかる。
もすこし奥なら笑ったときでも見えんかったのにねえ、と医者は残念そうに言ってた。
で、あまり深く考えずに、白いにこしたことはないので、やっちゃってください、と答えた。
歯のエナメル質を少し削って形をととのえてから、白い人工のエナメル質?で表面をおおった。
家に帰ってから鏡をみると、ちゃんとほかの歯に色が合わせてあることもあって、どの歯が茶色かったのか、よくわかんなくなってた。
ところが、その白くなってからというもの、舌でさわったり、くちびるをめくってその歯を見たりする機会が増えた。気になる。
罪悪感とまではいかないが、なんかそれに近い感覚が、どうも抜けない。
むかし、中国のエライ人が(誰か忘れた)、親孝行とはなんぞや、と聞かれたときに、"わざわざ(親からもらった)体を傷つけるようなことはしない"と答えたそうな。
虫歯でもない健康な歯を、見た目がブサイクだからという理由で傷つけてしまった。
美容成形って、こんな気持ちになるのだろうか?
おもしろく、文章も読みやすかったんじゃけど、行きつもどりつ、ていねいに読んでたら、まとまった時間がとりにくいこともあってえらく時間がかかった。楽しい時間だった。
がちがちに出典しめして論考した学術書、ゆうかんじじゃなくて、「ほんまでっか? せんせい」と思うような余地も残してある、エッセイっぽい文章で、とても読みやすくおもしろかった。
このせんせが、どこをどのような目線で見てるか、というのが波長があうらしくて、読んでて楽しい。ときには、ふっふと笑ってしまう。
瀬戸内が舞台なんで、とうぜん知ってる地名が多く出るんじゃけど、自分がいま知るその土地とはずいぶんと違ってるのも興味深かった。意外だったり、やっぱりほうかと納得したりいろいろ。
中央権力にあらがう海賊・水軍や、念仏衆や親鸞さん、日蓮さんの話はわくわくしながら読んだ。血わき肉おどる、ゆうてもおおげさじゃないぐらいの気分だった。痛快だった。
海賊、水軍、海・浦の被差別部落やおちょろ船などは、興味津々で夢中で読んだが(興味本位ですんません)、それだけじゃなくて、漁民はどのようなくらし、身分だったんだろうとか、豊かな農地を持たない海ぎわや島嶼部の人たちは、どのようなくらしだったのだろうか、などといういままで素朴に思ってきたことについての、ヒントがあったように思えた。
自分の住んでるとこにしても、万葉集に地名が出てくる何ぞと誇りに思っているが、海のすぐそばまで山がせまっているとこがほとんどで、農本主義(それも米)の社会では、とても豊かな地域だっとは思えない。それでもずいぶん古い集落(もちろん伝説つき)が、幹線の街道からははずれていると思われるところにあったり、高速艇で1時間近くもかかる小さな離島に古い歴史があったりする。
がっこでならった、"士農工商"および被差別民(エタ、非人)にあてはまらない多様な職能民がいて、瀬戸内だけで見てもたくさんの部族(や国籍)のヒトがいて…。
親しく交わるとは限らず、時には陰湿で厳しい差別があったようだけど、互いに影響しあいながらくらしてきた、というイメージが広がった。
ロマンをいだけるような余地はないが、飢餓や貧困、武力闘争や厳しい身分の差別、そういうものも含んで、豊かな世界のように自分には思える。
それでも名もない人たちは生き残っていき、そのようなものをうち壊していくエネルギーが生まれたりもしたんだから。
つぎも瀬戸内関係(離島物語)の本を読む予定なんじゃけど、まず足元で、地元の郷土史をはやいうちに読んでみなければ。
地元にも、江戸期に開港されていまも現役の港があったり、著名な観光地でもないのに、人口に比して異様に大きい歓楽街があったりと、考えるにおもしろい話題がたくさんあるのだから。
おちょろ船はどうか知らないが、売春防止法施行以前の"遊女"の数はそうとうなもんだったみたいだし。
"瀬戸内の民俗誌"
‐海民史の深層をたずねて‐
沖浦和光/著
岩波新書
ふぬけになってベランダでたばこを吸ってると、「ばばん、ばぼん」と音がする。
たぶん、近所のアパートの、どこかの階のだれかが、ベランダで洗濯機を回してるんだろう。
完ぺきにバランスくずれとんですけど、その洗濯機。ようがまんしとるな。
音もすごいけど、振動もすごいんじゃないかと思うんじゃけど、辛抱人じゃねえ。
ただし、いま夜中で、もうすぐ10時半です。
んー、うしゃー、と気合を入れて話しかけたら、さいわい英語のヒトで、しかも聞きとりやすかった。で、インチキ英語全開でご案内。たぶんお役に立てた(たぶん)。
べつに、ふつうにニポン人にでもおんなじじゃけど、おせっかいに必要なんは勇気と覚悟っすね。
女子中高生とか若い女性にすると、もんすごい警戒されたりするけど(やぱし見た目か?)。
大通りをまっすぐ行くところを、ジグザグに。カラオケや小さな飲み屋さんがならんでいる。人口に比して異様に飲み屋さんが多いんじゃけど、さすがにまだ明るいのでスタンドとかはあいてないようだった。
花屋の店先を通ったときに、店内から"チャタヌガ・チュー・チュー"が聞こえてきた。小野リサさんの声と思うが、静かで落ち着いた感じなのに陽気で大好きな曲だ。
すげーなつかし、と思いながら通り過ぎた。
それからは、家に帰ってからも、いまも、ずーっとこの曲が頭んなかを流れている。
ほんとの曲名かは、はなはだ自信がないが、「チューチュー・トレイン」みたいな感じと思う(ポルトガル語?)。
小野リサさんが歌ってるくらいだから、もともとボサノバなのかもしれないが、自分の頭んなかを流れているのは、もとはやったときの曲でも小野リサさんでもなく、細野晴臣さんのヴォーカル。
YMOが世界中を席巻した当時、自分も一生懸命レンタル"レコード"屋でレコードをせっせと借りていた。
あの3人は、自分にとって神様のようなヒトで、いまでも"ライディーン"とか聞くと、頭んなかにへんなものがどくどくと流れてくる。TVCMの"ポッキーオ"は衝撃だった。「なにやってんすか、みなさん!」。
YMOのレコードをおおかた借りてしまうと、こんどはYMO結成以前の細野さんや教授、高橋さんはどんな仕事しよったんじゃろう?と興味を持って、ずいぶん古いレコードも借りるようになった。
細野さんのソロだか、ティンパンアレーだかのアルバムに入ってたのがこの曲。
だから、頭んなかを流れるのは、うろ覚えの切れ切れでおんなじとこをループするんじゃけど、「こりゃまたはやいね…」と日本語がまじる低い声の細野バージョン。
で、きょうは休日出勤の代休をもらって、頭の中をこの曲が流れながら、いまから電車にのってマチへ遊びにゆく。
"こんちき・ぱぱれほ・ぱぱーん・ぱ・ぱーん"
三日続いた、大イベントの"駐車場のおじさん"の状況終了。
無事、事故もなく仕事を終えることができた。
あ"あ"あ"、一枚事故報告書を書いたような気もするが、まあええじゃろ。駐車場内の事故じゃあなさげだったんで。けが人が出たわけじゃなし。
いちんち中ほこりまみれの駐車場に立ってて、走ってて。一日一日と体が重くなり、足の裏まで、痛くないとこがないぐらいに、どよーんと筋肉痛。
"生活リズム計"によれば、一日平均2万歩。三日で6万歩超と、普段の一週間分以上の歩数を動いてた。
事故・けが人をだしちゃあいけん、ゆうプレッシャーもすごくて、Gの病が日に日に悪化。三日目には歩くのもつらいぐらいにシリが痛くなっとった。
おまけに式典のある最終3日目の朝は、そのプレッシャーで腹までくだし、子猫のような、なんちゅう細い神経なんじゃと自分で思った。
ストレス(正確にはストレッサー?)、おそるべし。
でも、業務終了となったときは、もううれしくてうれしくて、同僚だけでなく、世話んなった警備のヒトらまで、ひとりひとりにお礼を言ってまわった。
このイベントが、つぎにうちの地域に来るのは4〜50年後なんで、自分は確実に土の下、鬼籍に入っている。一生に一度のイベントだったっちゅうわけ。
そのイベントの花の部分は、ほとんど見ることはできんかったけど、地響きのような歓声は、会場から離れた駐車場まで聞こえてきた。
たとえハレの舞台でなくとも、大きな行事に参加することは、楽しいしうれしい。苦労したのが吹き飛ぶぐらいの感動がある。カゲの、とか、縁の下の、とか、控えめな気分じゃなくて、自分も一大イベントの参加者、ゆう充実感があった。
始まる前は、超メンドくさいよけいな仕事と思いよったのに、勝手なもんだ。
で、この高揚した気分を少し残しつつ、あすからは日常にもどってゆくのでした。
職場の机のうえは、すごいことになっとんじゃろうなあ…。
て、わかる世代はいくつまでなんじゃろか?
おいさん(自分)は、まあ普通に働いてるわけなんだが、きのう、きょう、あしたは、ちょっとー、ちーがーうー。
駐車場のおじさんなのである。さんれんちゃんで。
あさ6時前に"現場"にむけて出発。へろへろに疲れて"現場"から帰りつくのは午后6時過ぎ。
実稼働時間はたいしたこたーない。
が、立ちっぱなし&走り回って、警備のヒトの真似ごとして、慣れん交通整理して、次々起こる、小さな事件に対応して、ゆう一日は、ぶっ疲れる。
プロの警備員と一緒に仕事するんじゃけど、緊張感きれずにきっちり時間まで仕事すんのは、ほんとにすごい。ミスったら大きな事故になるんだからなおさら。
そーれーにー比べて、職種が違うゆうたらそれまでじゃけど、自分はもう夕方にはへろへろ。ぼろぎれのように疲れて、バスにゆられて帰ってくる。
きのうよりもきょうと、確実にたまってく、削れてく感じがする。
もういま、座ってるだけで眠い。目が閉じそう。体イタイ、腰イタイ、ダルイ。日焼けで腕、首、顔がひりひりして、目ん玉まで日焼けでイタイ。それになぜか、座りっぱなしじゃなくて、いちんち中立って動き回っとったのに、"ぢ"が悪くなってきた。日に日に増す、シリの痛み…。
じゃあ楽しくないんか、つらいだけなんか、ゆうたら、一日が終わってみると、ただほっと安心するだけじゃなくて、充実してて楽しかったような気がしてくるから不思議だ。
想定外のトラブルにパニックになったり、お客さんからお叱りを受けたり、ヒトが思いどおりに動いてくれずにキレたり、の一日なのに。
おひさまをあびながら、体を動かしてヒトと話をする仕事だからだろうか?
なんか、二十ウン年前の、農家のバイトを思い出す。マジで限界、ゆうくらい体がきつかったのに、すごい楽しかったような気がする。
不思議だ。
で、あすが最終日。ぶじに終えますように。
家族にも内緒で休んで、マチに遊びに行こうと思っとったのに、パーになった。
「なにしに休むか知っとるんで、(休んで)いいとは言えません。」
部下にダメだしされた。
そう、ひさびさにストリップ行こうと思うて、ウキウキしとったんよね。
きょう慣れん仕事で疲れきって(立ち仕事で足ガクガク、腰ボキボキ)、しかも、あしたもあさってもその仕事なんじゃけど。疲れが倍増しちまったぜい。がんばった自分へのご褒美と思いよったのに。
そんなだんじゃあなくなってしもうた…。ゲロ。
表紙にきしゃないえんぴつ書きで、"大切なメモ"とあった。
大切なメモと書いてあるんだから、たぶん、大切なメモなんだろう。ちょっと興味がわいたが、見んことにした。
窓をあけて走ると、いろいろな音がよく聞こえるし、においまでする。車んなかと外が、ひとつながりになってるような気がする。
鳥のなく声、草の葉のにおい、自分の車の排ガスのにおい、潮のにおい。ドブ川のなつかしいにおいがすることもあるし、田舎の香水がかおることもある。
おとついは、窓だけでなく、屋根までとっぱらって走ったので、360度、いろんなとっから音やにおいがした。
頭の真上でトンビのピーヒョロロが聞こえ、港ではニャーニャー海鳥がないていた。いたるところで草刈ってたので、草っ葉のにおいもよくした。海産物のお土産屋さんの前を通ると、鼻がまがるぐらいに乾物のにおいがした。
で、島の中をとことこと走っていると、ときどきキンモクセイの花のにおいがした。ような気がした。「あれっ」と思うと、すぐに消えてしまう。気のせいか、と思うと、またかすかににおう、気がする。
みまわしても、オレンジのちっこい花をつけた木は見あたらなかった。
きのう、仕事の行き帰り。てくてく歩いてると、やっぱりキンモクセイの花のにおいが、かすかにしたような、気がした。
でも、ここの木はキンモクセイだぜ、と目をつけてる並木にも花はまだなかった。
そして今朝のこと。
ベランダで洗濯を干していると、つよい風にのって、はっきりとキンモクセイのかおりがした。こんどは確信がもてるくらいに、あざやかににおった。
どっからくるのかはわからんかったけど、「いいにおいだ」と思い、深呼吸をした。
ああ秋がきたんだなあ、と思った。
はじめて読んだときも、もう中高生じゃあなかったけど、シンクロ率が異常に高くて、心がふるえた覚えがある。もう読んでて、苦しくて苦しくて。
でも、つぎに読んだときには、まだ二十台じゃったけどもう当事者の見方じゃあなかったな。
中高生の子がいるいま読んだらどうだろう。
"少年は荒野をめざす"はわが家ん中でも一定の地位があって、本棚のよい場所(目立つとこ)をあてがわれている。
中一の娘が、「(自分にも)読める?」と聞いてきたので、「意味わからんなら、わからんなりに読めるじゃろ」、と無責任な返事をした。
で、ヤツは読みはじめた。
さすがに中一じゃ無理かなと思ったが、「ひゃっぺん読めばわかるじゃろ」などと脳天気なことを言ってたんで、ほっといた。
あまりに意味わからんかったら、さすがにつらくなって、読むのをやめるだろうと思ってた。
そしたら、あっというまに終盤、5巻まで読んどった。なんゆうても早すぎる…。
内容どんな?、と聞いてみると、低い声で「ムズかしい」とこたえた。
どうやら、わからんのをそのままにすっとばして読んでいるらしい。登場人物の気持ちや心象が、などとゆうレベルではとてもなくて、話の筋自体把握してるかどうかきわめてあやしい。
ようもまあ、そんな乱暴な読み方ができるもんだと、あきれるより感心した。
いまのヤツの読解力では、ひゃっぺん読んでも、意味も気持ちもわからんだろう。わからんどころか、間違った読み方して毒かもしれない。読解力だけでなくて、心が成長してない、ゆうこともあるかと思う。体はでかくなったが、疾風怒涛の思春期には、まだまだなようだ。
ほいじゃけど、自分もいま考えると、「意味わかるわけないじゃん、バカじゃないの。」てな本やマンガを、小中学生のころに読んでた(小学生で萩尾版"百億の昼と千億の夜"とか。)。とうぜん、まったくもって意味わからんのんじゃけど、ふしぎと頭のすみになんか引っかかってて、何年か後に作者や題名をさがしまくって、読み直したりしてた。
わからんでも、間違った読み方しとっても、どっか頭のすみに残ってて、もそっと大きくなってから読み直してくれればいいな、と思っている。
で、また性懲りもなく読めもせんような本やマンガを読ませようとしむけるんじゃけど…。
少年は荒野をめざす 1‐6巻(完)
吉野 朔実/作
集英社 ぶーけコミックス(1986‐1988年)
ケータイで話してんだろうと思ってた。相手をしかりつけるように激しくしゃべっていた。マシンガントーク!
が、すぐそばでつっ立って、たばこをゆっくりふかしながら見てると、ハンズフリーでなくて、だいたいケータイ電話自体持ってなかった。
「あれ?」
姉さんの話はとまらない。指が焦げるんじゃないかゆうぐらいに短くなってたたばこを消したかと思うと、すぐにまたたばこをくわえて火をつけた。その間もしゃべり続け。
そのうち立ち上がって、体をゆすり、手を大きく動かしながらお話を続けた。
話題が楽しいもんにかわったらしく、大きな声で笑ったり、ステップ踏んだり、シュっと声をだしながら、シャドーボクシングみたいなこともやったりしてた。
自分のたばこが短くなったので、灰皿で消して、そのばを離れた。
姉さんのマシンガントークは、ゆたかな顔の表情と、ダイナミックな体の動きでいよいよもりあがってて、でっかい声で話し続けていた。
自分にはなんも見えず聞こえんかったんじゃけど、どうやらだれかいたらしい。
姉さんは、家族や知人と一緒のときでも、なにか聞こえとるんじゃろうか? ひとりでないときは、聞こえても返事をしないだけなんじゃろうか?
ところで、自分は、姉さんの肩がたたけるぐらいの、すぐへりにつっ立っとったんじゃけど…。
わたしの存在は、空気か石ころのようなもんだったのでせうか?
ぱつきんに近い色に髪を染めてるのと、ぱっつんぱっつんにスカートを短くしてるのは、めずらしくもなんともないが、あしもとがルーズソックスだった。
なんか、あさからいいもん見た気がして、とくした気分になった。
とおくてぼんやりとしか見えなかったが、首ががっくり下をむいとった。
ロータリーをぐるうと回りながらじいっと見ていたが、がっくり下をむいたままだった。
心配になったので、そのままぐるっとまわって、「だいじょうぶですか?」と声をかけた。あんまり近づくとびびるだろうと気い使って、少し距離をとったところから言ってみた。
「はい?」ゆうて首をおこしてこっちを見る反応速度は早くて、目はしっかりしとった。
「だいじょうぶですか?」
「部屋のカギなくしたんです。」
悲しそうな顔をしたお嬢さんは、ほんとに若い娘さんじゃった。ひざの上のバッグをいっしょうけんめい引っかきまわしとった。
自分は、「ああ、そう」と、ほうけた返事をしてその場を離れた。
冷たかった、も少し気のきいた言葉でも言やあよかったなと、歩きながら思ったが、具合がわりいわけじゃないゆうてわかったんで、安心した。オトナだからなんとかするじゃろう。
自分が所帯持ちでなくて若かったら、もっと親身になっとっただろう。スケベごころから。かわいかったし。
なんにせよ、ご愁傷さま。
きょう一日、どんだけ外(屋外)におったんかい、ちゅうくらいに焼けている。
この土、日に体育祭。さいごの追いこみである。
息子は人相がかわってきたような気がする。食欲なくて少しやせたよう。目だけがぎらぎらして。修業僧のようだ。
娘は鼻がぽろっとモゲそうなくらいに赤い。顔んなかで鼻だけが別パーツのようだ。それにくらべて、手足は思ったほど焼けてないような気がするが、くつ下脱いでも白いくつ下はいたように、足先だけが白い。
むかし、"永遠に続く学園祭前日(前夜)"ちゅう映画があったけど(「うる星やつら2」)、体育祭前がずっと続いたら、こいつらどこまで黒くなるんじゃろうか。その前に倒れるか。
学校で無理やりテンションあげてるせいか、家に帰るとふたりともすばらしく静かだ。ぐったりしてる。いつも夜中までぎゃあぎゃあうるさいのに。
「テンションあげろいや。くらーっ。」、つって、なんで洗いもののお皿かたづけるだけでそんなテンションあげにゃあならんのんかわからんが、そんだけ帰ったら気が抜けとんじゃろう。
話聞きよったら、練習といい準備といい、「間に合わないんじゃね」と思うが、間に合おうが間に合うまいが体育祭当日にはなる。
ま、仕事の締め切りとおんなじか。
きのう、仕事で現場に出た。
手入れのとどいてない里山の中に、ため池がある。車をとめて、池まで歩いていくのが、うだるように暑かった。手にはカマを持って、棒きれひろった小学生みたいに、ぱしこぱしこ草をなぎながらすすんだ。
そこは、天国だった。なんの天国かゆうたら、"銀ヤンマ天国"。
わさーと飛んでるとんぼが、全部銀ヤンマだった。
興奮した。鮮やかなグリーンが、まぶしかった。
網がいったなあ、と思った。
で、きょうも現場。山カゲすずしい集落の里道へ。
きゅうな水路沿いに、里道を(ちょっとのぼると"山道")のぼったりおりたりしてると、目の前を、しましまが通った。
「オニヤンマだ!」
まわりがせくせくと仕事してる中で、ひとり空見て声をあげた。
やっぱり網がほしかったな、と思った。ぜったい取れんけど。
もう一周ぐらい回ってこんかときょろきょろしてたが、もっぺんおがむことはできなかった。
昼前にはときどき、「ごっ」だの、「ごばっ」だの、やばげな風の音がしてたがいまはそれもない。
ぶーぶーとアッツい風が吹いてるだけで、"暴風"ゆうほどじゃない。
雨はあがってて、ときたまお天道さまがのぞく。雲が薄くて明るい。
このぶんだと、吹きもどしさえ注意すれば、そんなひどい目にはあわんかも。
ただ…、暴風警戒域にはがっつり入っとるんで、暴風警報は出っぱなし。
あしたの夜は当番でお泊まりか?
いつまでもチャリの速度で動いとらんと、さっさと加速してくれい。
おおげさじゃけど、何年も何年も、これがいちばんおいしいと思って吸ってたんだから、ショックは大きい。
吸ってるたばこが廃版になるのは二度目じゃけど、前回はちがう"らくだ"に乗り換えた。あじわいは基本的に同じなんで、とくに違和感はなかった。
ところが今回は、"らくだ"ファミリーが全滅。いちからさがし始めることになった。
手に入りやすくて、うまくもまずくもないマイルドセブンをおもに吸って、ほかはいろんなたばこを試している。JTから、見たこともない輸入品まで。
値段がえらく安いんで、旧三級品(わかば、エコー、うるま)に挑戦したが、からい、まずい・・・。コストパフォーマンスはすばらしくええんじゃけど、それをがまんできるほどの味じゃなかった。
で、マチに出たときにしゃれで買ってみたのがこのたばこ。
"ピール・メンソール・ピーチ"
ばかばかしいパッケージで、おまけに桃の香りがするゆうんで、ほんとにネタのつもりで買った。
そしたら…、うまかった。
インターネットで、これは「たばこじゃない」と言ってるヒトがいたが、メンソールのうえに、すんごい甘い桃のニオイがする。これを邪道と言わずしてなにをっちゅうくらいだが、ほんとにおいしいと思ってしまった。
おまけにパッケージを開けると、たばこ一本一本が、さらにばかばかしいデザインになってて笑った。「なんじゃ、こりゃ」と声に出してしまった。フィルタのぐるぐるが、トリよけの目玉に見える。
デザインも味も、ははっと笑ってしまう感じ。へそまがりな自分にぴったりじゃん。ほいで、おいしいと思ったし。にこちんも、濃くも薄くもなしぴったし。
で、「決めた。これだっ!」と、こおどりしたとたんに、こいつも廃版になっちゃった。
またマチに出たときにカートンで、あるだけ買い占めようと思ったが、店に行くと、もう酔狂なヒトが買い占めた後だった。スキモンがいるもんだ。
しかたなく、残ってた4箱だけ買って帰って、この写真のが最後か最後から二番目の"ピーチ"。
家にもうひと箱あったっけ?、なかったっけ?
はぶてた(へそまげた)。じつは、涙が出そうなくらいに悲しかった。
なんで、チャンネル権は、基本的人権に入れといてくれなかったのだろうか。
「そのためにゃー、まず設計図だ」と思い、仕事帰りに文具店によることにした。
てくてく歩く道すがら、前を知りあいが歩いている。
ぺこっと頭をさげると、びっくりしたように立ちどまって、やけにていねいなあいさつを返された。
近づくと、あんのじょう、思うたヒトと違(ちご)うとった。まっ、知りあいじゃああったんじゃけど。
久しぶりに立ち話して、「また機会あったら一緒に仕事しましょう」、ゆうて別れて文具店に入った。
A4の方眼紙はちょこっとさがしたらすぐみつかったが、タナの横にぶらさげてあった、えんぴつ用のグリップ(クッション)兼ホルダー(短いえんぴつ使うときの)が、すげー気になりだした。
しばらく手に持って固まっていたが、結局色をえらんで方眼紙のうえにのせた。
すると、そのグリップの下にぶらさげてあった"デザイン定規"とやらが目にはいった。
歯車んなかにえんぴつ突っ込んでぐるぐる回したら、みごとな幾何学模様がかけるアレ。色づかいはどーみても小学校低学年むき。蛍光のピンクやら黄色。
おー、なつかしい。しかも105円!
それも方眼紙にのせてレジに向かった。
すごい、いい買い物をした気分になった。
そいつらと、きょう届いた雑誌をマイ・バッグに入れ、ぶらぶらさせながら家に向かう。
が、とちゅうより道してミスタードーナツへ。
「くっそ暑いぜ、夏に逆もどりかよ」とか頭んなかで毒づきながら、熱いコーヒーをすする。
雑誌やら、きょうの戦利品やらをながめながら、1.5杯コーヒーを飲んだところで、"しっこ"がしたくなった。コーヒーには、利尿作用がある。
で、壁の時計をみると、もうこんな時間じゃん。弁当がら洗ったり洗濯ものたたんだりせにゃあ。
ちゅうことで帰路についた、とさ。
三日間の旅行でうまいもんたらふく食って、いちいちどっかよるたびにソフトクリームだのなんだの食べて…、で、みごとに身になった。身についた。
二重アゴと背中の油身に危機感を感じてから、1年半ぐらいかかって、やっともとの体重に戻った。でっぱらは戻らんかったが、ぷにょっとベルトにのる分のお肉はなくなったのでよしとしよう。背中側の肉までベルトにのるようになったときは、さすがにやばいと思った。
が、運動したわけじゃなくて、ご飯を減らしただけ。夕方のおやつは争うようにして子どもと一緒に食ってる。おやつをやめるんは嫌だったので、ご飯を茶碗三分の一にした。
ふだん腹八分目に食っただけで肥えるのに、旅行中は、「もう限界、ゆるして」っちゅうくらいに毎食食ったんだから、まっしゃーねへか。
この2kgの体重増と、ぷにょっとベルトにのった油身は、さてどんくらいでもどるのでせうか。
動物は好きだが、"志村動物園"はキライ。
ミッフィーはゆるせるが、キャラクターものは、ミッキーもキティーもカンベン。ぬいぐるみをあつめる趣味は、もちろんない。
いろいろごちゃごちゃゆうたけど、ようするに、かわゆくてがまんできずに買ってしまった。
週刊アスキーで小道具として使われてたんを見て目がくぎ付け。googleだのYahoo!オークションだのでさがしまくって、すぐ注文した。
階段のとこにおいてるが、のぼりおりで目があうたびに手をにぎにぎして声をかけ、ひとり悦にいっている。
家族からは、目に入るとびっくりする、気持ち悪い、と不評である。
業田良家は、ふつうのマンガ家だった。ふつうよりは、特別におもしろいマンガを書くヒトだったように思う。でも、特別おもしろいマンガを書く、ふつうのマンガ家だった。
それが、"自虐の詩(じぎゃくのうた)"というマンガを書いているときに、カレになにかが降りてきた。
"自虐の詩"は、特別におもしろいが、ごくふつうのマンガだった。
でも、だんだんと、四コマなのにふっといストーリーを持つようになり、さいごには、神だか悪魔だか、はたまた精霊だか、とにかく上部構造のなにかがカレに降りてきた。
泣いてしまった。カレも書きながら泣いていたにちがいない。
評論家の呉智英氏は、"自虐の詩"の人間のクズを見る目線は、キリスト教のそれに近いよううに思う、と言った(NHK BSマンガ夜話)。わたしもそう思うし、その目線は、べつにキリスト教にかぎったものではないと思う。
ダメな人間はダメなままに、笑っていいんやらわからんぐらいにみもふたもなく書いてんのに、人間が生まれてくること、自分が生まれてきたことをすばらしいと思うことができた。
そうして、わたしにとっては、カレは特別なマンガ家になった。
呉智英氏のように、"布教活動"はしないものの、"自虐の詩"は、わたしにとって、もっとも大切な本のひとつになった。特に最後の5巻。
でも自分は、カレの作品をさけるようになった。いつも気にはなってたが、長いあいだ、手にとることはなかった。
カレとカレのマンガが、恥ずかしく、読むことが苦しく思われたからだ。
ひさびさにこのマンガを読んだのは、映画が評判になってたから。
本の表題にもなっていて、映画化もされた、短編"空気人形"は、予想どおり、予想以上に衝撃的だった。第一話の、"わたしを愛してください"からはじまってのこの短編だが。
心ん中で、ウォーっと叫んでしまうくらいに心揺さぶられた。ゆり動かされた。苦しい、せつない。「感動」ゆう言葉を使うことが、自分の中で適当でないように思えるぐらいに複雑で、この気持ちをなんと言ったらヒトに伝えられるやらわからない。
カレは、かわっていなかった。いつぞやカレに降りてきたなにかは、いまもカレのそばにいて、なにかをカレにつぶやき続けているようだった。
業田良家という男は恥ずかしい。業田良家という男が書いたマンガは恥ずかしい。
「恥ずかしいから困ります」、「苦しいからやめてください」、ゆうてんのに、ぐいぐい肩をいれてふところに入ってこられるような感じ。
だから困る。
"ゴーダ哲学堂 空気人形" 業田 良家 (著)
出版社: 小学館 (2000/2/1)
大したことない近眼に、少し乱視がまじっているだけなので、ふだんはメガネをかけていない。それほど不都合はないので。
ところが、一日中メガネをかけてみると、世界がちがっていた。
何十メートルもむこうのヒトの顔が見える。遠くの景色が見える。
遠くの埠頭からお船が出発するのが見え、お船のうえに船員さんがずらっとならんでいるのも見えた。
裸眼だと車道はさんだむこうの歩道から手をふられた日にゃあ、だれやらぜんぜんわからん。思い切りあいさつしてみて、近づいたら知らんヒト、ゆうのもよくある。
むかしはこんなんだったんだろうなあ、と夕方しみじみ思った。
なにがええっちゅうて、きれいなおねえさんがよく見えるっちゅうのが一番良かった。
なんか得した気分
ただ、それだけ。
娘が、「さっき(店内に)、すごいでっかいトカゲがいた」と、興奮ぎみに言うてきた。
「立ち上がったりしていた」、「とにかく大きい」などと言うもんだから、ふたりでさがしはじめた。
"すごいでかいトカゲ"、"立ち上がったりする"ゆうのを聞いて、勝手にイグアナみたいなんを想像した。
「ペットか?」
「ちがうと思う」
やっとみつけた"すごいでかいトカゲ"は、しっぽ入れても15cmぐらいの、ちっこいトカゲだった。くつの箱の間を、ちろろ、ちろろっと走っている。
たしかに前足をつっぱるようにして、上半身をもたげたりする。どうどうとした態度が笑える。
クーラーががんがん効いてる店内に置いといてもしょうがないので、ちょろちょろと逃げまわるのを両手でつつみ込むようにしてつかまえた。
店をでて、手をあけると、ちょろろっと腕にでてきたがおとなしい。
カメラで娘が写真を撮った。思い切り接写で。
あーでもないこーでもないとえらく時間をかけたが、おとなしく腕にのっていた。てのりトカゲか・・・。
記念写真がすみ、逃がしてやることにした。ほれっと腕を地面に近づけたが逃げない。
そらそらと、背中をつついてやっと地面におりた。
もう帰るぞ、ゆうても娘はトカゲのそばにしゃがみこんでいた。
すごいおとなしくて、背中にさわれたとうれしげに言っていた。
店内でトカゲをつかまえるとき、いっしゅんびびってしまった。子どものころは、トカゲでもカエルでも虫でも、平気でつかんで遊んでいたのに。
ひさしぶりに手にした、おおきな態度の小さなトカゲは、すごくかわいかった。ちょっとうれしかった。
窓を閉めるときに、ピウッっと口笛のような音がした。
ベランダの飛びそうなぶっそうなもんはかたづけて、物干し台は倒している。
問題は、ただいまの室温・・・、29.6度。
強風で、がんごんとやばげな音が外から聞こえてくる。さすがに窓を開けたままじゃあ寝られない。
寝室にはエアコンがない。頼みの綱は、扇風機だけ。
けさも、あまりの暑さとカラスのがあがあゆう声で5時半ごろに目が覚めた。
ちゅうか、暗いうちに暑くていっぺん目が覚めて、リモコンで扇風機をつけた。
明日のあさには、"おっさんの蒸し焼きのできあがり"、になるかも。
あ"−、あづい。
洋式の個室に行くと、便座ん中に、てんこもりにトイレットペーパーがはいっとった。
「こりゃ詰まっとるけえだめじゃん」と思ったが、無意識に手がのびて、"流す"レバーを下げてしまった。
あんのじょう、がっつり詰まっとって、ぐんぐん便座ん中の水位が上がりはじめた。
「おーっ、やばい! とまれとまれとまれとまれ。」
願いが通じたのか、フチまで10cmゆうところで水は止まった。
「だめじゃ。助けを呼ぼう。」、とトイレを出ようとしたところで、"スッポンスッポン"を手に(正式名称わかんね)、掃除のおばちゃん登場。
「おー、いま助けを呼ぼうと思ったんよ。」
「そーじゃろう。これ持ってきたけえ、いまやるけえね。見ときいよ。」
「こないだ1階の女子トイレが詰まってねえ。(こんなあふれて)そりゃあすごかったんじゃけえ。」と、おばちゃんはマシンガンのようにしゃべり続けながら、"スッポン"やったり、便器んなかにゴム手の手えつっこんだりしながら、いっしょうけんめい作業をしよった。しゃべり続けながら。汗だくで。
仕事とはいえ、おばちゃんかっこええ、と思いながら神聖な作業をながめていたが、ぼーっと見とっても意味ないことに、ふと気がついた。
「ほいじゃあ、きれいになったごろに来るけえ。」
「んっ、わりーけどそうしてっ。」
が、トイレから通路に出たとたんに、トイレん中からおばちゃんが大きい声でたけっている(叫んでいる)のが聞こえた。
「にいさーん、にいさーん。もお、ええよー。」
おばちゃんありがとう。でも、こんどから、小さい声で言うてね。はずかしいから。
"遊びをせんとや生(うま)れけむ"というウタが、もともと何にのってるのか読んでみたかった。岩波文庫版を買ったはよいが、古文を読む能力がないため、びびって書架に置きっぱなしになっていた。
なんのきっかけかはわからんが、よし読むぞっとカバンにほうりこんだ。
で、いざ読みはじめるときに、"辞書を引かない、ト書きもきょくりょく読まない"、と決めた。どーせ読解力はないんで、いきおいで読もうと。
あらゆる言葉がわからんのんだから、辞書を引きはじめたらキリがない。
解説のト書き(とがき)も、ト書きの王様といわれた士郎正宗氏(マンガ家)が、一回目読むときは、ト書きを読まんほうがよい、ト書き読んでたら、話の流れはわからんしよけいに混乱するので、二回目、三回目から読みはじめたほうがよい、てなことをむかし言ってた(今は亡き雑誌、"スタジオ・ヴォイス"で)。
読んでみると、おもしろかった。ミエでなく・・・。
後白河法皇は、強大な力と腹黒さをあわせ持つ、"ラスボス"なみのおっさん(よーするに悪役)、と思っていた。
んだけども、梁塵秘抄のとくに口伝集のはじめの、今様"廃人"の告白を読むと、きゅうに愛すべきヒトに思えてきた。
この道ひとすじ、四十ゆうよ年。のどをつぶすこと3回。しとみ戸を閉めたまま唄い続けたら、朝がきたのに気づかんかった話など、まさに"廃人"。または"神"か?
(今様に関しては)後白河はバカだ、みたいなカゲ口をたたかれていたようだが、まったく意にかいすることはなかっただろう。
あとをついてきてくれる人がいないと、さびしい気持ちを述べておられたが、そりゃあ無理っちゅうもんです。あなたほどひとつことに入れ込める人は、そうはおらんでせう。
いい歌声が聞こえたからといって、見も知らぬ、身分も知らぬ人んちにいきなりはいりこんだり、今様(いまでゆう歌謡曲か?)のことになったらみさかいない。ぎゃくに、その時代なりの差別意識とか普通にあるようだが、今様とそれにからむ信仰の話になったら、女性や遊女(あそび)についても、尊敬するようなことばがあったように思う。
いっしんに往生を願う気持ちをつづったところや、同志であり先生でもある白拍子、乙前との永久(とわ)の別れのエピソードなど、じーんとくる。感動した。
それと、安芸の宮島、厳島に参ったときの話がおどろいた。潮がみちると回廊まで波がくるとか、後白河法皇が感動して記したそのままが、いま、現代もある。彼の見、感動した風景を、そのままいまも見ることができる。さすが世界遺産にもなるわけだわ。
口伝集の方の、調(しら)べや拍子がどうの、楽器と合わせるときはどうのといった、研究書然としたところは、さすがに読むのがつらくって、にょろにょろの草書がそのままでてきたひにゃあ泣きそうになったが、なんとか読みおえた。
これも阿弥陀さまのおみちびきか。ナンマンダブ、ナンマンダブ。
"遊びをせんとや生(うま)まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生(むま)れけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ。"
梁塵秘抄巻第二より
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/047/47256/
ひと目見たときの感想は、「おっ、"二の腕美人(著作権:
西原理恵子女史)"だ。かわいい。」ゆうもの。
"マルモのおきて"に出演されてたとのことなんで、いまを
ときめく方なんでしょうけど、テレビ見んのんで知らんかった
(スマヌ)。
さいきんの、レギンスだのスキニーだの、細い足をこれでも
かっちゅうくらいに、脅迫的に強調したファッションは、うん
ざりする。個人的に。
ぎりぎりとコルセットで締め上げたような足で、オウ脚ぎみ
に歩いているお嬢さん方を見ると、「自慢か、それは自慢なの
か。足が細いことはそんなにいいことなのか?」とつっこみた
くなる。
で、外岡(とのおか)えりか嬢。
若者ちゅう感じでかわゆくて、安心するんですけど。個人的
に。おっさんとしては。
やっぱ、個人的には、ですけど。
いっこずつでも片づけるのにひーひーいうことになんのに。
なぜだか、トラブルは重なっておきる。たたみかけるように。
もうきょうは(きょうも)帰ろ思うて、ふと共用のパソコンをみると、自分がひろげたスプレッドシートがそのままだった。そこにすわって作業をしていたことすら忘れていた。2時間ぐらい時間が空白になったようだった。んがっ。
試練はヒトをみてあたえてくれんと困るのよ。かみさーまー。
で、まだはやい時間だに、ぐったり。とくにきもちが。
空からは、しょぼしょぼと雨までもふりはじめた。
あたまは重く、ねむいわけではなくまぶたが重い。まるであたま半分が水ん中につかっとるようだ。
こおゆうときは、そーだ。逃げるのだ。
きょうは、早(はよ)うに風呂はいって・・・、寝よ。
道のまん中(といっていいくらいのとこ)に。
使用済みの、"コンドーム"が、落ちていた。
ティッシュとかでくるまれることなく、うすピンクのそれそのものだけが、べしょっと。
しずかな住宅街の道なんですが、なんででせうね。
そして日がおちると。
そこが特等席になる。
家ん中は、扇風機をつけとってもジワっと汗ばんでくるぐらいに暑い。でもベランダは、ずっと涼しい風がふいている。
凪(なぎ)の時間帯もあるはずなんじゃけど、ちょこちょこ座ってタバコを吸ってると、ずーっと涼しい。風の強い弱いはあるけど。
べつに景色がいいわけでもなんでもなくて、ただ空が見えるだけ。
ただし、音はいろんなのが聞こえてくる。貨物列車がとおる音、犬を散歩させている足音、機嫌よさげな子どものかん高い声、おっさんの咳、遠くを走る救急車の音、どっからくるんかわからん低周波・・・。
ほんとに夏になって、"熱帯夜"になればどうかしらんが、当面は、ココが特等席。気持ちがいいし、ぼーっとすわっとって飽きない。
ココで寝たいな・・・。
たいした距離ではないが、歩いて職場にいくと、つくころにはスニーカーはぐっしょり、くつ下もぬれて、一日きもち悪い思いをすることになる。
そーだ、長靴があるではなひか。
最近、女性がおされな長靴をはいているのをよく見かける。きまって黒かこい茶色だが、まさにレインブーツっちゅうかんじでデザインがスリムでかっちょいい。
じぶんのはただのゴム長靴だが、すごくいいことを思いついた気がした。いつものように水たまりを気にして、ルートを考えながら歩く必要がない。
したくができて、外にでると、雨はぽつぽつの、ふってるやらふってないやらわからんぐらいの小雨になっていた。
くやしいので、わざと水たまりをとおったりした。
ながぐつをがぽがぽいわして歩くと、少しわくわくした。小学校のころを思い出した。
昼すぎ、けっこう雨がふっていた。これはええぞ、と思った。
で、帰る時間になると、完全に雨が上がっていた。道路はかわいてるとこもある。
この天気で"ながぐつ"は恥ずかしいので、袋に包んで手に持ち、はきかえたスニーカーで帰ってきた。
ゴムながは、すごく重かった。
いま、曇り空をつきぬけて、夕日がでていた。あしたは晴れだろうか。
正確には、行ってはくれないか?、という調査だが。
この国難に。
いま動かずして、いつ動くんか、という状況だが、なさけないかな、ことわりの返事を送った。
あまりに偉大すぎて失礼にあたるが、お国のために役に立てない、と涙を流した宮城道雄の気持ちが、少しわかったような気がする。
日本という国家のためというわけでなく、被災したクニグニ(ふるさとの地域の意の"クニ")のために、なにもしないことに罪悪感を感じる。
なさけない。
どうも、いま穴あけてる方が"きき(きき手のきき)"だったらしくて、もの食うときに、ひと口めは忘れててそっちで噛んでしまう。
で、さっきおやつでピザポテチ食ったら、あんのじょうそっちで噛んでしまい、おまけに仮のかぶせがポテチといっしょにとれちった。
ピザポテトおそるべし。
しかも、あすの午后って、歯医者、休診じゃあ・・・。
これは、なにか?、かけとるっちゅうやつか? いつからなんじゃろ?
で、きょう、意をけっして歯医者に行った。歯医者は怖いが虫歯はもっと怖い。
いや正確には、"虫歯になると歯医者がもっともっと怖くなる"。
あいかわらず歯科衛生士のお姉さんはきれいで明るく、親切だったが、そんなことで気持ちのメーターは上がんない。どよーんと"うつ"っぽい。
ちゅうを見つめ、ため息がなんども出る。
エプロンしてもらって診察台に寝ころんだら、気分は"まな板のコイ"。
"まな板のコイ"ゆうたら覚悟がきまってる状態をゆうんじゃけど、ほんまはそんな根性はない。びびりまくり。
あんのじょー、「あー、エナメル質がかけてますねえ」と、まのびした声で先生に宣告を受けた。
先生と衛生士さんの、静かで、冷静な協議のすえ、けっきょく古い詰めものをとって新しいのを作り、欠けたとこまで金属でカバーすることになった。
楽しいドリルつき、1週間コースである。
はい口あけて、ゆわれたら、ぎゅっと目をつぶって、タオルを両手で握りしめて耐える! さいわい、今回は麻酔がよく効いとったが。
つぎは1週間後。いまは麻酔が効いてて、ほほん中に綿でも詰めてるようだ。
歯科衛生士さん、指名制にしてくんないかな。指名料とって。少しは歯科受診が好きになるかも。衣装は先生のセンスにまかせるとして・・・。
ま、自分が新しい性癖に目覚めんかぎりはむりか。
きっつい話に、しょうしょうは耐性があるつもりじゃったけど、さすがに置いてかれた。
で、口直しっちゅうわけでもないけど、また、吉野朔実さんのマンガで"瞳子"を書架からひっぱりだして読んだ。
こっちも主人公といい、その他登場人物といい、ひとくせもふたくせもある人物がでてくる。ほとんど一人称ゆうのもかわらない。
でも、みょうに明るい諦観はあるけど、絶望はなく、でるヒトみんながたくましい。
ヒトの言いなりで耐えるだけのように当初えがかれていた主人公の母親も、じつはキモが太くてたくましいゆうことが見えてくる。
「いろいろあるけど、わたしもみんなも、生きてゆくのよ」ちゅう感じ(かってな印象)が、"いたいけな瞳"を読んだときの気持ちに近かった。
"いたいけな瞳"は、吉野さんのマンガの中で、自分がもっとも好きなもんのひとつ。
作者の青春時代の'80年代を意識したという設定もなつかしくて、読み終わったときにほっとした。
作者は、ずっといた出版社を離れて初めての作品だったそうじゃけど(それはびっくり)、気負いなく、たんたんと、このマンガをかいてるように感じられた。
気合が入りまくってたのは出版社で、本の装丁がべらぼうにこっていた。
カバーをはぐって、本のすみずみまで、穴があくぐらいみた。
この作家を迎えるにあたっての、出版社の熱意だか誠意だかの表現だったんじゃろか。
"瞳子"
吉野朔実/著
小学館発行
装丁/祖父江慎ほか
2001年発行
いろいろと、ほんとにいろいろとあって、喫煙所で大きなため息をつきながらタバコを吸った。
「んー、どーすりゃええんじゃ。わし。」
仕事が終わり(正確には、もう仕事をやめて)、帰り道、ミスドで道草を食う。
大きなため息をつきながらオールドファッションを食べ、コーヒーをすすり、また、大きくため息をつきながらタバコを吸った。
「あー。うー。」
そうして、おもむろにカバンから出してマンガをひろげて読みはじめた。それが、吉野朔実作のこれ。
どよーんとした気持ちがさらにどーんと落ちた。トドメを刺された。銀のナイフで。
一冊読みきって帰ろうと思ってたが、半分ほどでやめにした。
で、いまからナイフが刺さったままでおうちに帰るのだ。
よりによって、朝、ひっつかんでカバンにつっこんだマンガが、なんでこれじゃったんじゃろうか?
同位性の原則って、ほんまじゃろうか。
小学校高学年か中学生か、ゆうぐらいの男の子が、公衆電話ボックスのまえに自転車をとめたのがみえた。
進路方向だったので、その子に近づく形で、じいっと見ていた。
「ケータイ持っとらんのか、めずらしい」などと思っていた。
少年は、一瞬ドアノブにタッチしたが、すぐに手を引っこめて、じいっとドア見て立っとる。雨ん中を。
もうすれちがうか、ゆうところで、少年はあきらめたようにきびすを返した。
んで、「こうやって開けるんで」ゆうて横から声かけて、ガーっとドアを開けたげると、「あっ、ありがとうございます」ゆうてていねいに礼を言って、ボックスに入っていった。
きょうは、ひとついいことをした。
少年よ、勉強になったね。電話ボックスのドアは、押すんでも引くんでもなくて、横にあくんだよ。折りたたまれてね。
読んでたマンガからふと目をあげると、見えないはずの、チェックのスカートはいた女子高生の腰が見えた。
身長とパーツの位置関係が変だったので、ぎょっとした。
で、おっさん(自分)は、今度はおもいきり横むいて、店の横をとおりすぎるその女子高生を見た。ブロンドのアングロサクソンだった。
あーそーか、遺伝子が違うからか、どーりで腰の位置違うは、足い長いは、と納得した。
・・・。田舎のちっさいマチなんじゃけど、いろんなヒトがおるな。
"牧瀬茜"さんと"千葉なぎさ"さんのチームショーは、この20日(金)までですよ。
すんごいエンターテインメントが、砂かぶるぐらい、まぢかで見れますよ。
お話しできますよ。握手もできますよ。
踊り子さん、ふたりの笑顔につられて、笑顔になりますよ。
期待はしとったんじゃけど、見るともう、質も量も、期待値の三倍ぐらい。
武者(むさ)で言ったら"一騎当千"っちゅうぐらいの踊り子さんに、ふたりいっぺんに出てこられたんじゃあ、見るほうはたまらん。
どっちをみりゃあええんじゃ、ちゅう状態。うれしい悲鳴。ああ、しあわせ。
もうここまできたら、ストリップじゃなくてええんじゃないの?、とも思ったが、それでもストリップ。やっぱり、ストリップだからこそおもしろい、楽しい。そこはやっぱり、(自分が)おっさんなだけに。
ああ、眼福眼福。
広島でこんなん見られるとは思わだった。
"マイセン(マイルドセブン)"の、約半額。
どーせキャメルじゃないんだから、あーおいし、ゆうほどうまくはないんだから、味のちがいはがまんできるじゃろう。なにせ、半額なんだから。
と、思ってたが。
タバコを鼻にくっつけて、すんこすんこ吸ってみると、昔ながらの、ハイライトとかとおんなじにおいがした。好きなかおりぢゃない。
火いつけてすーと吸うと。もんすごい辛(から)かった。
口んなかに、なんかいらん後味がのこった。
いつもどおりに、ちうーっと吸うと、タバコがきつすぎてすげーマズイことがわかった。
んーで、とにかく封を切ったひと箱二十本は吸ってしまわねばならない。吸うときに、空気を3割ぐらいまぜて吸うようにした。金魚のようにぷかぷか。
めんどくさい。気をぬくと、いつものようにちうーっと吸って、きぼち悪くなる。
マチのタバコ屋さんで聞いたところによると、JT(日本たばこ)がキャメルのライセンスを握っているので、それを手ばなしてくれなくちゃあ、キャメルが輸入されることはないだろう、ゆうことだった。
JTは、握ったその手を、はやくはなしてくれい。
もう、たちなおりに当分かかりそなぐらいに、がっくし。
二十年ばかり自分が吸ってた"キャメル"が、廃版になんだと。
キャメルシリーズが、のこらず全部。
最初は、パッケージの見た目がかっこよかったから吸ってみたんじゃけど、独特の味がぴったり好みにあって、ずーっとキャメルを吸ってきた。
どこの店でも置いてあるような、メジャーな銘柄じゃないんで、ときどきしかたなしにべつのタバコを吸うことがあったが、どれを吸っても、おいしくはない。
料理だのビールだのは、舌が貧乏なんで、いいもんでも安もんでも違いがわからない。
行列のできてるおいしいラーメン屋さんと、お客のいないすいてるラーメン屋さんがならんでたら、まよわず、すいてる店に入る。
そんな人間が、なぜだかタバコだけは味がわかる。悲しいことに。
もう、"らくださん"はいない。
いつになったら出るんじゃろう、とやきもきしたり、ここならもしかしたらあるかも、と店をまわる必要はなくなった。その点はすっきりした。
"らくださん"は、もういないのだ。
いまは、手に入りやすいのでマイセン(マイルドセブン)を吸っている。
タバコをやめる気はないので、今後、どの銘柄にするかが問題である。
タバコ屋のばあちゃんの話じゃあ、とにかく安いから(普通のタバコの半分ぐらいの値段)、旧三級品("エコー"とか"わかば"とか)が人気がでてきたとのこと。若い女性でも、"わかば"とか買って帰るそうな。
実は、3箱ほど、封を切ってないキャメルが家においてある。そのまま置いとっても味が落ちるだけなんじゃけど、封切らず、吸わずにずっと取っとくつもり。
いつの日か、なんか、なんかわからんけど、特別なことがあったときに、封を切って、しっけたキャメルを吸うかもしれない。
広島に、作者(踊り子)の"牧瀬茜"さんが来るんで、おさらいゆうことで。
で、読んで二度目の感想は、いろいろ"痛かった"。
主人公の女性がどんなひとだろう、どんな思いだろう、と想像して胸が苦しくなる、ゆうのはもちろんじゃけど、最初に読んだときよりは、男である自分、ゆうのを強く意識させられた。
もちろん、よい意味でなく、"ずるく"、"弱く"、"邪悪な"、"甘えてる"、"のーりょくない"、自分。
ずいぶん前に読んだマンガじゃけど、内田春菊氏の"水物語"を思い出した。
小説の中にでてくる男性は、極端ではあるけど、なにかの象徴みたいな人物じゃなく、もっとリアルでなまぐさい、「おー、おるおる」ゆうようなヒトばっかり。じゃけど、そのヒトが、いちいち、「あ、わしじゃん」と思ってしまう。程度の問題はあるとしても、「わしん中におるじゃん」と思えて、痛かった。
とくに、いい年こいて、いまだにポコチン様に支配されてしまっている自分を、つよく意識した。
「あー、いたいいたい」
自分のことを、「ほんまだめだわ」と考えてるけど(これは、ほんとです)、それでも自分が好き、ゆうか、「しょうがないなあ」と許せるんで、いまも生きていられる。
で、また、おんなじことを繰りかえす。
女性の尊厳をないがしろにしとるかも、と思いながら、それでもまたヌードのグラビアや動画をみ、風俗(ストリップ)に行く。
特別な空間・時間と、そこでその瞬間だけ存在する女性を求めて、その彼女に対してだけ存在できる自分を求めて。その女性を、自分の性欲のオカズとしてしかあつかってないんじゃないかと、頭では思いながら。
"歌舞伎町で待ってます 風俗嬢れもんの青春物語"
牧瀬茜/著
出版社名 :メタモル出版
とちゅうでフェイドアウトしちゃる、と逃げる気満々だったのに、けっきょく最後までおった。
腹へるし、頭くらくらするしでさすがにつらかったが、思うたとこまで仕事できたのでよかった。微力ながら、役にたてた気がして達成感があった。
午前4時、まだ暗い中を、とぼとぼと歩いて帰った。
駅前のベンチには、おばちゃんが二人寝てた。もうそんな寒うないからいいなあ、と思いながら通りすぎた。
暗い中を、ぶーんぶーんと新聞配達のカブが走り回ってた。
アパートで、電気がついてる部屋があった、夜ふかしなのか、起きるのがめちゃ早いのか・・・。
家でシャワーをあびて、30〜40分ばかし仮眠。あさご飯を食べたらすぐ出勤。
駅のベンチのまえをとおると・・・、おばちゃんはふたりとも起きてて、ベンチにしゃきっと座ってた。実は生活が規則ただしいのかもしんない。
"ここは"というところや、"あそこでみかけた"というヒトの話で店をめぐり歩いたが、"らくだ(キャメル)"はみつからない。
そもそも、もとがおいてある店が限られるので、非常にきびしい。
ぎりぎりきょうまでつないできたけど、もうアウト。他銘柄のたばこを吸うしかなさそう。
JTのホームページで、"主要な銘柄"の発送予定をみたけど、そん中に"らくだ"はなかった。
キャメルって、"わかば"よりマイナーなの? まじで。
エコーに負けるのは、まあわかるけど・・・。
理由はいっこだけ。Yahooでもgoogleでも、"広島第一劇場"ゆうて検索かけると、一ページ目に、2カ月もまえのここの投稿がひっかかるから。
2カ月もまえの、特に情報もない記事がいまだに一ページ目にいすわってるのは、広島第一劇場の公式HPが閉鎖されたため。
有用(見たら楽しいゆうこと)な情報の発信が、きょくたんに少ないためと思われる。
ほんとは、どんどん新しい記事がでてきて、ここんちのどっちゅうことない投稿が、検索の一ページ目から押し出されちゃうのが理想なんじゃけど…。
2月に劇場スタッフの兄ちゃんに、「HP再開せんのん?」と聞いたが、「あれは福山がやってくれとったから・・・(てんてんてん)」という気弱な返事だった。
HPのめんどうをみられる余裕はなさそう。
そうなると、ますますありがたいのが"stripwiki(http://www36.atwiki.jp/stripwiki/)"。
踊り子さんの情報から、劇場ごとの香盤表(踊り子さんの出演順の表)まで、こまかくていねいに、情報が更新されている。たんにこまかく早い、ゆうだけじゃなく、踊り子さんやストリップゆう芸能にたいする気づかいが感じられる、すんばらしいとこデス。
wikiのちからはすごいなあと、あらためて思う。
はあ、ありがたやありがたや。
閑話休題。
ひさしぶりに、わたくしめも、広島第一劇場に行く予定でありマス。
ゴールデンウィークあけの5月17日(火)に、"牧瀬茜"さんを見に行くつもりです。第一回目の公演(お昼1時過ぎから)に。
よく行く長年のファンの方も、いままで行ったこたあない初めての方も、まっ昼間の広島第一劇場で、お会いしましょう。
"らくだ"は、もういねかった。
木曜日には、あと二箱残っとったのに。
「キャメル吸うヒトがおるんかね!」と言ったら、「そりゃ、おるいね」と店のばあちゃんに、ふっふっと笑われた。
さて、つぎはどこでさがそう。もともとが置いてる店がすくないので、あてがない。
キャメルが入荷する予定は未定。"主要品目"とやらに、はいってないらしい。
いつになるやら、わかんない。
タバコをいっこ買うために。
子どものつかいかい!
と、頭んなかで悪態ついたが、お客さんと店のばあちゃんが楽しそうに話してるのを見てたら、こういうのも悪くないかな、と思った。
子どものころ、父のおつかいでタバコを買いに行ってたのを思い出した。
どーせ、たくさんは売ってもらえんし、しばらくは、毎日のように通って、いっこずつ買うのもいいかもしんない。
「うおーっ、やったどー」
お店の看板娘(ばあちゃん)が、包みをていねいにやぶいて、1箱だけほいっとくれた。
「あの、あの、お金もってきたら1カートン売ってくれますか?」
「だめいね、これしかないんじゃけえ」
そりゃそうだわ。
メニアオバ ミミニテッポウ ホトトギス
カツオハイマダ クチニハイラズ
初がつおをありがたがるような粋な風習はないんじゃけど、タバコが手に入らない。
タバコの自販機は、かたはしから"売切"の赤ランプがともってて、タバコ屋の棚は空になっている。
吸ってるのが、もともと、あんまりお店においてない銘柄なもんで、タバコ屋さんが見ていた"5月に入荷予定"リストにも名前がなかった。
まじで、困った。
元気よく、コンチハ、とあいさつした。
娘もピョコンと頭を下げた。
奥さんは、あいさつを返してくれたけど、バツが悪そうだった。
奥様のかわいい愛犬は、しゃがみこんで、ぷるぷるしてて、"大"のさいちゅうだった。
ちょい、タイミングが悪かったな、と思った。
だけども、ぱらぱらっとみて、テレビでみた詩だけ読んで、そのまま本棚におきっぱなしになっていた。
テレビでACのコマーシャルばっかりながれたときに、また、金子みすゞの詩をみた。
"馬鹿っていうと"、です。
ごくごく短い詩だけども、「ウオーッ」と心の中で声をあげるぐらいに感動した。トリハダもんだった。
んーで、こころを入れかえて、きちんと一冊読んでみた。
全集からのぬきだしで、ほんの少しの時間で読みおえてしまったけど、よかった。全集も読んでみたいと思った。
ぜんたいとしては、どってことない身近なもの、目に入るもの、耳に聞こえてくるものをうたったものが多い。
しかし、彼女の目をとおして見、聞き、考えると、あらゆるものがほんのりと光るような気がした。
ただ純真でやさしいわけじゃない。
自分らが見落としがちな、小さな光を見のがさないだけでなく、光るもののそばでうずくまっているカゲに彼女の目はむいているように感じた。
ああそうか、と気づかされたり、そうだそうだ、とうなづいたりしながら、いきつもどりつ読んだ。
そうすると、ときどき、音もなく静かなのに、真っ白な光で、もんすごい輝いてるような詩がある。
トリハダがたつ。
"こだまでしょうか"もそうだし、大漁も、"みんなちがって"も、お日さまから飛び出た光の話も。
"癒し"ゆう言葉は、ものごとを単純にしてしまう気がして好きじゃない。
けど、彼女のうたを読むと、元気がでる。
そして・・・、少しさびしくなる。
おいおい、だいじょうぶかいネエちゃん、といいたくなるような不器用なお嬢さんも、「おっ、がんばっとるな」と、思いながら見て、うれしくなりよった。
ところがところが。
さいきん、新しい売り子さんが急に増えてきたな、と思いよったら、いままでおった売り子さんを、ひとりも見かけんくなった。
とくに親しくしとったわけでなし、個人的な話もしたことはない。
でも、がっくり。
新しい売り子さんたちも、いろんな個性があっておもしろいとは思うんじゃけど、知ったひと(一方的にじゃけど)がおらんくなるんは、やっぱりさびしい。しかもいっぺんに。
とくべつな事情があったんじゃろうけど、残念デス。みーんな、何年も見てきた顔だったんで。
で、かわって、なにが一番かわったっちゅうて、男の子が増えた。ゆうか、ドーナツ焼いてるうらかたさんはともかく、カウンターに出ている売り子さんに、男の子は、いままでひとりもおらなんだ。
男女共同参画っちゅうやつでしょうか。
ちょいと前の、夜おそく。やたらハイテンションで男の子の店員さんに話しかけているお嬢さんを見た。
女性でも、やっぱり異性のほうがうれしいんじゃろか、と思いながら、にまにま見ていた。
んー、でも、ながーい店員さんが残ってくれたほうがうれしかったな。勝手な願いですが。
はるか下に、港町が見おろせ、そのむこうには、きらきらと海が、さらに瀬戸内の島々が見えた。
多島美、多島海。"アースシー"だ("ゲド戦記"の)。
なんつって思いながら見ていた。
「橋なんかかかっちゃってるけど。」
つらなる島を、巨大な城壁のように見える橋がつないでいる。
ちょっと無粋だが、それも景色だ。ヒトの生活や願いがこもった。
"3.11"の直後だったので、港町を見下ろしていると、住宅や農地が、真っ黒に塗りつぶされてゆくTVの映像が、ちょっと頭をよぎった。
目をつぶって、大きく深呼吸をした。
目をあけて、ゆっくりと体をまえにたおしていった。
思ったよりもスムーズに、体がすっとまえにでた。
多島美は、視界のうえの方に消えてゆき、かわりに地べたが、塔の足元が、ズームされたように、ぐわっと目にせまってきた。
からだが、全身が、恐怖にぶわっとつつまれた。体ん中から吹き出てきたのかも知れない。きもちもからだも、わしづかみにされる感じ。
でも、つぎの瞬間に、おなかにへその尾のようにつながれたコードにひっぱられて、からだがくりっと、空の方にひっくり返った。
どんより曇った空を見ながら、「んー、いまいち興(きょう)がないな」、「コードは背中か足首の方がええな」、などと考えながら、さらに落ちていった。
もうおわかりでしょうが、バンジージャンプのはなし。
30mほどの塔のうえから飛び降りるっちゅうバカなアトラクション。しかも金払って。
15年ほどまえにやったときは、ハイな気分が一週間ばかりつづいた。
脳ミソんなかを、へんな物質がどくどくと流れていたのだろう。
で、うつうつとした気分には、バンジージャンプが効くんじゃないかと思って、ひさびさにやってみた。
ところが。飛ぶ瞬間、じぶんでもびっくりするぐらいに、すいっとからだがまえにでた。
前回は、落ちる前は恐怖でがちがち。落ちる瞬間からびよんびよんと上下してる間まで、ずっとじたばたと手足を動かして"走って"いたらしい。自分では覚えてない。
今回は、恐怖でからだが固まる瞬間は、するっと短い時間で通り抜けてしまった。体にも力が入ってないように感じた。
若いころと、どこが違うんかわからない。
うつうつとした気持ちが、思ったよりも強くて重いんかもしれんし、年齢かさねて、へんに経験値が上がったからかもしれん。
自殺の願望があるわけではもちろんない。
ふつうのジェットコースターに乗ったあとのように、ごくふつうに、「おまたせ」ゆうて家族のところにもどった。
ハイな気分には、ぜんぜんならんかった。
娘が下から撮ってくれた写真は、ほんとに力が抜けてて、ひもにぶらさがった棒人間(落書きの)のようだった。
塔からのながめは最高じゃったんじゃけどね。
とにかくうつりゃええゆわれたし、自分ちじゃないもんだから、ほんまにどーでもえくて、B-CASカードが入ってるのだけ確認して、近所のスーパーで、安もんのチューナーを買ってきた。
家に帰ってよくみると、アンテナ出力がながった。入力は、アンテナ一本だけ・・・。
んじゃあ(当面)アンテナを分岐せにゃいけんじゃん、ゆうことでアンテナ分配器とタコ足のコンセント(チューナーの電源とるのに)を買ってきた。
足してみると、けっこうな値段になってしもうた。これじゃったら、も少し高い、ちゃんとしたチューナーにした方がよかったかも。分配器やコンセントも内蔵しとったかもしれんし。
世のお年寄りは、どうしとるんじゃろうか。ついていけとるんじゃろうか。
7月には、アナログ波が止まっちまうんじゃけど。
歯のつめものが外れたので行ったんじゃけど、何年分もの歯石取りと、虫歯の発見もあって、毎日のように通ったのに、完了までにとーぶんかかった。
そんときにわかったのは、自分が、いかに歯医者が嫌いか、ゆうこと。
口ん中をさわられることとドリルが、あんなにつらいとは思わなんだ。ジェットコースターの、ものすごいこわくて全身の毛が逆立つやつ、あれがえらい長い時間つづく感じ。
虫歯を削るときは、あとすこしでギブアップするとこだった。
で決心したのは、定期的に歯医者に行こう、ちゅうもの。
ろくに歯磨きもせずに、メンテ(歯石取りや検診)もせずにほっておいたから、あんだけ悲惨な目におうたんだろう、と考えた。まめに検査しとれば、そうひどいことにならんだろう。
そしてこのたび、歯医者さんから招待状がとどいた。「半年たったので、定期検診にいらせられませ」、ゆうもん。
意を決して、『ものすごくいやじゃけど』、気合を入れて、歯医者に予約した。
「歯石取りと検診だけだ。すいてる時間にいけば、一日でおわる。はず。」
半年しかたっとらんのに、いがいに歯石があった。
で、衛生士さんがドリルで歯石とってるさいちゅうに、「あっ!」。
なぜか、歯石とってただけなのに、つめものがポロっととれた。
歯のつめものがとれたとこが、茶色く黒く変色してた。虫歯だ。
「見えますか、虫歯です。ここと、となりの歯の側面。」
見えます。わかります。
だから歯医者はきらいなんだ。
(ほっといても悪化するだけじゃけど)
ネクタイしめて黒い皮靴はいて働く部署にいったら、げんなりしそうだ。
じゃからゆうて、仕事もうきうきじゃったかゆうと、そうはいかない。
きょうも、"なんーじゃ、こりゃ"ゆう会議で午前中つぶけて、きもちがガス欠寸前なのをごまかしごまかし・・・。
でも、さすがに遅くまで残業する根性はなくて、もう帰る。
おとつい、ひさびさに朝、ネクタイをしめたときは、けっこう気がしゃきっとひきしまっていいじゃん、と思ったんじゃけど。
仕事内容はかわらんでも、チノパンにスニーカーの方が、やっぱええわ。
月曜の朝いちの会議から、きょうの夜の会議まで。
なんがくたびれるゆうて、会議ですな。
フツーの仕事が、ぜんぜん進まないんすけど。
じぶんの根性ないのを、たなにあげちゃ、いけんのじゃけど。
こんしゆうの会議は、あすの午前中のでおしまい。
それが終わったら、燃料切れになりそうだ。んがっ。
水害でマチが大打撃を受けたとき、活躍したのはケータイ電話だった。
家屋の一階部分は水没し、電気製品は全滅。乗用車を失ったヒトも多かった。
固定電話回線が回復するまでには時間がかかり、使えるのはケータイだけだった。被災地の電力が回復するのにも、とうぶんかかった。
行政が指定した避難所には自家発電機が整備されたが、大きな理由の一つは、ケータイ電話が充電できるように、ゆうもんだった。
一方で、ケータイは災害に弱い。
大きな地震がおきたさいに、揺れがおさまってすぐ、自宅に電話して自分らの無事を伝え、家族の無事を確認した。
ところが、そこ(イベントホール)で通話ができたのは、自分のPHSだけだった。携帯キャリアは全滅。ゆれがおさまった直後には、もう回線がパンクしていた。
そんで、会場の中、手から手に自分のPHSをわたして、家に電話をしてもらった。喜ばれた。身も知らぬヒトに感謝された。うれしかった。
30分もすると、固定電話の回線がパンクして、けっきょくPHSも通じんようになったけど。
今回の震災でも、11日の夕方には、PHSからドコモの携帯に電話すると、パンクしてて通じなかった。メールはドコモに送信できたが、通話は、お客さまのかけた地域はこみあってます、ゆうてつながらんかった。被災地からとおい、瀬戸内の市内の電話が。
PHSからPHS、PHSから固定電話は、どうっちゅうことなく普通に通話できたんじゃけど。
圧倒的なユーザ数のちがいもあるじゃろうけど、システムのちがいによるもんと思える。
PHSは、小さな基地局が分散してる分散型のシステム。分散型のシステムは、効率がよくないかもしれないが、事故や災害には強いような気がする。
今回の災害みたいに、広域で一気に電力がダウンしたら、どっちにせよダメじゃろうけど。
それに、日ごろ、トイレに入っただけで圏外になったりするんじゃけど・・・。
わずかな額で、いいオトナが"寄付をしました"、というには恥ずかしいぐらい。
寄付してたのは、自分の親の世代が、戦後の大変な時代をぶじに生きてこられたのは、ユニセフをはじめとして、世界中の支援があったから、と自分は思っているので。
親らの世代が、(まずいと評判の)脱脂粉乳を学校で飲んで育ったおかげで、いまの健康な自分があると考えている。
こんどは、自分たちが、どこかのだれかを手助けする番だ、とエラソに思って寄付していた。
このたび、ユニセフは、半世紀ぶりに、日本を支援することを決めたそうな。
今回の被災がむごいことだけが理由でなく、いままで、ニッポンの人たちがユニセフを支援し、世界の困難に直面している子どもたちを支援してきたことへの、感謝の気持ちから、とのこと。
この、ユニセフからのメールを読んだときは、読み返して、涙が出そうになったぜい。
瀬戸内の小さなマチには、直接の被害はなかった。
とおったことがあるマチ。名前を聞いたことがあるマチ。同級生の故郷のマチ。名前も聞いたことがないマチ。の・・・、ひとびと。
そして、トーキョー。
身近ではないが、くり返される報道を見ると、イタイ。
イタイのに、興味本位もあって、報道や動画サイトの投稿を見てしまう。
で、どよーんと暗い気持ちになってしまう。
神戸んときにどうだったか。自分のマチが、地震の被害、台風の大災害を受けたときにどうだったか。
思い出すこと、わからなかったこと、いまでもわからんこと。
さて、いま、わたしが考えるべきこと、すべきことは、なんでしょう。
1 自分の日常生活を、しっかりと送ること。
2 被災したマチにたいして、できることを考え、実行すること。
とりあえず、思いつくのは、そんぐらい。具体的なSOSが発信されはじめたときのために、地に足のついた、日常生活をおくる、ゆうんが一番かな、と自分では思っている。
きょう、さっそく募金箱が用意されてたので、ほんのわずかじゃけど入れた。
まだ、行き先も決まっていない募金。じゃけど、いま(は)平和な瀬戸内のマチで、とりあえずはじめられたこと。
児童文学ゆうことと、映画(アニメーション)になったのを知ってて、興味があったので、「あー読む読む」と、軽く返事をした。
火曜日が返却日じゃけえ、と念をおされたにもかかわらず、けっきょく読まだった。
で、火曜日に家に帰ると、なぜか机においてある。
なんで?、と思ったら、「父さんが読むゆうたけえエンチョーした」、とのことだった。
そりゃすまなんだ、と反省して、気合をいれて読みはじめた。
最初の印象は、すこぶるわるし。
なんか、文章ゆうか言葉ゆうか、『雑』なぐらいにそっけなくて、らんぼうなぐらいに感じた。説明、描写も、「え、そんだけ?」思うぐらいにそっけない。
自分のきらいな、"山田悠介"氏と印象がかさなった。カレの本は2冊だけ読んだが、もう二度と読まねえ。
線の細いかわいらしい少年(学生服だったと思う)が、色とりどりの紙吹雪のようなものにかこまれてる、映画のポスターをおぼえてて、やわらかい、ほのぼのとした恋愛話ぐらいに勝手に思っていたが、とんでもなかった。
まさに、"疾風怒涛"の思春期、中学3年生の男の子の話だった。
自分も中学生だったことがあるから身におぼえがある。あのころ。
女の子だったことはないんでわからんが、男の子は、多かれ少なかれ、ああ、と思うところがあるはず。
健康で、ごくありふれた子どもでも、みんな病気ちゃうか、ゆうようなあのころ。すごい楽しかったが、めんどくさいので戻りたくはない。
心の中、頭ん中は、おりゃー、とあらゆるもんがごっちゃまぜでうず巻いていた。きれい、きたない、正義、邪悪、潔癖、極端なだらしなさ。そしてもちろんの、コントロール不能な性の衝動、妄想。
序盤はいきつ戻りつ読んでたが、中盤ぐらいから波長合わせがすんだのか、一気に加速。さきへさきへ読みすすめたいきもちが強くなった。
主人公へのシンクロ率は、そこはそれ、おっさんだからあんまり上がらなかったが、身に覚えがある、あー痛い痛い、と思いながら読んでた。
残りページ数が減ってくるにつれ、最後これどうすんじゃ、とはらはらしてたが、思いどおり、ゆうよりは、こうあってほしいという"希望どおり"の結末でした。
んー、えがった。すんごい満足した。読んでえかった。
子どもには、ハッピーエンドの物語を読ませるべきだ、といったヒトがいたが、オトナだって、ハッピーエンドの物語を読むべきと思う。
バッドエンドをあたりまえと思っててはいけない。
びっくりするぐらいそっけない文体だったので、勝手に、作者はデビューすぐの若造(女性じゃけど)と思っとったら、評価されてるベテランだった。いっちゃん後ろの略歴で読んだんじゃけど。
たいへん失礼いたしました。自分の思い込みがぜんぜんあてんならんことが、よくわかりました。
んで、読みおえて、表紙の後ろの裏をみると、だれもいない教室の絵が描いてあった(イラスト 長崎 訓子)。
窓にへんなもんがいるのをみて、"あれっ!"と思い、すぐに表紙の前がわの裏をみた。
やっぱり、机だけが雑然とならんだ、無人の教室の絵だった。そして、へんなもんが、窓んとこにいた。
「そうか」と思った。
こりゃあ、あいまいさや意味のゆれのまったくない、" GOGOモンスター(松本大洋作)"だ。
思春期の青少年を題材にしたものは、めずらしくもないけど(好きな映画だと、"台風クラブ"とか。)、自分がカラフルを読みおえて、まっさきに思いついたのは、もっとも表現が対象的なマンガだった。
行間がないんじゃないか、ちゅうくらいにぶっきらぼうな"カラフル"と、「意味からこぼれ落ちるもの(by清水真砂子)」がこりかたまってできたようなマンガ、" GOGOモンスター"。
まったく正反対の語り口だけども、おなじく思春期の少年をえがいている、えがかれている、と自分は感じた。そこがおもしろい。
" GOGOモンスター"は、主人公が小学生じゃけど、その感覚や体験は、中学生ぐらいの子どものそれと思う。じゃけど、舞台は中学校じゃだめで、どうしても小学校でなければならない。ゆうのが矛盾とはいわんまでも、" GOGOモンスター"のかわったところだったと思っている。
子どもは、自分らのころより、どんどんかしこくなってきているように感じるので、いまはもう、それほどとっぴょうしもない話ではないかもしれない。
"カラフル"を読んで、思い出した、感じた中学生ぐらいのころ。
繊細で、バカで、臆病で、傲慢で、純粋な、奇妙な生き物。なつかしいねえ、戻りとうはないけど。
スマイル・ゼロ円で、よどみなく説明しながら、お店のお嬢さんが応対してくれた。
いつものミスドなら3人分ぐらいの説明だった。
オールドファッションは、いつものカリカリでおいしいけれども。
いつも行くミスドの、店員さんによってセリフが違(ちご)たり、日によって機嫌(?)が違(ちご)たりするほうがいいなあ。
ちゅうか、全席禁煙なんで、おちつかんのですけど。
コーヒーとタバコは、自分にとっちゃ、セットなんすけど。
ゆうて、書いとるさいちゅうに、ほかのお客さんが、「灰皿ちょうだい」といって、店員さんから申しわけなさそうに説明されよった。
しゃーないか、"健康増進法"なんで。
んー、やばいな。吸える場所がなくなっちゃう。
「『親鸞』激動編」
書いてるのは、五木寛之さん。
自分が興味を持っている、貴人、平民でなく、武士でもない人たちが多くでてきて、いきいきと活躍する。
主人公の親鸞さんは、ちょっと"島耕作"はいってるような気がするが、まっすぐでつつましやかな、いいヒトだ。
どっちかゆうたら主人公よりは、悪人、悪党にくくられるような人たち(わき役)が魅力的に、自分には思える。
前編で活躍した、印字打ちや童子たち。今回の外道院もそう。
話はすんごい読みやすくて、こむずかしい人間の成長の話ゆうよりは、冒険活劇と思って読んでいる。
んで、さらに面白いのは山口晃さんの挿絵。
話を書いてる五木さんや、その回の話に、まったく遠慮がない。
ものすごいシビアな話の回に、笑えるひとこまを書いてたりする。
矢印の記号が書いてあったり、親鸞さんへの"つぶやき"がこしょこしょと書いてあったりする。
毎日毎日、五木さんと絵の山口さんが勝負しているような感じ。真剣勝負なんじゃけど、山口さんは、さらりと身をかわして舌をだしたりする。
マンガでも本でも連載ゆうのがじつは苦手だ。
次の回が待ちきれない。翌朝には続きが読めるんじゃけど、ちょろっと読んでおしまい。
「こんだけかよ」、とつぶやいて、あとはじっと次の朝を待つ。しかない。けっこうつらい。
日刊でこれだから、週刊や月刊がつらいわけだ。
前編は、もう本になっとんじゃけど、山口さんのあの挿絵は全部のっとるんじゃろうか?
これを国体(こくたい)の大事として、「朕自ラ近衛師団ヲ率イ、此レガ鎮定(ちんてい)ニ当ラン」、ゆうて、天朝様みずからが侍従つれて、"ビックカメラ"とかにならんでくれんかな。
なんのこと、ゆうて、ニンテンドー3DSのことですが・・・。
ニッポンの輸出品は、自動車だけではありませんので。
ガラパゴスとかいわれとっても、ハードウェアでは高いシェアもっとるし、なにより、ニッポンの(大衆)文化を輸出する、礎(いしずえ)となるものですから。
残念ながら、わが家では、当面導入予定なし。なにせ、オトナもふくめて、すでにDSLiteをひとり一台ずつ導入済みなもんで・・・。もう、何台あるっちゅうもんじゃない。
ニュージーランドと聞いたら思い出すのは、だいだいだい好きな映画、"ウィザード"。
気に入らないのは、邦題だけ。
理論だってはうまく説明できんのじゃけど、とにかく好きで、何度みても、笑って、泣いてしまう。
監督したのは、クライストチャーチの大学を卒業したという、ヴィンセント・ウォード。
中世の村人一行が、"投げ込まれる"現代ニュージーランドの街が、クライストチャーチのような気がしてならない。
村の一行が命をかけて、十字架をささげた、あの教会は、無事なのだろうか。
どのくらい名作か、ゆうと、うー、あー、忘れた。
ともかく、いい話だったような気がする。読んだのは、社会人になってからだと思うんじゃけど。
きょうは、天気がいい。そ、ゆうわけで、会社をやすんだ。
ぽかぽか陽気のなかを、電車にゆられると、ほんとにきもちがいい。
でも、どきどきしているから、眠くならない。
中、高校生が、学校サボってどっかにいくような気分だ。
家に電話されんように気をつけねば。
暗くならんうちに、お家に帰ろう。
モヒカンのおじさんが、買い物しよった。
イナカではめずらしい。
ヒトの中身がすけて見えるわけでは当然ないけれども、服装といい、顔の表情といい、人のよさげな、柔和な感じのおじさんだった。ごく、フツーだった。
金髪のモヒカンいがいは。
「ほえー、生(なま)モヒカン。はじめてみたー。」
娘がよろこんでた。
"ナマモヒカン"って、なに?
メーカに修理にだすにあたって、そのままだすのが恥ずかしいと思ったので。
フリーウェアがじゃかじゃかはいってたりとか。
違うメーカ、ちがう機種のドライバーがインストールされてたりとか。
レジストリいじって、設定がかえてあったりとか。画面が、ありえん表示になってたりとか。
たしたら1GB超えるんじゃないかっちゅうくらいに、お宝画像とか、動画がはいってたりとか。
(これは、メモリーカードにはいってるんで、関係なかった。)
メーカのヒトに、そのまま見られるのが、いろいろ、いろいろと恥ずかしいように感じられたので、エイヤっとフォーマットをかけた。
「あんたの使い方がおかしかったんじゃないの?」と思われるのがイヤで、証拠を消したともいえる。
もしやと思って、一応確認したが、不具合はなおってなかった。ソフトでなく、ハードウェアの故障と思う。
フォーマットかけて初期化しても、"枯れ木に花が咲く"じゃなし、もとのジュウクにはもどらなかった。
子どもが日曜の夕方から熱が出て、月曜朝に病院つれてったら、インフルエンザのB型ですと。
本人はいたって元気で、病院でのまち時間、「ひま」、「あー、テンションがさがった」と、わけわからんことゆってた。
もともと、熱があるのがわかったのが、ゲームやってて興奮して、顔が真っ赤になったのが、時間がたってもなおらんかったから。
"モンハン"やってて、海の中。しょぼいクエストしてて、「なんか音楽がかわった」と思って、ふと、ふりかえると、でっかいドラゴンが、すぐそばにおったんだと。
頭まっしろんなって、必死でざばざば泳いで逃げたがタコなぐり。瀕死の状態で、あとすこしで死にます、ゆう状態でポーズ(一時停止)かけて、動物園のクマみたいに、部屋ん中をいったりきたりしていた。
「なんしよん?」
「あーびびった。すげーテンション上がった!」
その後も"感染者"は元気だったが、当然感染者であるからして出席停止。がっこに連絡したら、学級閉鎖になっとった。
本人元気なんで、家においといて仕事に出た。微熱はあるのに、ほんまに元気だったらしい。
じじばが見舞いにきても、「うつるから来(こ)んで」という、すばらしい言いわけして、自由をまんきつしてたらしい。
居間のテレビの前にビーチベッドをおいてやったが、本だのリモコンだの携帯ゲームだのをずらっとまわりにならべて、基地をつくっていた。
2日も休んでると、録りだめてたビデオも見きってしまい、やることがなくなった。ほんとのほんとに"ヒマ"になって、「学校のドリルをやって」しまったそうな。
元気なんなら、最初からべんきょとか、ならいごとの練習とかしろよ。
2GBまでしか対応してない機種に、8GBのメモリを(無理やり)認識させて、うちょうてん。してやったり、ゆう気分。メモリ認識させんのに2時間ぐらいかかったけど。
ほんなら、ふたつぐらい、動かんソフトがあった。
ありゃ?、画面まっくら。
どんまい。
通話のスピーカーがめげて(壊れて)から、外付けのイヤホン・マイクを使って、現実逃避してたが、ガマンも限界。
やっと重い腰をあげて、中古で買ってた予備機の設定をはじめた。
昼過ぎにスタートして、じゃあ明日から使えるわ、ゆう状態になったのは午前2時過ぎ。
そのあいだにメシ食ったり風呂はいったりしとるとはいえ、軽く12時間をこえてしまった。
とちゅう何度もいきづまって、頭切れそうになったし。
「あと1時間やって進まんかったら、父さん、家出する」とか、わけわからんことを家族につぶやいてた。
けっきょく、メールのデータは引っ越せんかったけど、電話帳やスケジュール、その他もろもろの移動は無事できたので、よしとしよう。
なんか、まおんなじの機種なのに、動き早いような気がするし。
んが、きょう夕方、自宅の無線LANにつなごうとしたら、無線のとこが、まったくはたらいてない。
なんが悪いんじゃろうか?、と思ってたら、今度はメールサーバにつながんなくなってしまった。
アプリをどんどんいれたり、はては違う機種のドライバいれて、でっかいメモリーカードを無理やり使ったりとかしてるし、なにがどう悪いのか、すぐにはわかりそうもない。
一番の問題は、乗り換えたデンワ自体が、5年近く前にデビューした機種の、しかも中古っちゅうこと。
また、いつ、本格的にいってしまわれるか…。
前のデンワを修理に出しといた方がいいかもしんない。
どんな話なん?、と聞かれて、「どんなんだっけ。たしか、黒部ダムの話じゃないっけ。」
と、こたえて、わたしもしばらく見ていたが、どう見ても、飛行機会社の話だった。
「あっ!、ありゃあ"黒部の太陽"じゃった。」
でも、かなしいかな、自分のスマートフォンは、i-Phoneでもなければ、アンドロイドでもない。
おまけに、厚さがぜんぜん違う。最近のスマホは、えらく薄い。自分の、"ほぼニンテンドーDSサイズ"の電話とは違いすぎる。
最近使いはじめたデジカメは、大きさも重さも、電話より小さかった。
んなもんで、周辺機器はもちろん使えんし、スマートフォン用のポーチには入らんし、スマホ用のポケットがついた、かっこいいカバンやらも使えない。
こないだも、「あっ、こりゃいいじゃん」ゆうて、電話用に買ったポーチが、ぱっつんぱっつんで、使えませんでした。
たいへん、ざんねんです。
閑話休題。
もうすぐ、ニンテンドーの3DSが発売されますね。
大きさをみると、DS liteや、DS i と、ほぼ同じでした。
ということは、これからどんどん発売される、3DS用のカバンやポーチは、自分のスマホで、そのまま使えるということです。
よかったですね。
ちゅうわけで、わたしが腰から電話をつっとくポーチ(電話ケース)は、いつまでたっても、"NINTENDO"って書いてあるままになりそうです。
電話用のポーチをたくさん持ってますが、ほぼすべてに、"NINTENDO"って書いてあります。
かっこわるいですね。
通学で、何年ゆうことない、前を通りすぎてたが、はいったのは初めてだった。
中にはいると、外観をうらぎらない、かんさびたぐらいに古く、暗く、雰囲気があった。
週刊アスキーで、神足さんが言われていた、コドモがはいっちゃいけない、オトナの場所だった。
コーヒーは、おもいのほか安く、ピーナツがおつまみについていた。
らせん階段はかざりかとおもってたら、お客さんがなんか言いながら上がっていった。
20年以上前に、「古っ」とおもった喫茶店は、そのまま20年がすぎていた。
もしかしたら、20年前も、このままだったのかもしれない。
一度閉まった店は、もう二度と開くことはない。
それでも、店の前をとおるたびに、ふり返ってまでみてしまう。
まだ、かべに、看板がのこっていた。
木のそばに、ご夫婦(?)が立ってて、木の枝のほうに手をのばして、なにやらお話をされてるようだった。
すこし、気いがはやいような気もするんじゃけど。
ニオイオコセヨ ウメノハナ
仕事は休みをいただいて、子どもの入学届を、学校まで持っていく。
電車を乗りついで、約1時間半。
書類は、わざわざ学校まで持ってかなくても、郵送ですむ。
ほんとは、自分の通ってた学校に行ってみたいだけ。
職場に帰ると、名札がなかった。
くびから、ひもだけがさがっていた。
名札のなかにはICチップ入りのIDカードもいっしょにはいっている。
車で走りまわって、自分が行ったところをじゅんじゅんにさがした。
でも、ない。
駐車場に戻って、ためいきをついた。
あきらめきれんで、ケータイで、車のシートの下を照らしてさがしたら・・・、あった!
ドアんとこのサイドシルと、シートレールのあいだに、名札が"立って"いた。
さがしにでかける前に、車のなかをさんざんさがしたのに、そんときはみつからんかった。
よかった、と、ほっとしたが、どっとつかれた。
きょうは、よい日なのだろうか、それともわるい日?
ぜったいに(着くまで)寝るなよ、となんども言った。
きょうで試験はおしまい。
おわったら、きょう仲間内で打ち上げをするそうな。
合格発表はあしたなんじゃけど。
なんか、こころがけが、まちごうてないか?
自分も、高校生のころ、オリンパスのPenを持っていた。
中古をこづかいで買ったんだが、当時でもPenは、なつかしいイメージのあるカメラで、きっと、ずいぶん安く買ったのだと思う。
学校に持ち込んだり、とにかく持ち歩いてたが、残念なことになくしてしまった。
でも、買い替えることはなかった。
当時は、はりきって、一眼レフを使っていた。
お金はないので、自分で現像とプリントができる、白黒写真ばかり撮っていた。
傑作を撮るんだ、傑作な瞬間を撮るんだ、とリキんでいたが、まわりの友人たちのように、ものにはならなかった。いま考えても、しょうもない写真ばかりだったような気がする。
記憶に残るような写真はほとんどない。
学生になり、親元を離れるときには、一眼レフは持っていかなかった。
オリンパスの、やっぱり中古のXAを持っていった。
XAは、見た目は悪くなかったが、なにを撮っても、いまいちピントがあまいような気がした。光学系に、なんか不具合があったのかもしれない。
外付けの専用フラッシュも持っていったが、何分の一秒でなく、何秒になっても、そのままシャッターが切れるので、使わなくなった。暗くなっても、そのまま撮ってた。
フラッシュをはずしたXAは、フィルム・カメラの限界じゃないか、ゆうぐらいにコンパクトだった。
ピントがあまくても、構図がへんでも、気にならなくなった。
写真自体を、それほど撮らなくなった、ゆうのもあるかもしんない。
仕事をするようになって、オートフォーカスのコンパクトカメラを買ったが、あまり記憶にない。ずいぶん前、ゆうのもあるが、とくに愛着もなかったのだろう。
そいつが壊れて、つぎに何を買うかを迷ったのをおぼえている。
一眼は考えなかったが、ズームつきのごっついのにするか、単眼の広角にするかでずいぶんなやんだ。
家族の行事の写真を撮らんにゃあならんので、ほんとうは望遠があったほうがよかったのだが、けっきょく、リコーの広角28mmの単眼にした。
無理やり(ほんとうに無理やり)なギミックで、24mmのパノラマ写真が撮れる、ゆうのも魅力だった。電源を切ると、ぺったんこなプレートのようになる、ちっちゃなカメラだった。
ちゃんとしたオートのカメラじゃけど、トイ・カメラ感覚だった。
運動会などで子どもを撮ると、さすが広角で、子どもが米つぶのような写真しか撮れなかった。しゃーないか、と家族にはあきらめてもらってた。
しばらくたって、ズームつきのコンパクトカメラとの2台体制になったが、このリコーは気にいってて、一度壊れたがわざわざ修理して、いまも使っている。
フィルムの送りが不安定で、現像されたフィルムをみると、写真の"額縁"が、大きくなったり、小さくなったりしている。重ならんから、まあええか、と思っている。
で、このたび、ついにデジカメを買った。
去年の誕生日に、"好きなデジカメがえらべるカード"ゆうのをプレゼントされたが、一年ちかくなやんで、保留にしてた。
フィルムのカメラからデジタルにのりかえていいんか?、というのが一番で、つぎが、もう一台カメラがあっても、ほんとにつかうの?、ゆうのがあった。
写真展をみにいっても、フィルムの写真かデジタルか、ゆうのが気になった。
どうもデジタルの写真は、ピントのあってないぼけたところが、ぼけ味が、フィルムの写真ほどきれいでないような気がした。
ずぼらなんで、撮りっぱなしになって、整理もプリントもせず、ずんずんカメラんなかに写真がたまってしまうんでは、とも思った。
さいごに背中を押したのは、"離島に出張するかも"ゆうことだった。
その離島にはお宝の写真がある。島のお宝であるその写真を持ち帰るには、写真に撮るしかない。しかも、うちにあるカメラ(銀塩の)は、マクロ機能がなく、ケータイのカメラは、マクロがないうえに、画質が悪すぎる。
きゅうにあせって、デジカメを物色しはじめた。
で、けっきょく買ったのは、リコーのコンパクトなデジカメ。
はやりの防水でなく、ぺったんこに小さく薄いわけでもない。レトロなぐらいに、カメラらしいカメラ。
防水で、とにかく壊れず写真が撮れる、ゆうデジカメも考えたが、"もと写真部"ゆう見栄で、リコーにしたような気がする。
てんこもりに機能があるが、ほとんど使いそうにない。シャッターを半押しすると、戦闘機のコクピットかい、ちゅうくらいにいろんな表示がでるが、意味わかんない。
でも、ひさびさに選んだ、自分のカメラ。素直にうれしい。
島への出張はたちぎえになったが、充電はすませて、毎日カメラを持ち歩くようになった。重い通勤かばんが、ますます重くなった。ムダに。
目にうつって、こころの中で、「あっ」と声がでたものを、ぱしゃぱしゃオートで撮っていきたい。
カメラを持ってるだけでわくわくする。でも、わくわくするだけ、お守りみたいに持ち歩くだけで、まだ一枚しか写真撮っとらんのじゃが・・・。
傑作な写真が撮りたい、ゆう欲をおさえて、メモをとるよりも自然に、目線のままに写真が撮れたらいいな、と思っている。
そこの看板娘は、すごいおばあちゃん。
銘柄をゆうと、「はいー?」、と聞きかえされたので、もういちど、カウンターから身をのりだすようにして言った。
家に帰って、紙袋をあけてみると、びみょうにたばこの銘柄がちがっていた。
じゃけえ・・・。わざわざ言い直したじゃん。
出世してお武家になったわけではもちろんなくて、ケータイを2本、右腰にさすようになった。なにやってんだか、自分でも笑ってしまう。
2本さしてても、りょうほうPHSなので、2本とも小太刀(こだち)、ゆう感じ。
(PHSも、ケータイのなかまにいれてもらえますか?)
しいてあげれば、ひと振りはスマートフォンなので、小太刀だけど栓抜きと缶切りもついてます、っちゅうくらいのもん。
自分は、脳みその容量がたらんので、PDA(電子手帳)がいる。
使いはじめたのは、初代ザウルスのときだから、何年前になるんじゃろ。16年前ぐらいだろうか。
とちゅう、Palmにのりかえたりしたけど、PDAをずっと使いつづけている。
予定を入力して、時間になったらピキピキ鳴らしたり、住所録はもちろん、絵や写真、気に入った言葉やメモまで、なんでも投げこんできた。百人一首や、小遣い帳、マンガの発売予定の表まで入っている。
で、もともと、ケータイとPDAと二つ持ち歩くのがいやでスマートフォンにした。それと、住所録をケータイとPDAで二重に管理するのがいやんなった。
PHSでスマートフォンが発売されたときに、すぐ飛びついて予約した。OSは、Windows mobile 5.0。それが5年くらい前だろうか。
それからずっと同じ機種。
とちゅう、マイナーチェンジ版に乗り換えしたが、色以外は外見も操作もまおんなじ。
買い替えたバッテリーは、もう5〜6本目になる。
いま使ってるスマートフォンは、ジャスト、ニンテンドウDSのサイズ。めちゃでかいが、画面のサイズといい、キーボードの大きさといい、使う分には一番使いやすくて、新しい機種への乗り換えができない。
時代は進んで、いまをときめくスマートフォンであるが、ときめいてるのは、i-Poneやアンドロイドで、もっさり遅くてアプリケーションの見た目がおっさんくさいWindows mobile機(Windows CE?)は、ぜんぜんときめいていない。
ワード、エクセルが閲覧だけじゃなく編集もできて、すごい便利なのにね。音楽データもWindows標準のファイル形式でいけるし。
予備機もいってしまう前に、早(はよ)うキーボードつきのWindows mobile機をだしておくれ、willcomさん。3Gはどうでもええから。
どこに、ゆうて心に。
あーもー、「かーおーがー、よーごーれーてー。ちーかーらーがー、でえないー。」気分。
てめえのミスでスマートフォンを"工場出荷状態"にした息子をせせら笑ったのが、つい、こないだのようだ。
あすから、通話用の電話(防犯ベルつきおこちゃまフォン)と、通話機能のめげた(こわれた)スマートフォンとの2台持ち。
ミスドのカウンターで、ぽつりひとりがコーヒーを飲んでいると、若いお嬢さんの団体さんがきて、カウンターにすわりました。すかすかだったカウンター席がいっぱいになり、自分のすぐとなりの席にも、お嬢さんがすわられました。
いいにほひがして、おじさんは、しあわせで、ドキドキしてしまいました。
きょうは、いい日のような気がしました。
本屋に注文してた本・CDを引き取りにいきました。
本屋のおばちゃんと、ひとしきり世間話して、本のふろくをおまけでもらいました。
レジよこに、"サーターアンダギー"がおいてあったので、「ラッキー」と思って、いっしょに買いました。
んで、家にごきげんで帰ってからのこと。
妻からケータイに電話がかかったのですが、通話できませんでした。
まったくあいての声が、聞こえねー。通話用のスピーカーが、死んでしまったようです。
妻には、「ぜんっぜん聞こえねー。もしもしっ、もしもしっ。ダメじゃ、こりゃあ。」ゆうのがえんえん聞こえてたそうです。
リセットかけてみたけど、症状かわらず。
やっぱダメみたいです。
"このデンワ"。
この、いま、ブログの投稿に使っている、デンワ。
メールの送受信やネット閲覧、その他、使ってて支障ないので、気づきまへんでした。
まおんなじの機種を予備機で買ってあるんですが(これとおなじで中古)、当然、セットアップはしてまへん。
「くそー、うおー」
めんどーくさっ。どーすりゃええんじゃ。なにから手えつけりゃあええんじゃ。
完全復旧にどんぐらいかかるんじゃろか。
わたしわ、なかびです。
中日ゆうても、週休二日の労働者は、ですが。
月曜、火曜とくたびれて、きょうは比較的、平和な日。
の、予定。
あすは、仕事はともかく、夕飯は、自分が用意せんといけん日。ちょいばたばた。
自分では、ご飯をようつくらんので、お好み焼きを買ってきて、ガキどもと食べる予定。
で、きょう、いまからは、本屋によって、届いてる本を引きとって帰る。
ちょっとした、質、量が届いてるんで、CDでお金をおろしてきた。
「のりりん 2」 「なにかもちがってますか 1」 鬼頭 莫宏 著
「水域 上・下」 漆原 友紀 著
「ニーア ゲシュタルト & レプリカント/15 Nightmares & Arrange Tracks」 ゲーム・ミュージックCD
えー、ちょっと重そうな、読むの聴くのに、えいやっと気合がいりそうなもんばかり。でも、きっと気に入ると確信している。
"つんどく"にならんように、気をつけねば。
アスファルトからはえており
まっすぐに
天にむかって のびていた
木の電柱、ゆうのもあまりみかけなくなった。これは、電信のはしら。
人工的にたてた柱であっても、ねんりんはきざまれる。と、みえる。
シンセの音をきくと、「おー」っとむねがおどる、YMOの名曲です。
若いお子たちは知らんかもしんない。
で、さっきそれを、マイケル・ジャクソンがカバーした曲が、ミスドん中のBGMで流れてました。
マイケル・ジャクソンがカバーしとるのは知らんかったけど、思わず「おー」と声がでてしまうような、二度おいしい曲でした。
ごちそうさま。
まえだったら、口にドーナツをねじこむようにして食べんといけんかったのが、この17日から、この店の閉店が11時までに延長となりました。
おかげで、こんなにゆっくりお食事ができるのです。
あんしんして残業ができますね。
これって、いいこと?
客はじぶんひとりしかおらんのじゃけど。
なんか、罪悪感あんなあ。
じぶんにとっては、すごいありがたいんじゃけど、働くヒトはたいへんだ。カウンターのお嬢さんがたも、うらかたさんも。
正月もやりよったし。
おそ番、早番でシフトを組んどるんじゃろうけど、休みがなかろう。ゆうか、あっても不規則だろう。
工場の三交代のヒトなんかもそうじゃけど、私生活がなくなるんじゃあなかろうか。
客としては、すごい、うれしいんじゃけどねえ。