2010年10月21日木曜日

先達はあらまほしき事なり

 自分には、ストリップの師匠がいた。
 いまから20年ばかし前の話。

 学生時代、所属していた研究会に、だれからも尊敬される、院生の先輩がいた。
 自分は、その当時もだめだめな学生だったが、その先輩から勉強のおしえを請い、遊びにもつれてってもらっていた。

 はじめてストリップ劇場(以下、小屋)にいったのは、もちろんその先輩につれられてだった。
 それからは、どこの小屋にだれが来てるからいこう、とか、ちょくちょく一緒に観劇に出かけるようになった。

 先輩がおっかけをしていた"菊地エリ"さん(いまも現役!)を見にいったり、"樹まりこ"さんや"小林ひとみ"さんだの、AVの女優さんのほか、残念ながら名前はわすれちゃったけど、きら星のような踊り子さんを見にいってた。

 小屋とは関係ないけど、レンタルビデオ屋で一緒にならんで、松坂季美子さんと握手してもらったことがあった。家族づれとかおる中で・・・。衆人監視状態、さらしモノともいう。

 アイドルだけじゃなく、おば・・・、ぢゃなかったお姐さんの芸を見るのも好きだった。
 まさに(伝統)芸能っちゅう感じ。いまはもう途絶えた技もあるかもしれない。

 昭和の終わりから平成のはじめにかけてで、AV(アダルトビデオ)が大はやりだった。ストリップはすでに斜陽だったが、なんでもありで、まだ活気があった。わい雑で、わいせつな活気。
 当時も、平日やらはお客さんがめちゃ少なかったりしたけど、今みたいな萎縮した雰囲気はなかった。

 浅草のロック座や、AVの女優さんとか、めちゃ若くてきれいな踊り子さんが踊るよりは、お姐さんが芸を見せる方が主流だったような気がする。田舎だったし。

 当時、びんぼう学生が、どうやってお金をひねりだしてたのか覚えてないが、今よりもはるかに小屋にいってた。

そのうち、ひとりでも小屋にいくようになった。

 『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー(文藝春秋刊)』という本の冒頭で、沖浦和光さんは、「人の世には<人生の磁場>とでも呼ぶべき場所がある」、とおっしゃってたが、自分の磁場はストリップだったように思う。
 今でも、芸能だの職業だのをみるときは、ストリップや踊り子さんが、自分の中ではなんか基準になっている。
 なにがどう、と理論だてて説明はできんのじゃけど。
 "ロートレック展"を見にいっても、"グランディーバ"のバレエや"シルク・ドゥ・ソレイユ"を見にいっても、江戸以前を舞台にした本やマンガを読んでも、頭に浮かんで比較すんのは小屋や踊り子さん。



 「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。(徒然草第52段)」



 で、その先輩はどうしておられるかというと、某有名大学で、教鞭をとっておられる・・・、教授さん。
 活躍は、その世界を離れた自分にも聞こえてくるほど。

 いまじゃ、とてもじゃないが小屋にいったりする時間はないと思われる。私生活のない生活をおくっておられるのでは?

 自分のほうはあいかわらずじゃけど、当時は自分も先輩も若く、お金もなんもないけど、今より時間があった。疾風怒涛の思春期は過ぎてたけど、まだ多感で悩みおおき青年だった(ような気がする)。
(中学生ぐらいからを青年期と呼んでて、青年期は「疾風怒濤の時代(byゲーテ)」と言われとります。)


 なんか、今がいいとか、当時がいいとかゆうわけじゃないけど、すごい懐かしいねえ。

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